問責決議
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問責決議(もんせきけつぎ)とは国又は地方自治体の議会において、政治任用職にある者(閣僚等)又は議会の役員(議長・委員長等)の責任を問うことを内容として行われる決議をいう。類似のものとして不信任決議(信任決議)、解任決議、辞職勧告決議などがある。
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[編集] 概説
日本の国会においては参議院で行われる国会決議の例が多い。参議院には内閣不信任決議権が無いため、その代替手段として問責決議によって政権への政治責任を問う。ただ、内閣不信任決議と異なり法的根拠が無いため可決しても法的拘束力は無いが、公的な決定であることには変わりはない。
可決されると参議院の閣僚等への問責の意思表示が示されることになり、問責された閣僚等が出席する国会において野党議員が問責決議があることを大義名分として出席しない(審議拒否)などの行動を取ることが予想される[要出所明記]。日本国憲法第63条で首相と閣僚の国会出席権と発言権が明記されているが国会委員会の定足数は定数の半数であるため、もし参議院で野党が過半数を占める場合、当該閣僚等が出席してくる参議院委員会において野党議員が全員欠席すれば参議院委員会を開くことはできず、当該閣僚等の参議院委員会での発言権が事実上封じられ国会審議が混乱する。国会審議混乱は政権にとって痛手になるため、国会が平常化するには当該大臣等の辞任が望ましいとされ、問責決議可決は当該閣僚等の辞任につながる政治的効果があると考えられている[要出所明記]。また首相の閣僚任命責任にも繋がることであるため、首相が問責閣僚等を更迭しない場合、首相問責決議を提出する一つの口実になる。
一方で問責された閣僚等が出席する国会への審議拒否という行動には、世論の支持を得るかによって審議拒否という対応を貫き通せるかが決まってくる。もし問責となる大義名分が不十分であるために野党議員の審議拒否への世論の批判が強くなった場合、野党議員は国会審議に復帰せざるを得なくなると考えられている。当該閣僚等が辞任することなく野党議員が国会審議に復帰した場合、問責決議可決が当該閣僚等を辞任させるという政治的効果はなくなる。
世間が参議院での野党への反発を強めても野党が参議院での審議拒否を改めない場合、最終的な解決手段として内閣が参議院での閣僚等問責決議と野党の審議拒否を選挙の争点して衆議院を解散し総選挙を行うことも予想される[要出所明記]。総選挙で問責閣僚等が立候補をして、問責当事者が当選をした場合は閣僚等の続投を正当化ができる。総選挙で与党が勝利をしたら、野党議員は国会審議に復帰せざるを得なくなると考えられている[要出所明記]。
野党が過半数を占める参議院での全面的な審議拒否が強行されると、政権運営に必要な法案の審議と可決できない問題が生じる。しかし衆議院で与党が議席の3分の2以上を占めている場合、参議院審議が進まなくても衆議院の再可決で政権運営を行うことが可能となり政権運営に必要な法案の可決ができないという問題はなくなる。前述の解散総選挙は与党が議席の3分の2以上の議席を獲得することを究極の目標とする対処方法ともいえる[要出典]。
また内閣不信任決議が内閣を対象としたものであるのに対し、問責決議は内閣総理大臣、国務大臣、副大臣などの個人が対象となる。
なお衆参各院の役員のうち常任委員長については本会議での決議により解任できることとなっているため(国会法)、解任まで求める場合は「解任決議」が問責的な場合は不信任決議が行われる。決議による解任規定の無い議長、副議長、事務総長等に対しては「不信任決議」が、特別委員長に対しては問責決議がそれぞれ用いられる。国会議員に対して院外における不祥事などが理由とされる場合は「辞職勧告決議」が用いられる。
参議院では長年与党が過半数の議席を有しており本会議で可決した例はわずか2例[1]だけである。だが、2007年の参院選において自民党は参議院第一党を民主党に譲り、野党が過半数を占めたため問責決議案は可決されやすい状況となっており、2008年6月11日には現行憲法下初となる首相への問責決議案が可決された。首相への問責決議案可決は、参議院として内閣不信任ということと同じ意味を持つ。
本会議ではなく、国会委員会で問責決議が採決されることもある。委員会での問責決議可決例として、1954年12月4日に衆議院予算委員会で吉田茂内閣総理大臣への問責決議案の可決がある。吉田内閣は3日後の12月7日に総辞職した(12月10日まで職務執行内閣)。
[編集] 参議院において国務大臣等への問責決議等を議決した例
本会議採決日 | 問責対象者 | 役職 | 採決 | 可 | 否 | 票差 | 備考 |
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1956年(昭和31年)3月5日 | 鳩山一郎 | 内閣総理大臣 | 否決 | 41 | 100 | 59 | 戒告決議案。 |
1956年(昭和31年)5月30日 | 河野一郎 | 国務大臣 | 否決 | 67 | 123 | 56 | 戒告決議案。補職は農林大臣。 |
1964年(昭和39年)6月20日 | 賀屋興宣 | 法務大臣 | 否決 | 48 | 122 | 74 | 参議院初の問責決議案採決例。 |
1965年(昭和40年)10月28日 | 福田赳夫 | 外務大臣 | 否決 | 106 | 132 | 26 | |
1971年(昭和46年)11月9日 | 田中角榮 | 通商産業大臣 | 否決 | 110 | 133 | 23 | |
1972年(昭和47年)6月16日 | 佐藤栄作 | 内閣総理大臣 | 否決 | 108 | 131 | 23 | 参議院初の首相問責決議案採決例。 |
1973年(昭和48年)9月22日 | 山中貞則 | 防衛庁長官 | 否決 | 83 | 129 | 46 | |
1973年(昭和48年)9月24日 | 奥野誠亮 | 文部大臣 | 否決 | 85 | 127 | 42 | |
1974年(昭和49年)5月27日 | 奥野誠亮 | 文部大臣 | 否決 | 62 | 95 | 33 | |
1974年(昭和49年)7月31日 | 田中角榮 | 内閣総理大臣 | 否決 | 121 | 128 | 7 | 否決例における最小の票差。 |
1975年(昭和50年)12月12日 | 大平正芳 | 大蔵大臣 | 否決 | 114 | 125 | 11 | |
1975年(昭和50年)12月24日 | 三木武夫 | 内閣総理大臣 | 否決 | 117 | 127 | 10 | |
1983年(昭和58年)5月25日 | 中曽根康弘 | 内閣総理大臣 | 否決 | 63 | 109 | 46 | |
1988年(昭和63年)12月24日 | 竹下登 | 内閣総理大臣兼大蔵大臣 | 否決 | 98 | 136 | 38 | |
1988年(昭和63年)12月24日 | 梶山静六 | 自治大臣・国家公安委員長 | 否決 | 83 | 136 | 53 | |
1988年(昭和63年)12月24日 | 林田悠紀夫 | 法務大臣 | 否決 | 77 | 134 | 57 | |
1992年(平成6年)6月7日 | 宮澤喜一 | 内閣総理大臣 | 否決 | 100 | 135 | 35 | |
1994年(平成8年)1月26日 | 畑英次郎 | 農林水産大臣 | 否決 | 106 | 130 | 24 | |
1995年(平成9年)6月14日 | 村山富市 | 内閣総理大臣 | 否決 | 62 | 158 | 96 | 記名投票における最大の票差。 |
1998年(平成10年)6月17日 | 橋本龍太郎 | 内閣総理大臣 | 否決 | 97 | 128 | 31 | |
1998年(平成10年)10月16日 | 額賀福志郎 | 防衛庁長官 | 可決 | 140 | 103 | 37 | 参議院初の可決例。35日後の11月20日に辞任。 |
1999年(平成11年)8月12日 | 小渕恵三 | 内閣総理大臣 | 否決 | 77 | 140 | 63 | |
1999年(平成11年)8月12日 | 陣内孝雄 | 法務大臣 | 否決 | 91 | 137 | 46 | |
2000年(平成12年)5月31日 | 森喜朗 | 内閣総理大臣 | 否決 | 108 | 134 | 26 | |
2001年(平成13年)3月14日 | 森喜朗 | 内閣総理大臣 | 否決 | 105 | 138 | 33 | |
2001年(平成13年)4月5日 | 武部勤 | 農林水産大臣 | 否決 | 102 | 114 | 12 | |
2001年(平成13年)7月31日 | 小泉純一郎 | 内閣総理大臣 | 否決 | 97 | 135 | 38 | |
2002年(平成14年)7月16日 | 竹中平蔵 | 国務大臣 | 否決 | 100 | 137 | 37 | 補職は経済財政政策担当大臣。 |
2003年(平成15年)7月24日 | 川口順子 | 外務大臣 | 否決 | 103 | 136 | 33 | |
2003年(平成15年)7月24日 | 石破茂 | 防衛庁長官 | 否決 | 104 | 135 | 31 | |
2003年(平成15年)7月25日 | 福田康夫 | 国務大臣 | 否決 | 103 | 138 | 35 | 主な補職は内閣官房長官。 |
2004年(平成16年)6月5日 | 坂口力 | 厚生労働大臣 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 閣僚問責決議では唯一の起立採決 |
2006年(平成18年)12月15日 | 伊吹文明 | 文部科学大臣 | 否決 | 98 | 132 | 34 | |
2007年(平成19年)6月29日 | 柳澤伯夫 | 厚生労働大臣 | 否決 | 97 | 115 | 18 | |
2007年(平成19年)6月29日 | 安倍晋三 | 内閣総理大臣 | 否決 | 94 | 112 | 18 | |
2008年(平成20年)6月11日 | 福田康夫 | 内閣総理大臣 | 可決 | 131 | 105 | 26 | 参議院初の内閣総理大臣に対する可決例。 |
※太字は問責決議可決例
※役職欄に記載の職名は当該問責決議案の題名に用いられた表記による(必ずしも法的に正式な表記ではない)。
※これらのほかにも、決議案提出後(撤回、会期終了等により)採決に至らなっかったものが多数ある。
[編集] 参議院の特別委員長への問責決議を議決した例
本会議採決日 | 問責対象者 | 役職 | 採決 | 可 | 否 | 票差 | 備考 |
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1965年(昭和40年)12月9日 | 寺尾豊 | 日韓条約等特別委員長 | 否決 | 83 | 102 | 19 | |
1975年(昭和50年)7月3日 | 中西一郎 | 公職選挙法改正に関する特別委員長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1982年(昭和52年)7月16日 | 上田稔 | 公職選挙法改正に関する特別委員長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1983年(昭和58年)11月28日 | 松浦功 | 選挙制度に関する特別委員長 | 否決 | 少数 | 多数 | 不明 | 起立採決。 |
1988年(昭和63年)12月24日 | 梶木又三 | 税制問題等に関する調査特別委員長 | 否決 | 89 | 135 | 46 | |
1992年(平成4年)6月8日 | 下条進一郎 | 国際平和協力等に関する特別委員長 | 否決 | 99 | 136 | 37 |
[編集] 内閣総理大臣問責決議
参議院で首相問責決議が可決されれば、閣僚問責決議と同じく首相が出席する国会審議において野党議員が出席を拒否する事態が想定される[要出所明記]。首相問責決議可決されれば、首相が出席してくる参議院委員会において野党議員が全員欠席すれば参議院委員会を開くことはできず首相の参議院委員会での発言権が事実上封じられ、国会審議が混乱する。事実上内閣不信任決議可決と同じ行為があり、首相は内閣総辞職するか衆議院解散するかに追い込まれると考えられている[要出所明記]。
一方でそのような考えに対し、問責決議に法的拘束力がないことから首相問責決議可決に対しては憲法で規定された内閣信任決議を衆議院で可決させて、憲法上の内閣信任という効力を持たせ法的根拠のない首相問責決議効果に対抗する方法が存在する。また、首相問責決議可決に対して内閣総辞職も衆議院解散もしないために国会が大混乱した場合は衆議院議長と参議院議長が連名で斡旋案を提示する可能性もある。議長の斡旋として衆議院解散という形で与党に譲歩を求めるか、首相続投を前提にした上で首相の参議院での弁明等で決着という形で野党に譲歩を求める方法がある。ただこれも議長の権威にかかっており議長斡旋案に対し衆議院解散という斡旋を与党が拒否した場合、又は参議院での首相弁明で決着という斡旋を野党が拒否した場合は後の制度的手立てが存在しない。首相問責決議が可決されて内閣総辞職も衆議院解散もしない首相(または首相弁明での決着を斡旋する両院議長)、審議拒否で国会審議を停滞させ内閣総辞職か衆議院解散を要求する野党(または国会混乱を理由に衆議院解散を斡旋する両院議長)のどちらを世間が支持するかで内閣総辞職するか衆議院解散するかに追い込まれるか否かが決まってくるとされる[要出所明記]。
[編集] 関連書籍
- 「リベラルタイム2008年2月号」