式守伊之助 (38代)
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38代式守伊之助(38だいしきもりいのすけ、1948年5月16日 - )は大相撲の立行司で、26代木村庄之助の弟子である。鹿児島県枕崎市出身で、井筒部屋に所属している。本名は山崎 敏廣(やまざき としひろ)。甲高く、良く通る声が特徴である。2000年3月場所より2007年11月場所まで、第二次大戦後では6人目となる番付の書き手を務めていた。
行司名は、長らく本名である敏廣を名乗っていたが、初土俵から実に36年が経過した2001年1月場所に9代式守與之吉を襲名した。9代式守勘太夫の引退に伴い、2007年9月場所より10代式守勘太夫を襲名したが、2008年5月場所に立行司(38代式守伊之助)に昇進したため、この名は短期間で終わることとなった。
[編集] エピソード
敏廣時代の1998年1月場所4日目、十両の智乃花(現玉垣)-大飛翔戦を木村信孝(現16代木村玉光)が裁いていたが、取組中に智乃花の足が袴に引っかかり装束が大きく裂けるハプニングが起きた。勝負は大飛翔が勝ち、信孝は大飛翔に軍配を挙げたが、すぐさま裂けた装束を両手で隠して土俵下に駆け下りたため、控えにいた敏廣が機転を利かし、すかさず土俵に上がり大飛翔に勝ち名乗りをあげ、続く信孝が裁くはずだった千代天山-大善(現富士ヶ根)戦と合わせて三番半(?)を裁いた。
[編集] 履歴
- 1964年3月:初土俵・式守敏廣
- 1985年1月:十両格昇進
- 1995年1月:幕内格昇進
- 2001年1月:9代式守與之吉襲名
- 2006年3月:三役格昇進
- 2007年9月:10代式守勘太夫襲名
- 2008年5月:38代式守伊之助襲名
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