出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大栄町(たいえいまち)は千葉県香取郡の北西にあった町。
2006年(平成18年)3月27日 成田市に香取郡下総町と共に編入合併された。
1985年(昭和60年)2月27日、東関東自動車道の成田IC-大栄IC間が供用開始し、成田国際空港に近い立地条件から工業団地や物流団地の整備が進み、企業が進出してきている。また、首都圏中央連絡自動車道の整備計画が進んでいる。
[編集] 沿革
[編集] 地名の由来
- 大栄(たいえい)の地名の由来は、1955年の大須賀村と昭栄町との合併に伴い、大須賀村の「大」と昭栄町の「栄」を併わせた「大栄」という地名が誕生した。
[編集] 産業
畑作中心の農業で、サツマイモ、ダイコン、ラッカセイ、スイカ、メロンなどを主に栽培されている。中でもベニアズマを中心としたサツマイモは粗生産額・作付面積と共に全国トップクラスで県内第一位の生産量を誇る特産品で、その品質と味の良さについては最上級といわれ、東京市場に出荷されている。この様な中、新たなブランド品として「大栄愛娘(たいえいまなむすめ)」を作り、生産者が協定を結び、苗から出荷まで高品質に拘ったサツマイモを生産している。また酪農や養豚も行われている。
[編集] 教育
[編集] 幼稚園・保育所
[編集] 小学校
- 大栄町立桜田小学校
- 大栄町立大須賀小学校
- 大栄町立川上小学校
- 大栄町立津富浦小学校
- 大栄町立前林小学校
[編集] 中学校
[編集] 専門学校
[編集] 交通
[編集] 道路
[編集] 観光
- 大慈恩寺
- 761年(天平宝字5年)唐の鑑真大和尚が創建し、鎌倉時代末期、この地を治めていた豪族大須賀氏(千葉氏の一族)に招かれた真源が中興開山したとされる真言宗の寺。成田山新勝寺よりも80年早く、この地方では、印旛郡栄町の龍角寺と並んで最も古い寺院とされている。室町時代初頭の1341年(歴応4年)足利尊氏の弟・直義は、この寺を足利幕府の祈願所とし、後醍醐天皇や南北朝の内乱の犠牲者の冥福を祈る為の安国寺利生塔を建立した(利生塔は、1902年(明治35年)に倒壊し現在は基礎のみ残存。)。この時代、足利氏の手厚い保護を受け北総地域有数の寺院のして全盛を誇った。江戸時代には、御朱印寺(徳川家より代々土地を寄進)の格式を与えられ朱印地を20石を持つ。本尊には清涼寺様式の釈迦如来実像が安置されており、歴史の深い事から天皇家との関わりもあり、香取神宮に参詣する天皇の勅使だけが使用した勅使門や、数多くの歴史的資料が残されている。周囲の森林公園は 千葉県郷土環境保全地区となっている。
[編集] おまけ
- 正式な読みは「たいえい」だが、地元では「だいえい」と訛る人が多い。そのため、「大栄○○」と町名を付した会社は本来「たいえい○○」となるのだが、「だいえい」の方が定着しているため、地元では「だいえい○○」と読ませる会社が多い。さらに「ダイエー」とカナ表記する会社も一部にあり、こうなると地元外の人を中心にスーパーのダイエーと混同する人もいた。特に成田店(現在は閉鎖)があった頃はその傾向が強かった。