千昌夫
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千 昌夫 | |
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基本情報 | |
出生名 | 阿部 健太郎 |
出生日 | 1947年4月8日(61歳) |
学歴 | 水沢第一高等学校中退。 |
出身地 | 岩手県陸前高田市 |
ジャンル | 演歌 |
職業 | 演歌歌手 |
活動期間 | 1965年 - |
レーベル | ミノルフォン→ 徳間ジャパン |
事務所 | 第一プロダクション→(有)ジュクネン |
共同作業者 | 遠藤実 |
公式サイト | [1] |
千 昌夫(せん まさお 本名:阿部健太郎、1947年4月8日 - )は演歌歌手。プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスファンクラブ名誉会員(会員No.7)。
目次 |
[編集] 来歴
1965年、作曲家遠藤実に入門。同年9月、『君が好き』でデビュー。
ヒット曲に『星影のワルツ』『北国の春』などがある。
1972年、アメリカ人歌手ジョン・シェパードと結婚し、松下電器の「パナカラー・クイントリックス」やいすゞ自動車のアスカ、象印マホービンのCMに夫婦で出演したが、1988年に離婚した。後に外国人の女性(アマンダ夫人)と再婚し、子供を3人設ける。
陸前高田市には「キャピタルホテル1000」という千昌夫が関与したホテルが存在する。
バブル期には「歌う不動産王」、「ホテル王」と呼ばれるほど、世界各地にマンションやビルなどを所有していた。一時はホノルルの殆どのホテルが千昌夫の持ち物と呼ばれるほどで、物真似でもよく「おら金もってんどー」というネタが使われたが、バブル崩壊とともに借金が膨れ上がり、個人事務所「アベインターナショナル」は経営破綻した。現在、1,000億円を超える借金を抱えていると言われる(ただし、自己破産は行っていない)。その借金の殆どは旧長銀から借り入れた金であり、一時国有化による公的資金投入で一時期3,000億円を超えた借金は、1,000億円にまで棒引きされた。
[編集] 代表曲
- 星影のワルツ(1966年)
- 元々1966年3月にシングル B 面として発売。1967年秋頃から有線放送で火がつきだし、『星影のワルツ』をA面扱いで再発したところ 250 万枚の売上になる。
- 君がすべてさ(1968年)
- アケミという名で十八で(1973年)
- 北国の春(1977年)
- 1978年頃からヒットし始め、1979年に大ブレイク。最終的に 300 万枚の売上[1]。日本以外のアジア各国でも大ヒットした。紅白歌合戦では1977年~1979年まで 3 年連続でこの曲を歌唱。中国では、2005年現在でも最も有名な日本の楽曲の一つ。
- 味噌汁の詩(1980年)
- 望郷酒場(1981年)
- 夕焼け雲(1983年)
- 津軽平野(1984年)
- 作詞・作曲:吉幾三
- あんた(1985年)
- おやじ先生(1991年)
- 歌手復帰作
- めおとの旅(1993年)
- 阿部三登里とデュエット。自らによる作曲。
- 上野で五時半(1994年)
- コロッケとデュエット。「男同士の危ない恋愛」を歌う。
- 還暦祝い唄(2007年)
- 自身も還暦を迎えたこの年、人生の“豊穣”を温かく歌唱。
[編集] 主な出演番組
- NHK紅白歌合戦
- 年忘れにっぽんの歌
- NHKのど自慢
- 演歌流行歌
- ふたりのビッグショー
- 歌謡コンサート
- 徹子の部屋
- 午後は○○おもいッきりテレビ
- 千昌夫の評判家族
- 水戸黄門 第7部(1976年 TBS・C.A.L.)第18話「盗まれた印籠・山形」新八役
- 破れ奉行
[編集] その他
- CR北国の春(藤商事 大当たりの映像で、妻のアマンダ夫人と共演している。)
[編集] エピソード
- 人気絶頂時に超高級車、ロールス・ロイスを所有していたが、真夏の暑い時でもクーラーは切ったまま運転していたという。
- 「味噌汁の詩」での歌の中「あっぷるー」での台詞が有名だが、その後の「さよなら三角また来て四角」では、歌そのものよりも「ガガニコニンニン」といった歌の前の台詞が先行してしまった。
- ジョン・シェパードとの離婚裁判は、アメリカの裁判所で行われたため、結果的に財産の半分を持って行かれてしまった。その時は、「五百昌夫」と揶揄された。
- 子息が通学していた横浜のインターナショナルスクール、「セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ」が経営難で廃校されることになった際には、廃校反対デモに参加した。
- 千の事業はホテルや不動産投資が有名だが、その他にも居酒屋も経営しており、「安くて旨い」と業界内外を問わず評判が高く、かなりの繁盛であったが前述の借金から店を閉めざるを得なくなった。
- マスコミの借金報道が加熱した結果、「俺はマスコミのおもちゃじゃない!」と激怒。以来、マスコミとは距離を置いている。
- トレードマークの額のほくろはものまねタレントのコロッケが頻繁に真似ていたが、2000年に開運の意味も込めてレーザー手術で除去している。なおコロッケはその後もほくろありの千昌夫の真似をしている。
- 「北国の春」はマンガのドラえもんに登場するジャイアンの持ち歌の一つ。単行本30巻掲載の「ホンワカキャップ」で歌った。
[編集] CM
どちらも当時、妻だったジョン・シェパードと共演。
[編集] 脚注
- ^ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、241頁。ISBN 4390116495
- ^ 年表/会社概要[小澤音楽事務所] 年表'81-'85
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 千昌夫 - 徳間ジャパンによる公式ページ
オリコン年間シングルチャート第1位 1968年度 |
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前年: ※オリコン集計前の参考記録 ジャッキー吉川とブルーコメッツ 『ブルー・シャトウ』 |
千昌夫 『星影のワルツ』 |
次年: 由紀さおり 『夜明けのスキャット』 |