夕焼小焼
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夕焼小焼(ゆうやけこやけ)は、1919年に発表された中村雨紅の詞に、草川信が1923年に曲をつけた童謡で、童謡としては最もポピュラーなものの一つである。美しいけれどもちょっぴり寂しい、田舎の夕暮れを唄った叙情的な歌詞と、ゆったりとして歌いやすいヨナ抜き音階の曲がよくマッチした、日本の代表的な抒情歌である。
作詞者の中村雨紅には、数十の作品があるが、現在も歌われているのはこの曲だけである。作曲者の草川信は、作品数が少なく、比較的知られている作品には、ほかに緑のそよ風と「兵隊さんの汽車」(戦後「汽車ポッポ」と改題され、歌詞も大幅に変更された)がある。
[編集] 夕焼小焼と八王子市
この歌の情景は、雨紅の故郷である東京府南多摩郡恩方村(現在の東京都八王子市)のものである。彼の生家の近くには「夕焼小焼」バス停が設置され、高尾駅と陣馬高原下を結ぶ路線のバスが停車する。かつては、不定期にボンネットバスの夕やけ小やけ号が運行されていた。 また、JR八王子駅の発車メロディは、各番線でアレンジは異なるものの、2005年12月25日より全ての番線でこの曲が使用されている。また、八王子駅のコンコースにはこの歌をイメージした壁画と歌碑が屋根の段差部分に取り付けられている。
[編集] その他のエピソード
- 戦時中、学童疎開している児童たちの間でこの歌の1番の替え歌が流行ったことがある。歌詞の内容として、前半部は原歌詞が否定形に変わり(寺院の鐘が鉄材供出に巻き込まれた、などの意味を含む)、後半部は戦争の未終結やそれにより我が家を恋しむ児童たちの悲哀が描かれている。
- 岐阜県多治見市に本店を構える金融機関、東濃信用金庫の一部店舗では、前身の一つ「多治見信用金庫」時代から平休日問わず17時(JST)になると店舗屋上の行名塔下に設置されたトランペットスピーカーからこの曲(インスト)が流れ、それが店舗周辺の小学生たちの帰宅の合図となっていた。しかし、騒音問題や装置の老朽化もあって1980年代前半には惜しまれつつ廃止された。
- 1970年代後半には、お笑い芸人の松鶴家千とせによりR&B調にアレンジされたバージョンが歌われたことがある。もちろん、現在でも彼のスタンダードなギャグ「俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。父さんが胸やけで、母さんが霜やけだった。わっかるかなァ~? わっかんねぇだろうなァ~…」の前フリとして使われている。
- 1990年代を代表する音楽バラエティ番組、日本テレビ「夜も一生けんめい。→THE夜もヒッパレ」の改編期及び年末特番「芸能人ザッツ宴会テイメント」の番組エンディングでは、グッチ裕三のリードボーカルによる「グッドナイト・ベイビー」(オリジナルはザ・キングトーンズ)が、後半部を「夕焼小焼」とコラボレーションさせて歌われていた(年末の場合は「お正月」とコラボさせていたこともあった)。
- 2008年2月29日に日本の歌手、絢香の呼びかけにより日本武道館で開催されたスペシャルライブ「POWER OF MUSIC」では、絢香、平原綾香、コブクロ、大橋卓弥fromスキマスイッチ、若旦那from湘南乃風ら出演者全員がラストでアカペラによる「夕焼小焼」を歌唱しライブを締めた。
- 第一次世界大戦後から太平洋戦争終結まで日本の委任統治領となっていたパラオ諸島では、当時数多くの日本の歌曲が現地に伝えられたが、「夕焼小焼」もそのような歌曲の一つであった。現在でも日本人を歓迎する式典の際に島の娘が踊りながら「夕焼小焼」を歌唱することがあり、その模様が2008年3月1日にテレビ静岡開局40周年記念番組としてフジテレビ系全国ネットで放映のドキュメンタリー「親子ジュゴンに逢いたい!」(ナビゲーター:石川さゆり、杉浦太陽)で紹介された。