ポスト・セリエル
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ポスト・セリエルとは1950年代終盤に現れた、文字通りセリエル音楽のあとに来た音楽の一形態である。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 前期
当初はヤニス・クセナキス、ジェルジ・リゲティ、ルチアーノ・ベリオ、マウリツィオ・カーゲル、クシシュトフ・ペンデレツキ、ハインツ・ホリガーなどの作曲家が含まれていた。トータル・セリエリズム的音響は受け継ぎつつも、繰り返しを徹底的に否定するという思想にはあまりこだわらず、十二音化の秩序付けや厳格なメソッドは棄てられ、音群作法、クラスターや、その一種であるミクロポリフォニー、また微分音、雑音、非楽音などのセリエルとは異なった様々な要素の導入が図られた。これらを効果的に用いることで、彼らの音楽は「音響作曲法」とも呼ばれるようになった。それぞれの個性的なアイディアの進化に目が向けられ、また場合によってはセリエルの構成法を自由で柔軟な方法で用いて音楽が書かれた。これらはいずれも、硬直化したトータル・セリエリズムが陥った限界を乗り越え、音響に多様性を与えようとする試みであった。
1960年代のヨーロッパの現代音楽はほぼ、このポスト・セリエルの影響に支配され、セリー音楽の正統な訓練をつんでいないものもこの様式で作曲したために、定義が曖昧で一種の無法状態に陥ったことは否定できない。この無秩序状態に対抗する形でミニマリズムやチャンス・オペレーション、偶然性などアメリカ実験音楽のイディオムが当時は対抗する存在であった。
[編集] 後期
その混沌の中で、ダルムシュタット語法を正確に受け継いだ作曲家としてヘルムート・ラッヘンマンとブライアン・ファーニホウの二人が頭角をあらわした。彼らは、音列化の秩序付けや厳格なメソッドを棄てたかわりに、それぞれのパラメーターの発展と変容化だけに目を向けた。前者は特殊奏法による音色の発展と拡大によってホモフォニ-性もポリフォニー性も否定し、後者は複雑なリズムポリフォニーを使った音価の発展に目を向けた。しかし、もうこれは既にポスト・セリエルの単なる延命という意見も多く見られる。しかしながら、この延命であるにもかかわらずこの二人の音楽は強力であり影響力も衰えていない。
晩年のノーノはセリエル技法を捨て、微分音を十六分の一音まで細かく追求したが、音響作曲法的に点的に作曲する態度は変わっておらず、セリエルな感覚の作曲に徹していたという意見も見られる。これも、ポスト・セリエルの一種の進化形である。
[編集] 受容
重箱の隅をつつくようなこう言った作曲技法は、人間の耳にもすでに限界に達したと言う意見が現在多数を占めつつある。トータル・セリエルやポスト・セリエルを経験しない若い作曲家が特に日本では多くなったためであろう。