追風 (駆逐艦)
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艦歴 | |
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発注: | |
起工: | 1923年3月16日 |
進水: | 1924年11月27日 |
就役: | 1925年10月30日 |
その後: | 1944年2月18日戦没 |
除籍: | 1944年3月31日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:1,270t 公試:1,400t |
全長 | 102.57メートル |
全幅 | 9.16メートル |
吃水 | 2.92メートル |
機関 | ロ号艦本缶4基 艦本式タービン2基2軸 38,500 SHP |
速力 | 37.25ノット |
航続距離 | 14ノット/3,600カイリ |
燃料 | 重油:420トン |
乗員 | 154名 |
兵装 | 45口径12cm単装砲4門 一〇年式53cm連装魚雷発射管3基 (魚雷10本) 留式7.7mm機銃2挺 爆雷18個 |
追風(おいて/おひて)は、かつて大日本帝国海軍に所属した神風型駆逐艦(2代目)の6番艦。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。
目次 |
[編集] 艦歴
1925年(大正14年)10月30日に浦賀船渠で竣工。当初の艦名は第十一号駆逐艦で、1928年(昭和3年)8月1日に「追風」と改称した。
緒戦のウェーキ攻略作戦に参加。ラバウル攻略作戦、スルミ攻略作戦、サラモア攻略作戦などに参加。その後は主に船団護衛に従事する。1944年(昭和19年)2月17日トラック北方で沈没した軽巡阿賀野の乗員を救助したが、自身も翌2月18日のトラック空襲の際、トラック環礁北水道で米海軍機の攻撃を受け戦没。1944年3月31日除籍。
[編集] 歴代艦長
[編集] 艤装員長
- 彭城昌国 中佐(1925年4月1日 -)
[編集] 艦長
- 彭城昌国 中佐(1925年10月30日 -)
- 志賀忠一 少佐(1926年10月15日 -)
- 江戸兵太郎 少佐(1929年11月30日 -)
- 福田勇 少佐(1931年11月2日 -)
- 中村謙治 少佐(1934年11月15日 -)
- 大原利通 少佐(1935年11月21日 -)
- 北野旦 少佐(1936年12月1日 -)
- 山本祐二 少佐(1938年6月1日 -)
- 鈴木保厚 少佐(1938年11月10日 -)
- 萩尾力 少佐(1939年11月15日 -)
- 柳瀬善雄 少佐(1941年4月15日 -)
- 富田敏彦 少佐(1942年10月30日 -)
- 魚野泰弘 大尉(1943年10月20日 -)
[編集] 同型艦
[編集] 参考文献
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第10巻 駆逐艦Ⅰ』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0460-1
- 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9