松鶴家千とせ
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松鶴家 千とせ(しょかくや ちとせ、1938年1月9日 - )は、日本の漫談家、司会者。本名は小谷津英雄。東京演芸協会常任理事、南相馬市ふるさと親善大使、東京都足立区在住。
「わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~」のギャグと、「いぇーい」で決めるピースサインのポーズで有名。どんな相手にも「ですます調」で話す人格者で、芸人仲間からの信頼も厚い。
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[編集] 来歴
福島県南相馬市出身。1953年に上京し、松鶴家千代若・千代菊に入門。歌手修業を積みつつ理容師免許を取得し、1967年に三代目松鶴家千とせを襲名。トレードマークのあごひげとアフロヘアーは自前でセットしていたが、最近はカツラを使用している。
時代劇ネタの他、ジャジーなスキャットに民謡や邦楽を融合させた独特の和風メルヘンの世界を築き、客をどん引きさせていたが、自分の芸が通じないボヤキで発した「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ~」の苦し紛れのギャグが受けるようになり、1974年頃「ヘヘェ~イ、シャバダバダディ~、イェーイ。俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。父さん胸やけ、母さん霜やけ」と哀愁を込めて歌いかける、『夕焼け小焼け』の替え歌漫談で突如ブレイクした。
1975年にシングルレコード『わかんねェだろうナ』をリリースし、約140万枚を売り上げた[1]。その余勢を駆って、1976年には東映の大ヒットシリーズ『トラック野郎』第3作に「わかンねえだろうナ」の行燈を掲げたトラック運転手ニヒル役で出演し、OPシーンを飾る。同年、放送演芸大賞(漫談部門)受賞。
ちょうど同じ頃、共に長い下積みを経て大ブレイクした歌手の子門真人とは、ソウルファッションが似ていたため、しばしば混同されたという。余りに売れ過ぎて心身共に疲れ果ててしまい、一時休業していた点でも共通する。
1990年頃、NOVAのCMでナレーションと歌を担当し、再び脚光を浴びる。
寄席高座の他、美声を活かして歌手や司会者としても息の長い活動を続ける一方、森進一が率いた「じゃがいもの会」のパロディ「全国さつまいもの会」を東京の喜劇役者仲間と共に結成し、刑務所、老人ホーム、海外在留日系人等の慰問や、阪神・淡路大震災のチャリティコンサートなど、ボランティア活動にも精力的に取り組んでいる。
[編集] 出演
[編集] TV
- タモリのネタでNIGHTフィーバー! (フジテレビ)
- お笑いスター誕生(日本テレビ)
- 演歌街道(テレビ埼玉)
- ミュージックメモリー(とちぎテレビ 司会)
[編集] ラジオ
- 松鶴家千とせ・ひるやけラジオ (かつしかFM・出演中)
- 真打競演(NHKラジオ第1)
- 千とせのふり向けば演歌(アール・エフ・ラジオ日本)
- 千とせのオイデナセー(茨城放送)
[編集] CM
- 日清焼そばU.F.O. (日清食品)
- リカーワールド華(福井県の酒販店チェーン)
[編集] 映画
[編集] 弟子
- ビートきよし(松鶴家二郎)
- 松鶴家ひとり
- 松鶴家錦市
- 松鶴家デビル
- 松鶴家あゆみ
- 松鶴家こうじ
- ザビエル鈴木
- PONTA
[編集] 兄弟弟子
[編集] 外部リンク