出口王仁三郎
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出口 王仁三郎(でぐち おにさぶろう)、1871年8月27日(明治4年7月12日 (旧暦)) - 1948年(昭和23年)1月19日)は、新宗教「大本」の教義を整備した実質上の教祖。大本では聖師と呼ばれている。
一部当時の新聞・雑誌等が「わにさぶろう」と書き立てて揶揄した事をきっかけに誤読が広まっているが、正確には「おにさぶろう」である。
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[編集] 生涯
[編集] 幼少
一般には明治4年7月12日 、現在の京都府亀岡市穴太(あなお)に、農業を営む上田家の長男上田 喜三郎(うえだ きさぶろう)として生まれたが、前年の明治3年誕生説もある[要出典]。祖母・上田宇能は、『日本言霊学』で有名だった中村孝道の妹にあたり、伝承や言霊学、迷信を初めとした知恵を持っていた。喜三郎は幼少時は登校さえ出来なかった虚弱体質児であったため、家でこの祖母にあれこれと教わり、おばあちゃん子として育った。また、近所ではその聡明さから「八つ耳」(直感力や理解力に優れた人間の意)、神童と言われていた[1]。
1883年(明治16年)、時代の混乱期に13歳にして集落の小学校の代用教員として奉職するも、正式な小学校教員が赴任してきた為、2年あまりで辞め農業に戻る。1893年(明治26年)(23歳)の頃から園部の牧場で働きながら牧畜の下積み生活をし、1896年(明治29年)(26歳)で独立し穴太精乳館を開業。搾乳・牛乳販売業を始める。
[編集] 宗教家へ
やがて、宗教や霊能に関心を持つようになり、1898年(明治31年)3月1日、松岡芙蓉(または「天狗」と名乗ったとも[1])と名乗る神使に伴われて、亀岡市内の霊山・高熊山に一週間の霊的修業をする。(『霊界物語』第1巻、第37巻、『本教創世記』参照)。その年の10月に一度、大本の開祖・出口なおを京都府綾部に訪ねている。翌年の7月に、なおの神示により招かれて再度綾部に行き教団を改善させ、後に戦前の巨大教団であった「大本」を形づくる。
1900年(明治33年)なおの末娘・出口澄と養子結婚し 入り婿となり、名前を自ら出口 王仁三郎に改める[2]。
1906年(明治39年)(36歳)、「皇典講究所」(現:「國學院大學」)教育部本科二年に入学。翌年卒業し、建勲神社に短期間奉職する。その後、亀山城を買収して綾部と並ぶ教団の本拠地にし、大正日日新聞を買収して言論活動に進出するなど教勢を伸ばすが、1921年(大正10年)、第一次大本事件で検挙。同年より『霊界物語』の口述と出版を始める。『霊界物語』では神界・幽界及び現界を通じた創造神である主神(すしん)の教えが、様々なたとえ話を用いて説かれており、教団内では人類救済の福音としての意味があると位置づけている。1923年(大正12年)には国際語エスペラントの教団活動への導入を試みる。
[編集] 出国、そして帰国
1924年(大正13年)2月、第一次大本弾圧事件による責付出獄中に大日本帝国を脱出して、モンゴル地方へ行き盧占魁(ろせんかい)という馬賊の頭領とともに活動する[3]が、同年6月パインタラにて張作霖の策謀により落命寸前の危機となる(パインタラの法難)も、王仁三郎とともに活動した植芝盛平をはじめ日本人6人は無事難を逃れ、翌月帰国する。
以後、新宗教の教団、「昭和神聖会」を結成するなど、幅広く様々な活動を展開するが、1935年(昭和10年)第二次大本事件により再び投獄された。1942年(昭和17年)に保釈出所し、1946年(昭和21年)2月、教団活動を「愛善苑」として新発足させている。
[編集] 晩年
戦後は綾部において、陶器を作ったり、絵を描いたり芸術に没頭した、[1]。 1948年(昭和23年)1月19日、その生涯を閉じた。享年78。綾部の天王平に埋葬されている。
[編集] 思想
- 「霊界」で起きたことは現実でも起きる」
[編集] 予言
「関東大震災」、「大東亜戦争とその敗戦などを予言したと言われている[1]。
- 1942年(昭和17年)に仮釈放された際、「わたしが出た日から日本の負け始めや」と声高に叫んだという[1]。
- 1944年(昭和19年)、「広島は最後にひどい目に会う。広島在住の者は疎開しなさい」と警告したという[1]。
[編集] 著作
主な著書に『霊界物語』(全81巻83冊)、『道の栞』、『霊の礎』、『本教創世記』、『出口王仁三郎全集』、『道の大本』など多数があり、歌集としては、『花明山』、『彗星』、『故山の夢』、『東の光』、『霧の海』、『愛善の道』などがある。また、日記的な著作物として『東北日記』、『ふたな日記』、『壬申日記』、『日月日記』などもある。
[編集] エピソード
- 予備校講師の出口汪、「メキキの会」会長出口光は曾孫にあたる。
- 後年にいわれた出生に纏わる秘話に有栖川宮熾仁親王の御落胤説があり、大元に対する弾圧の背景には大正天皇の皇位継承問題を危うくしかねないこの有栖川御落胤説を封印する目的があったという説もある[1]。
- 60歳のとき受けた大宅壮一のインタビューにおいて、1日に2、3百首の短歌を詠み、これまで5、60万首詠んだと語ったという[1]。
[編集] 国会図書館所蔵の発禁本
以下は内務省警保局図書課に検閲のために納本したものが発売頒布禁止処分となって保管されていたもの、および、警保局が大本研究用に集めていたものが戦後にGHQに押収され、さらに国会図書館に送られたものである。内務省の検閲や研究の痕跡が残っているものを含んでいる。なお、大本関係の著書は大本を擁護したものも含めてほとんどが発禁となっており、その全体像は未だに解明されていない。またこれらは戦後には再販・復刻などがなされている。
- 1. 記紀真解 / 出口王仁三郎. -- 4版. -- 皇道大本大日本修斎会, 1921年(大正10年)3月. -- (王仁文庫 ; 第4編)
- 2. 記紀真釈 / 出口王仁三郎. -- 3版. -- 皇道大本大日本修斎会, 1921年(大正10年)4月. -- (王仁文庫 ; 第7篇)
- 3. 八面鋒 / 出口王仁三郎. -- 2版. -- 大日本修斎会, 1921年(大正10年)7月. -- (王仁文庫 ; 第8篇)
- 4. 道之大原 / 出口王仁三郎. -- 4版. -- 大本皇道大日本修斎会, 1921年(大正10年)3月. -- (王仁文庫 ; 第5篇)
- 5. 霊界物語. 第24篇 / 出口瑞月[他]. -- 天声社, 1923年(大正12年)5月
- 6. 大本三美歌 / 瑞月. -- 再版. -- 天声社, 1928年(昭和3年)6月
- 7. 水鏡 / 〔出口王仁三郎[他]. -- 第二天声社, 1928年(昭和3年)11月
- 8. ひとむかし / 出口日出麿. -- 天声社, 1929年(昭和4年)4月
- 9. 大本概要 / 出口王仁三郎. -- 第二天声社, 1930年(昭和5年)1月
- 10. 月鏡 / 出口王仁三郎[他]. -- 第二天声社, 1930年(昭和5年)11月
- 11. 霊之礎 / 出口瑞月. -- 7版. -- 第一天声社, 1930年(昭和5年)10月
- 12. 霞の奥 / 出口王仁三郎. -- 第二天声社, 1931年(昭和6年)9 月
- 13. 花明山 / 出口王仁三郎. -- 第二天声社, 1931年(昭和6年)5月
- 14. 芸術と宗教 / 出口瑞月. -- 10版. -- 第二天声社, 1931年(昭和6年)11月
- 15. 皇道我観 / 出口王仁三郎. -- 再版. -- 第一天声社, 1931年(昭和6年)6月. -- (王仁文庫 ; 第1篇)
- 16. 故山の夢 / 出口王仁三郎. -- 第二天声社, 1931年(昭和6年)8 月
- 17. 慧星 / 出口王仁三郎. -- 明光社, 1931年(昭和6年)7月
- 18. 祝詞略解 / 出口瑞月. -- 4版. -- 天声社, 1931年(昭和6年)3月
- 19. 東の光 / 出口王仁三郎. -- 第二天声社, 1931年(昭和6年)12 月
- 20. 道の大本 / 出口王仁三郎. -- 2版. -- 第一天声社, 1931年(昭和6年)12月. -- (王仁文庫 ; 第9篇)
- 21. 霊界物語. 第13-14巻 / 出口瑞月. -- 天声社, 1929年(昭和4年)3-6月.10月
- 22. 霧の海 / 出口王仁三郎. -- 天声社, 1932年(昭和7年)3月
- 23. 皇道大意 / 出口瑞月. -- 天声社, 1932年(昭和7年)12月. -- (王仁文庫 ; 第1,2篇)
- 24. 随感録 / 出口王仁三郎. -- 天声社, 1932年(昭和7年)6月. -- (王仁文庫 ; 第8,10篇)
- 25. 青嵐 / 出口王仁三郎. -- 天声社, 1932年(昭和7年)7月
- 26. 白童子 / 出口王仁三郎. -- 天声社, 1932年(昭和7年)5月
- 27. 瑞能神歌 / 出口王仁三郎. -- 再版. -- 第一天声社, 1932年(昭和7年)1月. -- (王仁文庫 ; 第3編)
- 28. 道之大本 / 出口瑞月. -- 3版. -- 天声社, 1932年(昭和7年)6月
- 29. 道の栞 / 出口瑞月[他]. -- 5版. -- 天声社, 1932年(昭和7年)7月. -- (玉の柱 ; 第1篇)
- 30. 霊界物語. 第63巻,65-72巻 / 出口瑞月. -- 天声社, 大正14.11-1932年(昭和7年)12月
- 31. 霊界物語. 第50-51,53-60 / 出口瑞月. -- 天声社, 大正14.3-1932年(昭和7年)6月
- 32. 公孫樹 / 出口王仁三郎. -- 天声社, 1933年(昭和8年)2月
- 33. 大本讃美歌. 上之巻,下之巻 / 出口王仁三郎. -- 4版. -- 天声社, 1933年(昭和8年)6月
- 34. 記紀解説 / 出口瑞月. -- 天声社, 1933年(昭和8年)10月
- 35. 浪の音 / 出口王仁三郎. -- 天声社, 1933年(昭和8年)3月
- 36. 山と海 / 出口王仁三郎. -- 天声社, 1933年(昭和8年)6月
- 37. 皇道維新と経綸 / 出口王仁三郎. -- 天声社, 1934年(昭和9年)10月
- 38. 統管随筆. 第〔1〕,2篇 / 〔出口王仁三郎. -- 天声社, 1934年(昭和9年)10月-11月
- 39. 霊界物語. 第73,75,78-79巻 / 出口瑞月. -- 天声社, 1933年(昭和8年)11月-1934年(昭和9年)10月
- 40. 霊界物語. 第15,17-20,22-24巻 / 出口瑞月. -- 天声社, 1932年(昭和7年)10月- 1934年(昭和9年)6月
- 41. 霊界物語. 第25-28,30-36巻 / 出口瑞月. -- 天声社, 1923年(大正12年)6月-1934年(昭和9年)12月
- 42. 霊界物語. 第37-48 / 出口瑞月. -- 天声社, 1924年(大正13年)3月-1934年(昭和9年)8 月
- 43. 惟神の道 / 出口王仁三郎. -- 天声社, 1935年(昭和10年)12月 (1994年にあいぜん出版から復刻出版)
- 44. 教育勅語謹解 / 出口宇知麿[他]. -- 17版. -- 天声社, 1935年(昭和10年)2月
- 45. 信仰叢話 / 出口日出麿. -- 天声社, 1935年(昭和10年)5 月
- 46. 玉鏡 / 出口王仁三郎[他]. -- 天声社, 1935年(昭和10年)3月
- 47. 出口総裁歌碑集. 1 / 〔出口王仁三郎〕. -- 大国以都雄, 1935年(昭和10年)1月
- 48. 霊界物語. 第11巻 / 出口瑞月. -- 天声社, 1935年(昭和10年)10月
- 49. 出口王仁三郎全集. 第1-8巻. -- 高木鉄男, 1934年(昭和9年)-1998年(平成10年)
[編集] 参考文献
- 伊藤栄蔵著 『大本教祖伝 出口なお・出口王仁三郎の生涯』 ISBN 9784887560765
- 出口京太郎著 『巨人出口王仁三郎』 ISBN 4887560451
- 上田正昭監修 『みろくの世 ―出口王仁三郎の世界―』 ISBN 4887560680
- 出口和明著 『大地の母』