龍角寺
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龍角寺(りゅうかくじ)は、千葉県印旛郡栄町にある天台宗の寺院。天竺山寂光院と号し、本尊は薬師如来。
発掘調査の結果、7世紀にさかのぼる伽藍跡が検出されており、創建年代の古さという点では、関東地方でも屈指の古寺である。
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[編集] 歴史
『佐倉風土記』等の伝えるところによれば、和銅2年(709年)竜女が現れ、金の薬師如来像を祀ったのが創建とされ、天平2年(730年)釈命が寺として整備し「龍閣寺」と号したという。伝承によれば、翌天平3年(731年)この地域が干ばつに見舞われたとき、釈命が祈祷したところ、印旛沼の龍が天に昇って雨を降らせたが、その龍の体は3つに分かれて地上に落ちてしまった。その3つに分かれて死んでしまった龍の頭の部分をこの寺に祀り「龍角寺」と改称したという。伝承では龍の腹が落ちた地の寺が龍腹寺(千葉県本埜村)、尾が落ちた地の寺は龍尾寺(千葉県匝瑳市大寺)という名前になったという。
上記伝承の真偽とは別に、当地には古代から仏教寺院が存在したことは間違いない。発掘調査によって、金堂が西、塔が東に建つ「法起寺式伽藍配置」の遺構が検出され、出土する瓦の様式編年から、この地には7世紀後半には伽藍が存在したことが明らかとなっている。これは上記『佐倉風土記』の伝える草創伝承よりもさらに古い年代である。
寺は中世には衰微していたらしく、承久2年(1220年)上総介平常秀が再興しているが、その後もたびたび火災に遭っている。
戦国時代には千葉氏の外護を受け、天正19年(1591年)には徳川家康より20石を与えられている。
現在、火災で当時の建物が焼失し、本堂跡、仁王門跡、塔跡などにより、在りし日の姿がしのぶ事が出来るのみとなっている。
[編集] 文化財
- 重要文化財(国指定) 1933年(昭和8年)1月23日指定
- 銅造薬師如来坐像 - 頭部のみ奈良時代の作。体部は元禄5年(1692年)の火災後の再鋳である。深大寺の銅造釈迦如来像とともに、関東地方に残る奈良時代の仏像の稀少な例として注目される。
- 史跡(国指定) 1933年(昭和8年)4月13日指定
- 龍角寺境内の塔址 - 建立当初は33m程の三重の塔が建っていたと推考される。(龍角寺縁起による)。現存する花崗岩は、塔の中心を通る柱の基礎である。またこの中心礎は"不増・不滅の石"といわれ、柱が収まる穴に溜まった水は、大雨でも日照りでも増減しなかったと言い伝えられている。
- 千葉県指定有形文化財 1965年(昭和40年)4月27日指定
- 龍角寺出土遺物 - 1934年(昭和9年)の塔跡保存工事により発掘された。瓦は奈良時代前期の物といわれている。
- その他
- 校倉作り資料庫 - 明治初期建造の物で、当初、宮内庁下総御料牧場にあった物だが、空港建設に伴い境内に移築された。
[編集] 所在地
- 千葉県印旛郡栄町龍角寺239
[編集] 参考文献
- 日本歴史地名大系 千葉県の地名、平凡社
- 角川日本地名大辞典 千葉県、角川書店
- 千葉大百科事典、千葉日報社、1982年
- 関東古寺の仏像、久野健監修、川尻祐治編、芸艸堂、1976年