新しい複雑性
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新しい複雑性(あたらしいふくざつせい)とは、1970年代の前衛の停滞時新しい単純性と呼ばれた作曲家達と区別する目的で、名づけられた芸術運動の一つ。
目次 |
[編集] 発端
ブライアン・ファニホウ、マイケル・フィニスィーのロワイアン音楽祭出品作の複雑怪奇な楽譜面を指してこの名が付けられた。(これらの出品作は二つとも反復音形が顕著であり、「新しい複雑性」を象徴するような作風が芽生えるのは後のことになる。)ブライアン・ファニホウもデビュー当時は批判的な評を得ることが多かったがジェイムズ・ボロス、リチャード・トゥープ、ハリー・ハルプライヒらの尽力により、評価が確定したのは1980年代であった。
[編集] 「新しい」複雑性
新しい複雑性の生みの親とされているのはブライアン・ファニホウであり、彼もデビューから幸先が良かった訳ではなく、「遅れてやってきたセリー主義者」という不名誉なレッテルを張られた。後に、トータル・セリー、ポスト・セリーの欠陥を合理的に追及し、1970年代に「ユニティ・カプセル」、「時間と運動の習作第一~三番」、「地は人」、といった作品群で、譜面の隅々まで繊細に描きこまれた作風を樹立する。バス・クラリネット奏者として最高峰のレヴェルを維持するハリー・スパルナーイに「これどうやって演奏するの?」とまで言わせた作曲家は彼だけである。現在、ファニホウの作品はドイツの音楽大学の学生でも演奏する。「新しい」複雑性は演奏不可能の作品の概念と大いに関係している。しかしながらヘルムート・ラッヘンマンの音楽もドイツの現代音楽界では、構成的に新しい複雑性に含める音楽学者が多い。
この楽派が有名になった背景には、もう既に使命を終えていたものとされたダルムシュタット夏季現代音楽講習会から、ファニホウの影響を受けたイギリスの作曲家が次々とここからデビューしたことも大きな原因だ。ジェイムズ・ディロン、リチャード・バーレット、クリス・デンクはクラーニヒシュタイン音楽賞を受賞。またイタリアの作曲家のアレッサンドロ・メルキオーレ、マリオ・ガルーティ、アメリカの作曲家兼チェリストフランク・コックスも超難解なチェロソロの曲の自作自演で受賞し、影響がいよいよ国際的になってくる。
新しい複雑性に関った作曲家は、既存の音楽要素を極限まで細分化、多元化したグループであり、文章のみの説明は困難を越えて不可能である。多くの音源と楽譜に当たるしか理解は得られない。図示すれば容易な事項も、文章で説明すると無駄に凡長になるのもこの楽派の特徴であろう。が、楽派の全容はWOLKE社から刊行中の「21世紀の音楽美学」シリーズで、ほぼ掴む事ができる。楽派と分類される限り、ある程度の経験をもてば、新しい複雑性特有のテイストを把握することは難しくない。最新の世代は1976年生まれのアーロン・キャシディーまで網羅されており、編者のクラウス・シュテファン・マーンコプフはこの書物を「あくまで中間報告、最終形態ではない」と述べ、現在も続編を刊行中である。
日本で出版されている某著には、「新しい複雑性は所詮名人芸への憧れに過ぎない」と書かれている物もあるようだが、ヴィルトゥオーゾ性に関心を持った作曲家はマイケル・フィニスィーただ一人であり、他の作曲家の楽譜の音符の多さや演奏家の奮闘振りが名人芸に結びつくわけではない。ただし演奏や鑑賞の困難さは現代音楽史上最も大きな問題の一つである。
[編集] 「新しい」複雑性から、「複雑系」へ
「新しい複雑性」という狭義を超えて、「複雑系」の音楽がどこから始まったかという疑問には、なかなか答えにくい。マーンコプフは前述書に於いてエリオット・カーターの「管弦楽の為の協奏曲」を源としている。この作品が書かれたのが1969年であることを考えると、年代的には正統とみなせる。しかし、カーターはピッチクラスセット理論等の前衛の諸様式を参照の上で到達した独自の試みと捉えており、1965年作曲の「ピアノ協奏曲」で、既に「管弦楽の為の協奏曲」のテクスチャーを凌駕している。
ミルトン・バビットはトータル・セリーの生みの親とされ、彼が作曲した「ポスト・パーティションズ」を起源とみなすことも可能である。しかし、多くの書物で指摘されているようにトータル・セリーが開花したのはアメリカではなく、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会が開催されたドイツを含む西欧であった。バビットは自作の「レラータ1」の初演時に「聞きたい音符の半分以下しか聞き取れない演奏だった」と演奏家への不満を表明する。
そして、前衛の時代が20年強続き、1968年以降前衛の停滞及び調性の復活が議論されるようになる。断っておくが、この時代の展開は国際コンクールで精密機械のような古典作品を披露する演奏家が評価されたり、かつての前衛の時代に書かれた作品を非常に高い精度で演奏できるようになったことと無関係ではない。オリヴィエ・メシアンの自作自演ピアノ演奏や、デイヴィッド・チューダーの演奏によるジョン・ケージ、カールハインツ・シュトックハウゼン作品の音源からは、「意外に演奏の段階で、ミスタッチを含めて恣意的な解釈を含む。」という事実が指摘されている。また、「前衛の時代に書かれた作品が、それほど複雑ではない。」ということも少しづつ議論に上がってくるようになった。これらの暴露は、前衛の時代が終焉してから、やっと行えたのである。
ファニホウは「テンポ感が確定していれば、テクスチャーは全て聞き取れる」という価値観を、現在に到るまで崩していない。この価値観を「新しい複雑性」に関った作曲家達が盲従したのは、ファニホウ自身にとってはあまり良い事ではなかっただろう。フィニスィーは1990年のダルムシュタット夏期講習会で「自分達が開発した理論が乱用され、楽譜を格好良くするための音楽」があまりにも多く書かれていたことに憤慨している。この辺りから「新しい複雑性」が単なる流行だったことが明らかになってくるものの、ヘルムート・ラッヘンマンが言うように楽派参入者は後を絶たない。
[編集] 影響の拡散(日本編)
ファニホウを初めとする「新しい複雑性」はその存在が早くから日本に知られており、武満徹主催の「今日の音楽」や松平頼暁著「現代音楽のパサージュ」等で、部分的な紹介はなされていた。しかし彼らの主張を演奏、作曲の両面で音楽家が消化できた時期は細川俊夫主催「秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル」内でファニホウ本人の来日が実現した1995年辺りまで待たなければならなかった。主に60年代後半生まれの第三世代を刺激し、第二世代(藤井喬梓は1990年頃脱退)には見向きもされていないといった点に日本独自の特異な文化吸収が認められる。詳しくはポスト・ファーニホウを参照のこと。
日本では現在も「新しい複雑性」全体の紹介は遅々として進まず、専らソロ作品が限られた演奏家のレパートリーになる程度で、室内アンサンブル作品の演奏の実現には遠く及ばない。にもかかわらず、ファニホウ受容に成功した作曲家が海外留学後に活躍することは、珍しくない。西洋伝統音楽を学んだ作曲家と演奏家双方の、文化受容度の乖離が甚だしいアジア全体の問題も浮かび上がる。またファニホーとはまったく別の角度からロクリアン正岡:正岡 泰千代の諸作品などの複雑な作品はもともとあった。
[編集] 「複雑系」の恵み
現代音楽界に限らず、限界への挑戦を志す音楽家は少なくなかった。19世紀はベートーヴェンの死後、技巧そのものを売りにするリストなどのピアニストが誰が一番強いかを競い合った。その後のワーグナーの「トリスタン」を通り、マックス・レーガーは師のフーゴー・リーマンから書法の煩雑さを問題とされ、ジョルジェ・エネスクも自作の交響曲第二番の複雑さを改訂すべきものと考えていた。そのような時代の変遷を知った上なら、別に「新しい複雑性」も西洋音楽特有の流行の一翼であった、と言い切ることも可能ではある。
しかし、「新しい複雑性」が現代音楽界を震え上がらせた理由は「セリー理論に忠実に」音楽を書くことを理想としていたはずのダルムシュタット夏期講習会の内部から、作曲家自らが聞きたい音楽のための「理論を創出する」事へ転換することであった。元々全ての作曲家の課題であったはずのこの考えが前衛の世代からは導けなかったのである。近代のシェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」から始まりブーレーズの「持ち主のない杖」や「婚礼の顔」を経た後、70年代は前衛の停滞が叫ばれ、なぜポスト・セリエルが行き詰まるのか、ほとんど誰もわからなかった。
「ポスト・セリエルには欠陥がある。音楽的密度の増減を自らが律してしまう」といった声を、音楽文化の僻地としか捉えられていなかったイギリスから発し、アイディアの欠如から来る苦し紛れから始まりながらも、ハイパー・ロマンチックな思考を駆使してまで解決したファニホウの功績はそれでも大きい。が、ポスト・ファニホウにも新たなしかしまったく同じ問題が横たわっていて、ヘルムート・ラッヘンマンやハンス・ツェンダーはファニホウが本当の複雑系の最終限界と言い、前者はドナウエッシンゲン75周年記念の講演で「音楽はそうやってすでに死んだ」とも言っている。
クラウス・フーバーなどは1990年代のベルリンの現代音楽の講習会で「それでも音楽が時代を経るに連れて複雑になるのは、エントロピーの法則のように自然であり可能性がないわけではない」と言っている。事実アーロン・キャシディーは全編複雑極まりないタブラチュアで音符のない作品を生み出すことに成功し、ゲラルト・エッケルトは「特殊奏法の複雑性」をテーマとした作品に取り組みつづけている。