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帝銀事件 - Wikipedia

帝銀事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

帝銀事件(ていぎんじけん)とは、1948年(昭和23年)1月26日東京都豊島区帝国銀行(後の三井銀行。現在の三井住友銀行椎名町支店で発生した強盗殺人事件。 戦後の混乱期、GHQの占領下で起きた事件であり、未だに多くの謎が解明されていない。

目次

[編集] 概要

[編集] 事件発生

1948年1月26日午後3時過ぎ、銀行の閉店直後に、東京都防疫班の白腕章を着用した中年男性が、厚生省技官の名刺を差し出し「近くの家で集団赤痢が発生した。GHQが行内を消毒する前に予防薬を飲んでもらいたい」と偽り、行員と用務員一家の合計16人(8歳から49歳)に青酸化合物シアン化カリウム説、青酸ニトリール(アセトンシアンヒドリン)説がある)を飲ませ、12人を殺害(4人生存するも1人が間もなく死亡)。現金16万円と、安田銀行板橋支店の小切手、額面1万7450円を奪って逃走(小切手は事件発生の翌日に現金化されていた)。

  • 全員に飲ませることができるよう遅効性の薬品を使用した上で、手本として自分が最初に飲み、さらには「歯の琺瑯質を痛めるから舌を出して飲むように」などと伝えて確実に嚥下させたり、第一薬と第二薬の2回に分けて飲ませたりと、巧みな手口を用いたことが生存者たちによって明らかにされた。
  • 報道機関は遺体が横たわる現場写真を報道したが、凄惨な光景で猛抗議を受ける。これが日本の報道機関が遺体の写真を出来るだけ公開しなくなった理由と伝わる。[1](帝銀事件以降、全国紙の遺体写真報道は、下山事件の下山総裁の轢死体や桜木町事故の大勢の焼死体がある。また創刊初期のいわゆる写真週刊誌もよく掲載していた。しかし近年は大きく減少しており、仮に報道されたとしても後日撤回されることが多い。海外ではサッダーム・フセインの二人の息子の遺体写真がある。)
  • 盗まれた金16万円と小切手1万7450円は、新円切り替えが行われた戦後の混乱期では、現在の貨幣価値に換算すると100倍ほどになる。

[編集] 未遂類似事件

1947年10月14日の閉店直後、『厚生技官 医学博士 松井蔚 厚生省予防局』という名刺を出した男性が訪ねてきて、「赤痢感染した患者が、午前中に預金に訪れていることが判明したので、銀行内の行員と金を消毒しなければならない」と言った。支店長は相手を待たせて、巡査を呼びにやって赤痢発生について聞くと、当の巡査は「まったく寝耳に水の話だが署で確認する」と言って出て行く。巡査が戻る間に、帝銀事件とまったく同じような手口で薬を飲ませるも、死者は出ず。名刺自体は本物だったが、渡した人物にあらず。

1948年1月19日の閉店直後、『厚生省技官 医学博士 山口二郎 東京都防疫課』という名刺を出した男性が、安田銀行荏原支店を訪れた男性と似たようなことを発言。行員に薬を飲ませ、行内の金を消毒させようとするも、不審に思った支店長は、すでに現金はないと答えると、男性は行員たちがまとめている小為替を見つけ、消毒液と称して透明の液体を振り掛けただけで出て行く。名刺は偽物であることが判明。

[編集] 捜査と裁判 

事件発生後、犯人から受け取った名刺を支店長代理が紛失していたことが判明(当時、支店長は不在)。彼の記憶と2件の類似事件の遺留品である名刺、生存者たち全員の証言から作成された犯人の似顔絵、事件翌日に現金に替えられた小切手を手がかりに捜査は進められた。遺体から青酸化合物が検出されたことから、その扱いを熟知した、旧陸軍細菌部隊(731部隊)関係者を中心に捜査されていた。陸軍第9研究所(通称9研)に所属していた伴繁雄から有力情報を入手して、事件発生から半年後の6月25日、刑事部長から捜査方針の一部を軍関係者に移すという指示が出て、陸軍関係の特殊任務関与者に的を絞るも、突如、GHQから旧陸軍関係への捜査中止が命じられてしまう。そんな中、捜査本部の脇役的存在でしかなかった名刺班が地道に類似事件で悪用された松井蔚の名刺の捜査に焦点が当てられていく(この名刺班には伝説の刑事、平塚八兵衛がいた)。そして8月21日、松井と名刺交換した人物の一人であるテンペラ画家の平沢貞通北海道小樽市で逮捕した。

平沢を逮捕した理由は、

  • 「松井名の名刺」を交換した人物であること。
  • 事件発生時、平沢は「現場にはおらず、その付近を歩いていた」と供述したが、そのアリバイが不完全であること。
  • 過去に銀行で詐欺事件を起こしていること。
  • 事件直後に被害総額とほぼ同額を預金しており、その出所を明らかにできなかったことであった(この預金は春画を描いて売れた金とする説もあるが、現在も出所は明らかにされていない[2])。

逮捕当初、平沢は一貫して否認していたが、9月23日から自供を始め、10月12日に帝銀事件と他の2銀行の未遂類似事件による強盗殺人容疑と強盗殺人未遂容疑で起訴された。だが12月20日より東京地裁で開かれた公判において、平沢は自白を翻し無罪を主張するも1950年7月24日、東京地裁で一審死刑判決。1951年9月29日、東京高裁で控訴棄却。1955年4月7日、最高裁で上告棄却、5月7日、死刑が確定した。

[編集] 死刑確定後

事件の状況からして平沢の犯行とするには無理がある上、供述の信憑性に問題(平塚八兵衛の取り調べが拷問に近かったこと、また証拠とされた供述自体が、狂犬病予防接種の副作用によるコルサコフ症候群の後遺症としての精神疾患(虚言症)によるものと思われた)があったため、冤罪であるとして17回の再審請求と3回の恩赦願を出すも受け入れられず、代々の法務大臣も死刑執行命令にサインせず、1987年5月10日、平沢は肺炎を患い八王子医療刑務所で病死。享年95。死刑執行されることはなかった。平沢の死後も養子と支援者が名誉回復の為の再審請求を続けている(2008年現在、東京高裁に第19次再審請求中)。

  • 平沢は獄中で三度にわたって自殺を図ったが、すべて未遂に終わった。
  • 松本清張などの支援者が釈放運動を行った。
  • 1962年に「仙台送り」と言われる宮城刑務所に移送。この後支援者らの説得で平沢は恩赦を求めたが棄却。タイム誌は東北に送ることで環境を悪くし自然死を早めようとしているのではないかと報道[3]
  • この際の法務大臣中垣國男は疑いの有る人物の死刑執行も行っており平沢も危険だったが、一部後援者から情報がリークされ結局失敗。しかし、この際半ば無理矢理に停止させたことが一部関係者から反発を受ける(いわゆる「平沢憎し」)。この私怨が免田事件などが再審無罪になっているのに対し帝銀事件が有罪確定のままになっている一因といわれている。
  • 判決確定から30年が経過した1985年に、支援グループは刑法31条の時効の規定(刑の確定後、一定期間刑の執行を受けない場合は時効が成立する)を根拠として平沢の死刑が時効であることの確認を求める訴訟を起こしたが、裁判所は「拘置されている状態は逃亡と異なり、執行を受けられない状態ではない」としてこれを退けた。
  • 平沢の獄死直後の5月25日、捜査本部の刑事に協力した伴繁雄がテレビ出演して、真犯人は平沢でなく、元陸軍関係者と強調していた。
  • 歴代の法務大臣は死刑執行を命じなかった。新聞記者の前で一度に23人の死刑執行を署名した田中伊三次でさえ、「これは冤罪だろ」と言って死刑執行を命じなかったという。
  • 弁護団の団長:初代は山田義夫、2代目は磯辺常治、3代目は中村高一、4代目は遠藤誠が務めた。

[編集] 毒物の謎

遺体解剖や吐瀉物や茶碗に残った液体の分析は、東京大学慶應義塾大学で行われたが、液体の保存状態が悪く、青酸化合物であることまでは分かったものの、東大の古畑種基と慶大の中舘久平の鑑定が食い違い、100%正確な鑑定結果は出ていない。

当時、読売新聞の記者が、陸軍第9研究所で青酸ニトリールという薬を開発していた事実を突き止める。即座に威力を発揮する即効性の青酸カリに対して、青酸ニトリールは飲んで1分から2分ほどで効果が現れる遅効性であり、遺体解剖しても青酸化合物までしか分析できないことや、日本陸軍が青酸ニトリールを使って捕虜を大量虐殺したことなどが、報道の取材で明らかになるも、突如、警察の捜査が731部隊から大きく離れた時点で、報道も取材の方向転換せざるをえない状況になり、731部隊に関する取材を停止した。

後年、GHQの機密文書が公開され、1985年、読売新聞で以下の事実が報道された。

  • 犯人の手口が軍秘密科学研究所が作成した毒薬の扱いに関する指導書に一致
  • 犯行時に使用した器具が同研究所で使用されていたものと一致
  • 1948年3月、GHQが731部隊捜査報道を差し止めた。

この報道後も、平沢はついに生きて拘置所から出ることはなかった。

[編集] 事件を題材にした作品

[編集] 小説

この事件を題材にした多くの推理小説が書かれている。

[編集] ドキュメンタリー

  • 「そして、死刑は執行された」 合田士郎 (死刑囚監房掃夫による本。帝銀事件の本ではないが、平沢氏とのエピソードがある)

[編集] 映画

[編集] 脚注

  1. ^ 高杉治男のコラム 報道写真と人権
  2. ^ 2008年現在、北海道でこの春画の存在は確認されている。
  3. ^ Noose or Pneumonia?(Time誌の当該記事、英語) 目撃者の証言との不一致、アリバイの存在、自白を強要された可能性があることなど、当時分かっていたことが書かれている。

[編集] 外部リンク


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