和田春樹
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和田 春樹 (わだ はるき、1938年1月13日 - )は、日本の歴史学者。社会科学研究家。東京大学名誉教授。運動家。専門は、ソ連史・ロシア史、朝鮮現代史。大阪府生まれ。
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[編集] 略歴
- 静岡県立清水東高等学校卒業
- 1960年3月 東京大学文学部西洋史学科卒業
- 1960年4月 東京大学社会科学研究所助手
- 1966年 東京大学社会科学研究所講師
- 1968年 東京大学社会科学研究所助教授
- 1985年 東京大学社会科学研究所教授
- 1996年4月 東京大学社会科学研究所所長(1998年3月まで)
- 1998年3月 東京大学退官
- 1998年5月 東京大学名誉教授
- 2001年4月 東北大学東北アジア研究センター客員教授
[編集] 家族
夫人はロシア文学者の和田あき子。長女・和田真保は練馬区区議会議員をつとめた。
[編集] ソ連史家
ソ連史、とりわけロシア革命史の研究者としての和田は従来、ソ連共産党を正統とする史観の中で抹殺されてきた勢力への関心で知られる。
[編集] 民衆側の共産主義
[編集] 政変
1980年代、ペレストロイカが進行中の時期には、その方向性について共感を表明していた。1990年代になり「急進改革派」が登場し、社会主義体制への批判を強めてからは、隠すことなく強い支持をした。しかしその一方、彼らがもつ社会秩序を崩す側面について自分では熟知していながら、公的な場ではそれに関する言及を(政治的配慮から)あえて避けていたため、後輩の塩川伸明や下斗米伸夫からかつての「進歩的知識人」の誤りを繰り返すものとして厳しい批判を浴びた。また塩川からは、和田がソ連・東欧社会主義の崩壊を一貫して「国家社会主義の崩壊」と規定していることに対して、その用語の曖昧さ、及び「国家社会主義」でない社会主義というものがあり得ると考えるのか否かについて言及がないことについても批判をされている。
[編集] 朝鮮・韓国
インテリゲンツィアにとどまらず、民衆の日常に目を向ける和田の研究態度は、朴正煕時代の韓国でも民衆との連帯を志向している。国際的な市民運動家として広く知られた。
[編集] 批評
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)現代史研究に着手したのは、この経験からといわれる。北朝鮮研究において和田は学問的な功績を日本の共産主義研究者に認められているものの、北朝鮮を「遊撃隊国家」と規定し続けるなど提唱モデルは曖昧だと批判もされている。
[編集] アジア平和
市民連帯活動では、韓国の民主化運動において、特に金大中救出運動において広い関心を起こしている。その後も在日朝鮮人の社会処遇、戦後補償についても発言・活動している。
- 北朝鮮の日本人拉致については否定的な見解を示すなどし、結果として『諸君!』、『正論』等からは激しい批判が加えられるに至った。
- 朝鮮人従軍慰安婦問題については、当時の日本政府に批判的であるが、他方、女性のためのアジア平和国民基金呼びかけ人および理事を務めたことで、朝鮮人慰安婦の側に立とうとする運動内部からも厳しく批判されている。
北朝鮮に宥和的な態度をとってきた和田の影響力は小泉首相の北朝鮮訪問・協議以後勢いが衰え、報道で紹介を受けることも少ない。 コリアNGOセンター専門委員。
[編集] 論争
[編集] アジア女性基金報告書執筆をめぐる秦郁彦との確執
歴史学者・秦郁彦とは各種の事実認定や歴史解釈をめぐり何度も論戦。二人の出会いは、財団法人アジア女性基金の資料委員会委員を和田とともにつとめたことによる。秦は大蔵官僚出身で昭和財政史占領戦後編の編纂に携わってことから役人や自民党関係者との人脈が豊富であった。社会党との関係が厚く村山内閣時代に開始されたアジア女性基金の発起人であった和田や大沼保昭等は、衛藤瀋吉などの保守人脈をも網羅した国民的運動としてアジア女性基金を展開すべく、秦を資料委員として受け入れ、資料による実証的研究を共に推進する考えであった
しかし、秦が同基金の助成を受けアメリカで調査を行い、それを受けて当時、発行予定であった同基金報告書に寄稿するように要請されたことを契機に、和田と秦との関係は一変した。
秦の提出した慰安婦に関する報告について、和田が加えた批判は以下の点であった。
- アジア女性基金の設立そのものが、当時の村山談話を根拠とするものであるにもかかわらず、秦の文章には、財団設立の趣旨・理念を踏まえないエッセイ的記述が多数見られる。
- 各自のイデオロギー的立場を越えた資料実証研究を行うという資料委員会の申し合わせに反する。
それを根拠に、和田と同基金資料委員会委員長であった高崎宗司は秦に対して、文章の撤回を打診(その権限について秦は疑問を提示、また、秦によればそれは打診ではなく査問であったという)したが秦は拒否。
混乱の後、最終的には「権限の有無を別として和田・高崎が没を希望、秦がそれを受け入れる」という形で秦論文は未掲載となった。
最終的に取りまとめられたアジア女性基金の報告書、没になった秦の文書で転載されたもの、秦の側の見解表明は以下。
- アジア女性基金『「慰安婦」問題調査報告・1999』〔全文ダウンロード可能〕[1]
- 秦郁彦「『慰安婦伝説』--その数量的観察」『現代コリア』1999年2月〔転載〕。
- 秦郁彦「天皇訪韓を中止せよ!『アジア女性基金』に巣喰う白アリたち」『諸君』1999年2月号(同『現代史の対決』文藝春秋2005年に大部分が掲載)。
[編集] 教科書問題
また、扶桑社教科書をテーマとした2001年5月のTV討論番組「朝まで生テレビ」では和田が「戦前ロシアが朝鮮北部に軍事基地を建設したと扶桑社教科書は書いているが、これは伐採場でしかない。」と批判。秦はこれに対し「岩波書店『近代日本総合年表』にも『軍事根拠地の建設を開始』と書いてある。しかも、その編集委員の一人は抗議記者会見を貴方と一緒に開いた隅谷三喜男さんだ」と指摘している。
[編集] 著作
[編集] 単著
- 『近代ロシア社会の発展構造――1890年代のロシア』(東京大学社会科学研究所, 1965年)
- 『ニコライ・ラッセル――国境を越えるナロードニキ](上・下)』(中央公論社, 1973年)
- 『マルクス・エンゲルスと革命ロシア』(勁草書房, 1975年)
- 『農民革命の世界――エセーニンとマフノ』(東京大学出版会, 1978年)
- 『韓国民衆をみつめること』(創樹社, 1981年)
- 『韓国からの問いかけ――ともに求める』(思想の科学社, 1982年)
- 『私の見たペレストロイカ――ゴルバチョフ時代のモスクワ』(岩波書店[岩波新書], 1987年)
- 『北の友へ南の友へ――朝鮮半島の現状と日本人の課題』(御茶の水書房, 1987年)
- 『ペレストロイカ――成果と危機』(岩波書店[岩波新書], 1990年)
- 『北方領土問題を考える』(岩波書店, 1990年)
- 『ロシアの革命1991』(岩波書店, 1991年)
- 『開国――日露国境交渉』(日本放送出版協会[NHKブックス], 1991年)
- 『金日成と満州抗日戦争』(平凡社, 1992年)
- 『歴史としての社会主義』(岩波書店[岩波新書], 1992年)
- 『ロシア・ソ連』(朝日新聞社, 1993年)
- 『朝鮮戦争』(岩波書店, 1995年)
- 『歴史としての野坂参三』(平凡社, 1996年)
- 『北朝鮮――遊撃隊国家の現在』(岩波書店, 1998年)
- 『北方領土問題――歴史と未来』(朝日新聞社[朝日選書], 1999年)
- 『ロシア――ヒストリカル・ガイド』(山川出版社, 2001年)
- 『朝鮮戦争全史』(岩波書店, 2002年)
- 『朝鮮有事を望むのか――不審船・拉致疑惑・有事立法を考える』(彩流社, 2002年)
- 『日本・韓国・北朝鮮――東北アジアに生きる』(青丘文化社, 2003年)
- 『東北アジア共同の家――新地域主義宣言』(平凡社, 2003年)
- 『同時代批評――日朝関係と拉致問題』(彩流社, 2005年)
- 『テロルと改革――アレクサンドル二世暗殺前後』(山川出版社, 2005年)
- 『ある戦後精神の形成 1938-1965』(岩波書店, 2006年)
[編集] 共著
- (和田あき子)『血の日曜日――ロシア革命の発端』(中央公論社[中公新書], 1970年)
- (前田哲男)『くずれる国つながる国――ロシアと朝鮮日本近隣の大変動』(第三書館, 1993年)
- (高崎宗司)『検証日朝関係60年史』(明石書店, 2005年)
[編集] 編著
- 『レーニン』(平凡社, 1977年)
- 『ロシア史の新しい世界――書物と史料の読み方』(山川出版社, 1986年)
- 『ペレストロイカを読む――再生を求めるソ連社会』(御茶の水書房, 1987年)
- 『ロシア史』(山川出版社, 2002年)
[編集] 共編著
職のいきさつから東京大学社会科学研究所の研究者との共著が多い。
- (高崎宗司)『分断時代の民族文化――韓国[創作と批評]論文選』(社会思想社, 1979年)
- (梶村秀樹)『韓国の民衆運動』(勁草書房, 1986年)
- (梶村秀樹)『韓国民衆――学園から職場から』(勁草書房, 1986年)
- (梶村秀樹)『韓国民衆――「新しい社会」へ』(勁草書房, 1987年)
- (小森田秋夫・近藤邦康)『「社会主義」それぞれの苦悩と模索』(日本評論社, 1992年)
- (近藤邦康)『ペレストロイカと改革・開放――中ソ比較分析』(東京大学出版会, 1993年)
- (田中陽兒・倉持俊一)『世界歴史体系・ロシア史(全3巻)』(山川出版社, 1994-1997年)
- (家田修・松里公孝)『スラブの歴史』(弘文堂, 1995年)
- (水野直樹)『朝鮮近現代史における金日成』(神戸学生青年センター出版部, 1996年)
- (大沼保昭・下村満子)『「慰安婦」問題とアジア女性基金』(東信堂, 1998年)
- (隅谷三喜男)『日朝国交交渉と緊張緩和』(岩波書店, 1999年)
- (石坂浩一)『現代韓国・朝鮮』(岩波書店, 2002年)
- (高崎宗司)『北朝鮮本をどう読むか』(明石書店, 2003年)
[編集] 訳書
- 『金大中獄中書簡』(岩波書店, 1983年)
- アレク・ノーヴ『スターリンからブレジネフまで――ソヴェト現代史』(刀水書房, 1983年)
- アレクサンドル・チャヤーノフ『農民ユートピア国旅行記』(晶文社, 1984年)