八幡市 (福岡県)
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八幡市(やはたし)は福岡県の北東部にかつてあった市。鉄鋼業を軸に、北九州工業地帯における重工業の中心地として栄えたが、1963年に小倉市・門司市・戸畑市・若松市と合併して北九州市となり、消滅した。
旧市域は合併によって八幡区となり、北九州市内の一区として発足したが、1974年4月1日に八幡東区と八幡西区に分割された。
なお現在京都府に同名の八幡市(ただしこちらは「やわたし」)があるが、同市の市制施行は北九州市発足後(1977年)であり、両者が同時に存在した時期はない。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 隣接していた自治体
※消滅前日(1963年2月9日)現在。
[編集] 歴史
市域は律令制下では筑前国・豊前国にまたがる地域だったが、廃藩置県によって福岡県に属した。1901年、日本初の近代製鉄所である官営八幡製鐵所の建設地に選定され、以後はこの八幡製鐵所を軸に工業都市として飛躍的に発展し、「鉄の町」と呼ばれるようになる。
太平洋戦争末期の1945年8月8日、市内は米軍機の空襲により大きな被害を受けた。しかしながら、この空襲により発生した煙が、八幡市へもさらなる壊滅的打撃を与えたであろう小倉市への原子爆弾投下を妨げることとなった(詳細は「長崎市への原子爆弾投下」の項参照)。
[編集] 行政区域の変遷
- 1889年4月1日 - 町村制施行により、遠賀郡尾倉村・大蔵村・枝光村が合併して八幡村が発足。
- 1899年2月15日 - 八幡村が町制施行、八幡町となる。
- 1917年3月1日 - 八幡町が市制施行、八幡市となる。
- 1925年4月28日 - 企救郡
板櫃町 の一部(大字槻田←旧企救郡槻田村←旧企救郡高槻村+荒生田村)を編入(分割し、残余は小倉市に編入)。 - 1926年11月2日 - 遠賀郡黒崎町を編入。
- 1937年5月5日 - 遠賀郡
上津役村 を編入。 - 1944年12月8日 - 遠賀郡折尾町を編入。
- 1955年4月1日 - 遠賀郡香月町および鞍手郡木屋瀬町を編入。
- 1958年11月1日 - 一部を直方市に分離・編入。
- 1963年2月10日 - 小倉市・門司市・若松市・戸畑市と新設合併し、北九州市となり消滅。
- 1963年4月1日 - 北九州市の政令指定都市移行により、八幡区となる。
- 1974年4月1日 - 八幡区が八幡東区と八幡西区に分割される。
[編集] 産業
上で述べたように、官営八幡製鉄所およびその後身の日本製鐵八幡製鐵所に代表される重工業を主幹産業とした。戦後(1950年以降)はこの日本製鐵が解体され発足した八幡製鐵と黒崎窯業(現・黒崎播磨)、安川電機などが市内の最有力企業として君臨した。なお八幡製鐵が合併により新日本製鐵となったのは北九州市発足後の1970年である。
戦前から1950年代にかけ、八幡市の中心地は中央区(現在の八幡東区中央町)で、西鉄北九州線の交差点にもなっていたことから非常に栄えた。また八幡市に編入された黒崎(旧黒崎町)・折尾(旧折尾町)地区では商業が発達した。特に黒崎は1970年代初頭より一大商業地となり、北九州の西の拠点と位置づけられた。
北九州市発足当時は市役所の設置を、現在北九州市立総合体育館が建っている金比羅山付近に置くことにされていたが、小倉市役所付近に置くこととなった。
[編集] 八幡市出身の有名人
※北九州市発足以前の出身者。
- 松永怜一(JOC強化本部長・野球殿堂特別表彰者)
- 舛添要一(国際政治学者・参議院議員)
- 光石研(俳優)
- 松永浩美(元プロ野球選手)
- 多岐川恭(小説家)
- 小林千登勢(女優)
- 萩尾みどり(女優)
- 村田喜代子(小説家)