全日空857便ハイジャック事件
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全日空857便ハイジャック事件(ぜんにっくう857びんハイジャックじけん)とは、1995年6月21日に、函館空港で全日本空輸857便(ボーイング747SR、JA8146号機)が元銀行員によって占拠された事件である。
この便には歌手の加藤登紀子と実母、加藤のバックバンドのメンバーも乗っており、バンドのメンバーが携帯電話で犯人の状況を伝えた。
警視庁の特殊急襲部隊(SAT)の前身であるSAPが出動した事件でもある。
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[編集] 事件の経過
- 東京国際空港(羽田空港)発函館空港行きのANA857便が、11時45分頃山形県上空でハイジャックされた。ハイジャック犯は当時53歳の病気による休職中の東洋信託銀行(当時)(現・三菱UFJ信託銀行)行員(管理職)であった。
- 犯人は365人を人質に航空機内に立てこもった。
- 犯人は当時強制捜査を受けていたオウム真理教(現・アーレフ)の信者を名乗っており、サリンを所持しているとして乗務員を脅した(オウム真理教幹部は、事実であれば直ちに除名すると明言。後日無関係の便乗犯であることが判明した)。犯人は実際に透明な液体の入ったビニール袋を所持していたが、中身は単なる水であった。
- 857便は函館空港に緊急着陸した。函館空港にはハイジャック機を見守る一般市民が数多く見られた。
- 1995年6月22日
- 3時42分、当時の総理であった村山富市(社会党)の指示により北海道警察機動隊銃器対策部隊、函館方面函館中央署員、警視庁警備部第六機動隊特科中隊(SAP、後の特殊急襲部隊SAT)が強行突入。犯人を逮捕。乗客1人が犯人にアイスピックで肩を刺されて軽傷を負った。
- 事件後
1997年3月21日、函館地方裁判所はハイジャック犯に対し、懲役8年の判決を言い渡した。犯人は全日空より民事訴訟を起こされ5300万円の損害賠償が命じられた。犯人は札幌高等裁判所へ控訴したものの、1999年9月30日の控訴審で札幌高裁は1審判決(懲役8年)を破棄し、犯人に懲役10年の判決を言い渡した。なお、最高裁判所への上告は行わず、判決は確定している。
2003年7月、当該機であるJA8146号機が全日空から引退した。
[編集] 事件の影響
翌年1996年に、警察庁は警視庁と大阪府警察に非公式に存在していた「特殊部隊」(SAP、零中隊等)を特殊急襲部隊(SAT)として正規部隊化し公表した。また、北海道、千葉・神奈川・愛知・福岡・沖縄の各道県警察にも新たにSATを設置した。
運輸省(後の国土交通省)は航空保安体制の強化を打ち出し、航空各社とともに再発防止に努めるよう発表した。
[編集] 報道関係
事件発生から翌朝まで、テレビはほぼ全てのチャンネルが報道特別番組となった(日本テレビのプロ野球ナイター中継は試合終了まで放送し、その後報道特別番組を放送、テレビ朝日もこの日のサッカーJリーグ中継セレッソ大阪VSヴェルディ川崎も通常放送されたが、ハーフタイムの時間は報道特番に差し替えられた)。
NHKは、放送技術研究所で開発されたばかりの新Super-HARPカメラを世田谷から函館に急送し、驚くほど明るく鮮明な映像を送出した。
TBSでは当日放送していた昼の番組を12時37分で打ち切って報道特別編成に移行、北海道の系列局である北海道放送(HBC)函館放送局が設置している情報カメラから、すでに着陸している同機をとらえ報道した。函館からの中継回線を複数確保するため、SNGやHBC経由での伝送のほか、映像の一部は隣接する青森テレビを経由して送られた。
テレビ各局で生放送された映像は途中から機体前部のコックピットをアップで撮影したものに固定されたが、これは警察当局からの要請によるもので、SAPが機体後部から機内に突入する計画を立てており、航空機全景や周辺の様子が分かるような映像が放送されてしまうと、機内にあるテレビから犯人に警察当局の作戦が分かってしまうおそれがあるため、報道側も人道的判断によりこの要請を受け入れた。
犯人逮捕の時間は新聞の締め切り時間の後だったために最終版に間に合わず、6月22日の一般紙・専門紙の多くが号外を発行した。
[編集] 自衛隊の行動
ハイジャックされた全日空機が函館空港に着陸した後、函館空港の滑走路延長線上の東西上空で、航空自衛隊北部航空方面隊千歳基地・第2航空団のF-15戦闘機が空中待機した。
SAP輸送の為、羽田空港から航空自衛隊入間基地・第402飛行隊のC-1輸送機が使われ、函館空港から約70km北西にある航空自衛隊八雲飛行場まで空輸した。
ハイジャック機が函館空港に着陸した時、函館空港内に航空自衛隊小牧基地・第401飛行隊のC-130輸送機が駐機していたが、これはSAPの輸送で函館空港に先回りしたのではなく、クロスカントリー(航法訓練)の途中にたまたま函館空港に寄港したものであった(第401飛行隊の隊員が事件後に証言)。