巻誠一郎
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巻 誠一郎 | ||
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名前 | ||
愛称 | マキ、セイちゃん | |
カタカナ | マキ セイイチロウ | |
ラテン文字 | MAKI Seiichiro | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1980年8月7日(27歳) | |
出身地 | 熊本県宇城市 | |
身長 | 184cm | |
体重 | 81kg | |
血液型 | O型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | ジェフユナイテッド市原・千葉 | |
ポジション | FW | |
背番号 | 18 | |
利き足 | 右足 | |
クラブチーム1 | ||
年 | クラブ | App (G) |
2003- | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 146 (37) |
代表歴2 | ||
2005- | 日本 | 29 (8)
|
1国内リーグ戦に限る。2007年12月2日現在 22008年2月6日現在 |
巻 誠一郎(まき せいいちろう、1980年8月7日 - )は、熊本県宇城市出身のサッカー選手。ジェフユナイテッド市原・千葉所属。ポジションはFW。弟は名古屋グランパスエイト所属の巻佑樹、妹はハンドボール選手の巻加理奈。
目次 |
[編集] 来歴
地元の小・中学校を卒業後、熊本県立大津高等学校に入学[1]。2年次に冬の選手権でベスト8進出に貢献した。高校卒業後に、駒澤大学へ進学。レギュラーの座を掴むと2トップのコンビを組んだ深井正樹と共に数々の栄冠を手にした。また2001年夏季ユニバーシアードの日本代表に選出された。
2003年にジェフユナイテッド市原(当時)に入団。2004年シーズンまでは途中出場が多かったが、2005年シーズンは先発FWの主軸として定着。で自身初の二桁得点を挙げる。
2006年、ドイツW杯本大会の日本代表に滑り込みで選出。グループリーグ最終節のブラジル戦では先発出場を果たした。イビチャ・オシムが代表監督に就任後もジーコ時代の代表メンバーが大幅に入れ替わる中で、引き続き代表選出を果たす[2]。
2007年4月24日、元女優の北川智子と婚約した事を発表。6月25日、婚姻届を提出[3]。
2008年1月21日、第1子(長男)が誕生。代表合宿中で出産には立ち会えず。
[編集] プレースタイル
身長184cmの高さから繰り出すヘディングは、「利き足は頭」というほど大きな武器である。時折、腰から下の低い位置にきたボールにもヘディングで突っ込む。持ち前の「諦めない姿勢」を前面に押し出した「泥臭い」プレーが持ち味で、相手を恐れず身体を張る姿に、同僚の選手などからは「潰れ役にもなってくれる」と信頼を得ているがトラップなどの基本技術は得意ではないためポストプレーは不安定である。[4]
[編集] 所属クラブ
- 2003年 - 現在 ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 2003年3月22日 対東京ヴェルディ1969戦(市原臨海競技場)
- Jリーグ初得点 2003年8月2日 対浦和レッドダイヤモンズ戦(国立霞ヶ丘競技場)
- A代表初出場 2005年7月31日 東アジアサッカー選手権2005 対北朝鮮戦 (大田ワールドカップ・スタジアム)
- A代表初得点 2006年2月10日 国際親善試合 対アメリカ戦 (サンフランシスコ)
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | 大津高 | - | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |||
2001 | 駒大 | 9 | - | - | - | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
2002 | 駒大 | 9 | - | - | - | 2 | 1 | 2 | 1 | ||
2003 | 市原 | 18 | J1 | 17 | 2 | 4 | 0 | 3 | 1 | 24 | 3 |
2004 | 市原 | 18 | J1 | 30 | 6 | 5 | 4 | 1 | 0 | 36 | 10 |
2005 | 千葉 | 18 | J1 | 33 | 12 | 10 | 4 | 2 | 1 | 45 | 17 |
2006 | 千葉 | 18 | J1 | 32 | 12 | 5 | 3 | 1 | 0 | 38 | 15 |
2007 | 千葉 | 18 | J1 | 34 | 5 | 6 | 0 | 1 | 0 | 41 | 5 |
2008 | 千葉 | 18 | J1 | 8 | 3 | 1 | 0 | 9 | 3 | ||
通算 | 日本 | J1 | 154 | 40 | 31 | 11 | 13 | 2 | 198 | 53 | |
日本 | 他 | - | - | 5 | 1 | 5 | 1 | ||||
総通算 | 154 | 40 | 31 | 11 | 18 | 3 | 203 | 54 |
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 2001年 - 2001年夏季ユニバーシアード
- 2005年 - 東アジアサッカー選手権2005
- 2006年 - ドイツW杯
- 2007年 - アジアカップ2007
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 32試合 8得点(2005年-)
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2005 | 3 | 0 |
2006 | 14 | 3 |
2007 | 9 | 4 |
2008 | 6 | 1 |
通算 | 32 | 8 |
[編集] 脚注
- ^ 高校からサッカーをはじめ高校2年生までアイスホッケーとサッカーを両立していた。
- ^ オシム体制下では、常に先発出場しながら結果を残せないというその現実を憂い、川淵三郎キャプテンがメディアの前で名指しで「下手」と言われるなど各方面から批判を浴びた。2007年3月24日のキリンチャレンジカップ、ペルー戦にてオシム体制7試合目にして初得点を挙げる。
- ^ この日はサッカー日本代表の合宿中であったが、イビチャ・オシム監督の許可を得て合宿を抜け出し、婚姻届を提出。
- ^ 前線からの積極的な守備高校時代はFWとしではなくDFとしての評価のほうが高かった。実際、Jリーグのクラブのほか、スペインからもDFとしてオファーがあった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
GK |
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1 立石智紀|17 櫛野亮|21 中牧大輔|30 岡本昌弘 |
DF |
3 斎藤大輔|4 ボスナー|13 市原充喜|14 池田昇平|31 青木良太 |
MF |
2 坂本將貴|6 下村東美|7 工藤浩平|8 馬場憂太|15 中島浩司|16 谷澤達也|19 伊藤淳嗣|22 米倉恒貴|23 楽山孝志|29 益山司|39 松本憲|40 フルゴビッチ|41戸田和幸 |
FW |
9 青木孝太|10 レイナウド|11 新居辰基|18 巻誠一郎|20 苔口卓也|26 金沢亮 |
スタッフ |
監督 アレックス・ミラー|ヘッドコーチ 澤入重雄|コーチ 霜田正浩|コーチ 間瀬秀一|コーチ 越後和男|GKコーチ 眞田雅則|フィジカルコーチ 大塚慶輔|通訳 小林功基 |
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1 楢崎正剛 | 2 茂庭照幸 | 3 駒野友一 | 4 遠藤保仁 | 5 宮本恒靖 | 6 中田浩二 | 7 中田英寿 | 8 小笠原満男 | 9 高原直泰 | 10 中村俊輔 | 11 巻誠一郎 | 12 土肥洋一 | 13 柳沢敦 | 14 三都主アレサンドロ | 15 福西崇史 | 16 大黒将志 | 17 稲本潤一 | 18 小野伸二 | 19 坪井慶介 | 20 玉田圭司 | 21 加地亮 | 22 中澤佑二 | 23 川口能活 | 監督 ジーコ |