ボンネットバス
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ボンネットバスは、バスの形態の1つで、運転席より前、客室外のフロント部にエンジンを設けた構造である。
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[編集] 概説
バスにおいては古くから存在する形態である。
この構造では、エンジンの保守、放熱と客室の安静化に効果があるが、エンジンの上も客室として利用可能なリアエンジンバス等と比較すると、ボンネット部の空間は単なる機器スペースということになり、その分輸送効率は低下する。
しかし、客室の床下にエンジンを置いていないことから、低床化が容易である。このため、オムニノーバ・マルチライダーやクセニッツなど、近年の小型ノンステップバスでは、エンジンの搭載位置をボンネットバスと同様、運転席より前のフロント部分とした車両も登場している。これらの車両は、使用目的が地域コミュニティ路線向けであることから、必ずしも大量輸送に最適化されている必要はなく、バリアフリーの観点から乗降性を優先したために、この構造が採用されたものである。
[編集] 日本のボンネットバス
[編集] 山間部で残存した理由
日本においては、大量輸送時代とともにボンネットバスの導入例が減少し、1971年には量産タイプのボンネットバスの製造は中止されることになった。しかし、製造中止後も、ボンネットバスは山間部の路線を中心に使用されていた。
ボンネットバスの最大の利点はその構造上、前輪タイヤが運転手より前に位置していることである。そのため、山間部の狭隘な道路においては運転手が路肩の位置を把握しやすく、そのことが運転のしやすさにつながっていた。また、集落においては通常の箱型車体のバスではどうしても民家の軒が支障となるケースもあったが、ボンネットバスでは軒下にボンネット部分をくぐらせることによって通過可能であった。このため、ボンネットバスを通常の箱型車体のバスに置きかえるにあたっては、バス会社が民家にお願いして、軒を切り詰めてもらったという逸話もある。しかし、これらも道路の整備とともに改善され、ボンネットバスである必然性は失われていった。
1981年に江若交通のボンネットバスが、1984年には呉市交通局のボンネットバスが運用から外れたことで、観光・イベント用以外のボンネットバスはいったん日本からは消えることとなった。
[編集] 観光用・話題作りの方策へ
その一方、1970年代後半以降は、観光路線において目玉車両として運行する例も登場する。その嚆矢となったのが、1976年6月より運行を開始した、東海自動車「伊豆の踊子号」である。以後、観光用の路線バスとして運行されているものが増加してゆくことになる。最後までボンネットバスを製造していたのがいすゞだったため、現在残る車両もいすゞ車が多い。
また、1987年に上毛電気鉄道で運行を開始した日野BH15型は、バス利用促進のための話題作りとして、廃車になっていたバスをレストアしたもので、ダイヤ限定ながら通常の生活路線で利用されていた。以後、廃車になっていたボンネットバスをレストアして、営業運行に使用するケースも散見されるようになった。
[編集] 排出ガス規制への対応
しかし、いかに観光用としての保存車両とはいえ、営業用として運行する以上、排出ガス規制から逃れることはできない。また、製造中止から相当な年月が経過し、部品の確保も困難となり、運行継続が困難となった。このため、上毛電気鉄道のボンネットバスは1993年に運行を中止(同社はバス事業からも撤退、バスは日野に引き取られた)、その後も西東京バス「夕やけ小やけ号」のように、ボンネットバスの運行を終了するケースが多くなった。
その一方、神戸市交通局「こべっこII世号」のように、排出ガス規制に対応したトラック用のシャーシをベースにして、ボンネットバスのレプリカを作成したり、磐梯東都バス「森のくまさん号」のように廃食用油を原料としたバイオディーゼル燃料を使用して、環境に優しいバスをアピールする方策も見られるようになっている。なお、「こべっこII世号」については、2006年にCNGバスへの改造が行なわれている。
また、フロントエンジンのマイクロバスの車体を改造して、ボンネットバスに仕立てるケースもあり、送迎車やコミュニティバス向けに市販されている。
ボンネットバス トヨタ・FB |
バイオディーゼル燃料で走る磐梯東都バス「森のくまさん号」いすゞ・BXD30 |
山岳地用の四輪駆動ボンネットバス・岩手県北バス「八幡平号」いすゞ・TSD40改 |
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