元帥 (日本)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
元帥(げんすい)とは、1872年(明治5年)から1873年(明治6年)においては階級(陸軍元帥)、1898年(明治31年)以降は元帥府に列せられた陸軍大将又は海軍大将に与えられた称号(元帥)である。なお、自衛隊にはこれに相当する称号は存在しない。
目次 |
[編集] 概要
日本における元帥は、1872年(明治5年)7月19日に参議西郷隆盛が陸軍元帥(階級)に兼任されたのが始まりである。更に同年7月29日には参議兼陸軍元帥西郷隆盛が陸軍元帥兼参議に任じられて、西郷隆盛は陸軍元帥が本官で参議が兼官とされた。1873年(明治6年)5月の官制改正で元帥の階級が廃止されたため、西郷隆盛はその時点で陸軍大将となった。1872年には「元帥服服制」が制定されて大元帥と元帥の服制が定められた。
1898年(明治31年)に元帥府条例が制定されて、陸海軍大将であって老功卓抜な者に元帥の称号が与えられた。この際に元帥の称号が与えられたのは、小松宮彰仁親王、山県有朋、大山巌及び西郷従道(陸軍3名、海軍1名。)であった。終身現役であり、1926年(大正15年)4月26日には、元帥礼遇として大勲位昌徳宮李王坧に対して与えられている。
その後、日本陸海軍では基本的に名誉称号として運用され、部隊指揮官の要職から事実上退いた大将に元帥の称号が与えられていたが、第二次世界大戦中は陸軍の規模が膨らみ、師団(師団長は中将)、軍(軍司令官は概ね中将)、方面軍(方面軍司令官は概ね大将)、総軍と上級部隊の単位が複層化したため、部隊指揮官に元帥の称号を与えた例が出た(寺内寿一・杉山元・畑俊六)。
明治時代には陸軍5名海軍3名、大正時代には陸軍6名海軍6名、昭和時代には陸軍6名海軍4名に与えられた。第2次世界大戦中は、陸軍で3名(寺内寿一・杉山元・畑俊六)、海軍で3名(永野修身・山本五十六・古賀峯一)の元帥が出たが、うち海軍の2名は死後追贈であった。
[編集] 元帥一覧
[編集] 陸軍元帥一覧
- 西郷隆盛(1872年7月~1873年5月)
[編集] 元帥陸軍大将一覧
1898年(明治31年)以降
[編集] 元帥海軍大将一覧
- 西郷従道
- 伊東祐亨
- 井上良馨
- 東郷平八郎
- 有栖川宮威仁親王
- 伊集院五郎
- 東伏見宮依仁親王
- 島村速雄
- 加藤友三郎
- 伏見宮博恭王
- 山本五十六(連合艦隊司令長官在任中、搭乗機が米国機に撃墜され戦死、特旨により贈元帥)
- 永野修身
- 古賀峯一(連合艦隊司令長官在任中、搭乗機が悪天候で行方不明となり殉職、特旨により贈元帥)