河合竜二
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河合竜二 | ||
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名前 | ||
愛称 | 馬場ちゃん | |
カタカナ | カワイ リュウジ | |
ラテン文字 | KAWAI Ryuji | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1978年7月14日 | |
出身地 | 東京都板橋区 | |
身長 | 183cm | |
体重 | 75kg | |
血液型 | AB型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | 横浜F・マリノス | |
ポジション | DF | |
背番号 | 6 | |
利き足 | 右足
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河合竜二(かわい りゅうじ、1978年7月14日-)は、東京都出身のサッカー選手である。現在は横浜F・マリノスに所属している。ポジションは、もともとは守備的MF(ボランチ)だが、移籍後当初はDF、とくにセンターバック(CB)をつとめることが多かった。2006年からは、本来のボランチでプレーする機会が増えた。 2008年から、昨年まで長きに渡りMF上野良治が付けていた背番号6を継ぐ。2008シーズンより、横浜F・マリノスのキャプテン。
目次 |
[編集] 来歴
西武台高校卒業後、1997年に浦和レッズに入団。同級生に田畑昭宏がいる。レッズがJ2で過ごした2000年シーズンは出場機会をもったが、その年以外のJ1でのリーグ戦出場は1回にとどまった。
そして2002年シーズン終了後、浦和レッズを解雇される。その後に催されたJリーグ・合同トライアウトに参加し、横浜F・マリノスに入団する。
マリノス入団当初は「フィジカルが弱い、持久力がない」と岡田監督に酷評されていたが、徹底的にトレーニングを積み、中澤佑二・松田直樹といったマリノスDF陣の貴重なバックアッパーとなる。すると2003年のJ1第2ステージでは、体調を崩した松田に替わって出場を重ね、マリノスのステージ優勝に大きく貢献した。
そして翌2004年シーズン、第1ステージ優勝の横浜F・マリノス、第2ステージ優勝の浦和レッズとの対決でむかえたJリーグチャンピオンシップ。中澤・松田とともに3バックの一角として先発出場した河合は2試合をフル出場、古巣・浦和の強力な攻撃陣を相手に奮闘した。なかでも第1戦では、値千金の決勝点となるコーナーキックからのヘディングシュートを決め、攻守にわたって殊勲をたてた。
一度クラブを解雇されながらも、合同トライアウトを経て、新チームで決定的な仕事のできる選手として活躍していることから、河合は「トライアウトの星」と呼ばれることもある。その活躍はまた、合同トライアウトの意義の大きさを広く知らしめるものでもあった。
[編集] プレースタイル
浦和時代のフィジカルの弱さは完全に無くなったどころか、今やマリノスではトップクラスのフィジカルの強さを誇るボランチ及びセンターバックである。足は決して速くはないが、相手の攻撃を潰す対応力に長けている。再びボランチでプレーするようになってからは、攻撃時の展開力にも向上が見られる。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
- FC鶴ヶ島
- 鶴ヶ島中学校
- 西武台高等学校
プロ経歴
- 1997年 - 2002年 浦和レッドダイヤモンズ
- 2003年 - 現 在 横浜F・マリノス
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 2000年5月22日浦和レッズvs大宮アルディージャ戦
- Jリーグ初ゴール 2005年4月2日横浜F・マリノスvsアルビレックス新潟戦 (前述の通り、これ以前の、前年度CSの第1戦で決勝点を挙げている)
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | 浦和 | 36 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1998 | 浦和 | 33 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1999 | 浦和 | 26 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2000 | 浦和 | 26 | J2 | 13 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 |
2001 | 浦和 | 17 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2002 | 浦和 | 17 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2003 | 横浜FM | 35 | J1 | 11 | 0 | 3 | 0 | 3 | 1 | 17 | 1 |
2004 | 横浜FM | 35 | J1 | 9 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 13 | 0 |
2005 | 横浜FM | 35 | J1 | 22 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 24 | 1 |
2006 | 横浜FM | 35 | J1 | 25 | 1 | 9 | 0 | 3 | 0 | 37 | 1 |
2007 | 横浜FM | 35 | J1 | 33 | 3 | 7 | 0 | 2 | 0 | 42 | 3 |
2008 | 横浜FM | 6 | J1 | ||||||||
通算 | 日本 | J1 | 101 | 5 | 24 | 0 | 9 | 1 | 134 | 6 | |
日本 | J2 | 13 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | ||
総通算 | 114 | 5 | 24 | 0 | 11 | 1 | 149 | 6 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2004 | 横浜FM | 35 | 3 | 1 |
2005 | 横浜FM | 20 | 3 | 0 |
通算 | AFC | 6 | 1 |
[編集] 備考
- 西武台高校時代にインターハイ準優勝を経験するも、冬の全国選手権へは出場出来なかった。
- NPO法人の活動にも賛同し、ボランティア活動にも積極的に活動している。
- 足の大きさが30cmもあることから、あだ名は「馬場ちゃん」と中澤佑二に名づけられた。「佑二」「竜二」が紛らわしい、というのもあだ名が付くきっかけとなった。
- 股間が災難に遭うシーンがなぜか他の選手より目立つ。2004年チャンピオンシップ第2戦ではエメルソンに股間を踏まれ、2007年J1第5節では相手選手のシュートを股間でブロックし、男にしか分からない痛みに耐えた。