朝風 (駆逐艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1922年2月16日 |
進水: | 1922年12月8日 |
就役: | 1923年6月16日 |
その後: | 1944年8月23日戦没 |
除籍: | 1944年10月10日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:1,270t |
全長 | 102.6メートル |
全幅 | 9.2メートル |
吃水 | 2.9メートル |
機関 | オールギアードタービン2基2軸 38,500 SHP |
最大速力 | 37.3ノット |
航続距離 | 14ノット/3,600カイリ |
乗員 | 154名 |
兵装 | 45口径12センチ単装砲×4基4門 53センチ魚雷連装発射管×3基6門 |
朝風(あさかぜ)は、かつて大日本帝国海軍に所属した神風型駆逐艦(2代目)の2番艦。
目次 |
[編集] 艦歴
三菱長崎造船所で建造され、1923年(大正12年)6月16日に竣工した。最初は「第三駆逐艦」という艦名であり、一等駆逐艦に類別された。翌年4月24日に「第三号駆逐艦」に、1928年(昭和3年)8月1日に「朝風」と改名された。
太平洋戦争では、フィリピン攻略戦やバタビア沖海戦などに参加する。バタビア沖海戦では、第七戦隊の重巡洋艦「最上」や、姉妹艦「春風」や「旗風」などと共に、連合国軍の巡洋艦2隻を撃沈する。しかし、1944年(昭和19年)8月23日、リンガエン湾沖でアメリカ軍の潜水艦「ハッドゥー」の雷撃を受け、沈没した。
[編集] 歴代艦長
[編集] 艤装員長
- 北川保橘 中佐(1923年4月1日就任)
[編集] 艦長
- 北川保橘 中佐(1923年6月16日就任)
- 小沢治三郎 少佐(1925年1月就任)
- 若木元次 少佐(1925年12月1日就任)
- 坂野民部 少佐(1928年12月10日就任)
- 大藤正直 少佐(1929年11月1日就任)
- 崎山釈夫 少佐(1932年9月15日就任)
- 丸安金兎 少佐(1933年9月30日就任)
- 楢原省吾 少佐(1934年11月15日就任)
- 横井稔 少佐(1935年11月1日就任)
- 一門善記 少佐(1936年12月1日就任)
- 林利作 少佐(1938年2月1日就任)
- 上井宏 少佐(1940年10月15日就任)
- 道木正三 少佐(1941年9月10日就任)
- 西村徳太 大尉(1942年10月20日就任)
- 山口治 大尉(1944年3月1日就任)