優勝内国産馬連合競走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
優勝内国産馬連合競走(ゆうしょうないこくさんばれんごうきょうそう)とは1937年(昭和12年)まで行なわれていた当時の日本では最高賞金の競馬の競走である。3200m(=約2マイル)で行なわれていたことから連合二哩(れんごうにまいる)とも呼ぶ。
各地の競馬倶楽部のチャンピオンだけが一生に1回だけ出走できるという点で後に創設される東京優駿大競走(現・東京優駿(日本ダービー))の前身であり、春秋1回ずつ3200m(当時)で行なわれる最高格の競走という点で後の天皇賞(1937年(昭和12年)秋以降の帝室御賞典)の前身との性格を合わせ持った。
目次 |
[編集] 概要
馬券の発売が禁止されると、各地の競馬倶楽部では賞金不足から競走への出走頭数が激減し、1レースの平均出走頭数が2頭以下となった。競馬開催の大義名分が軍馬改良であったのに、1頭だけでの競走(単走)では馬の選別改良が進まないため、政府の馬政局は補助金を出して当時最高賞金レースとして本競走を創設した。
出走条件は、内国産馬で各地の前季の出走新馬で、なおかつその季の優勝戦に勝った馬である(当時の競走体系については日本の競馬創設期の競走体系参照)。したがってどの馬にも出走のチャンスは一生に一度きりであり、各地の優勝馬が一堂に会して競走が開催されるという点で日本一を決める競走である。
設立当初は東京で開催されていたが阪神でも開催されるようになり、東西それぞれのチャンピオン決定戦となった。後に牝馬だけの競走も京都で設立された。
各地の競馬倶楽部を統一する形で日本競馬会が設立されると、日本各地でそれぞれ年2回2000mで開催されていた帝室御賞典は、東西それぞれ年1回の3200m戦に変更された。これは実質的に優勝内国産馬連合競走の後継競走と考えられる。
[編集] 歴史
1908年(明治41年)に馬券の発売が禁止されて以来、各地の競馬倶楽部は賞金の確保に苦労し、競馬界は低迷していた。馬券のない競馬に客は集まらず、客の集まらない競馬場は賞金が出せず、賞金が出ない競馬に馬は集まらない。この時期、日本全体の競馬競走の1レースの平均出走頭数は2頭を下回るという有様だった。競馬の不振は馬産界にも深刻な影響を落とし、サラブレッドの価格は低迷した。2頭以下の競走、すなわち単走では馬匹の選別改良など望むべくもなく、生産界の不況が続けば馬匹改良の目的が喪失されるとして、1911年(明治44年)秋、馬政局の命令により目黒に特殊競走「優勝内国産馬連合競走」が創設された。
1着賞金3000円、2着1500円、3着500円という賞金は当時最高額で、当時の競走馬の価格が普通の抽籤馬で350円から400円、特別な優良馬で2000円程度であったので、この賞金は全くの破格といえる高額であった。生産界はにわかに活気付き、北海道では7~8万円で取引される馬が出るほどであったという。
出走馬は、前季の出走新馬でなおかつその出走した季の優勝戦に勝った馬に限られたから、各馬にとって出走のチャンスは一度しかない。秋の目黒には各地の優勝馬が集まり、まさに全日本選手権競走ともいうべき日本一の大賞となった。それゆえに連合競走に出走し入着を果たした馬は全国に名声を轟かしたという。
1923年(大正12年)に競馬法が制定され馬券の発売が復活するまで競馬の賞金は政府の補助金に頼っていたから、連合競走は唯一の高額賞金が出る特殊競走で国内の目玉レースとなった。帝室御賞典が皇室からの御下賜品を授与される名誉を争うものであるのに対し、連合競走はその比類ない高額賞金を争う大レースだったのである。帝室御賞典の2着の賞金が250円の時代(1着は御下賜品。賞金はない)に連合競走は2着馬にも1000円、3着でも500円の賞金を出した。
創立当初は秋の東京でのみで開催され、1918年(大正7年)に春秋の2回開催となり、1924年(大正13年)の秋からは阪神でも開催されることになった。これに伴い出走条件は各地の前季の競馬倶楽部の優勝戦において1・2着に入った馬というように変遷し、東西それぞれのチャンピオン決定戦となる。
後に「優勝内国産馬連合競走」は「各内国産古馬連合競走」→「農林省賞典競走」と名を変え、また、京都では牝馬限定の連合競走「各内国産牝馬連合競走」(後に「牝馬連合競走」→「農林省賞典牝馬競走」)が創設され、1937年(昭和12年)まで続き、1938年(昭和13年)にこれを引き継ぐ形で3200m(2マイル)の帝室御賞典となった。旧帝室御賞典が1600m(1マイル)から1800m(1マイル1ハロン)前後の中距離で行われていたことを考えれば、3200mの長距離レースで、年間に東西で各1回という現在の天皇賞の形式は、旧帝室御賞典というよりは連合競走のスタイルを受け継いでいるといえる。はじめから内国産馬に限られていた点も現在の天皇賞の形式に近い。この意味で、連合競走は現在の天皇賞の真のルーツともいえる。
1928年(昭和3年)には京都で「大禮記念」に際して連合競走が1回限りで開催されている。
[編集] 歴代優勝馬
[編集] 東京
回数 | 施行日 | 優勝馬 | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
第1回 | 1911年11月11日 | ラングトン | 牡3 | 3:45.96 | 伊庭野次郎 | 箕田定吉 | |
第2回 | 1912年11月23日 | レツドサイモン | 牡3 | 4:03.37 | W.H.コツフヰー | ノーフォーク | |
第3回 | 1913年11月22日 | シンコイワヰ | 牡4 | 4:03.10 | 千歳孫作 | 絹川安松 | |
第4回 | 1914年11月14日 | インタグリオ | 牡5 | 3:40.41 | 千歳孫作 | 絹川安松 | |
第5回 | 1915年11月27日 | トクホ | 牡3 | 3:43.60 | 尾形景造 | トクホ | |
第6回 | 1916年11月11日 | アフリカンダー | 牡5 | 4:02.90 | W.H.コツフヰー | ||
第7回 | 1917年11月17日 | ピーターパン | 牡4 | 3:46.50 | W.H.コツフヰー | ||
第8回 | 1918年5月11日 | ウヱスト | 牡4 | 3:51.77 | W.H.コツフヰー | ||
第9回 | 1918年11月16日 | プリンセスプレイアモーア | 牝4 | 3:41.10 | W.H.コツフヰー | ||
第10回 | 1919年5月3日 | ペツトレル | 牝4 | 3:47.13 | 仲住与之助 | シギ | |
第11回 | 1919年11月22日 | マイヅル | 牡4 | 3:53.40 | 佐々木勇太郎 | 絹川安松 | |
第12回 | 1920年5月1日 | ウキフネ | 牝5 | 3:58.33 | |||
第13回 | 1920年11月20日 | ホーンビーム | 牡4 | 3:44.10 | 函館孫作 | 大島要三 | |
第14回 | 1921年5月7日 | ダークメード | 牡4 | 4:01.73 | 美馬勝一 | 服部宗右衛門 | |
第15回 | 1921年11月19日 | クンプウ | 牡4 | 3:38.18 | 柴田寛治 | ||
第16回 | 1922年4月22日 | オーロラ | 牡4 | 3:18.75 | 函館孫作 | 大島要三 | |
第17回 | 1922年11月11日 | イロハ | 牡4 | 3:43.35 | 二本柳省三 | 神崎利木蔵 | |
第18回 | 1923年5月5日 | スターリング | 牡4 | 3:40.61 | 尾形景造 | ||
第19回 | 1923年12月22日 | ピユーアゴウルド | 牝4 | 3:51.33 | 杉浦照 | 久保熊彦 | |
第20回 | 1924年5月3日 | フロラーカツプ | 牝5 | 3:42.63 | 稲葉秀男 | ||
第21回 | 1924年11月22日 | バンザイ | 牡3 | 3:41.93 | 杉浦照 | 久保熊彦 | |
第22回 | 1925年5月16日 | ロビンソン | 牡4 | 3:42.49 | 友村哲二 | ||
第23回 | 1925年11月28日 | カノウ | 牡4 | 3:37.15 | 秋山辰治 | ||
第24回 | 1926年5月8日 | リオン | 牝3 | 3:40.81 | 柴田寛治 | ||
第25回 | 1926年11月27日 | クモカゼ | 牡4 | 3:36.01 | 函館孫作 | 大島要三 | |
第26回 | 1927年5月7日 | ウヰンナー | 牡5 | 3:37.47 | 秋山辰治 | ||
第27回 | 1927年11月26日 | ナスノ | 牡3 | 3:37.90 | 二本柳省三 | 橋本徳次郎 | |
第28回 | 1928年5月5日 | ヱイ | 牡5 | 3:37 3/5 | 大久保房松 | ニコエ | |
第29回 | 1928年12月4日 | クヰンホーク | 牝4 | 3:47 4/5 | 尾形景造 | エツチ | |
第30回 | 1929年5月4日 | エリザベス | 牝4 | 3:51 4/5 | 美馬勝一 | ||
第31回 | 1929年11月23日 | ユウエツ | 牡3 | 3:40 4/5 | |||
第32回 | 1930年5月10日 | ケンキン | 牡4 | 3:46 2/5 | 岸参吉 | ||
第33回 | 1930年11月22日 | ワカクサ | 牡3 | 3:38 2/5 | 尾形景造 | ||
第34回 | 1931年5月9日 | テキシヨウ | 牝4 | 3:42 4/5 | 杉浦照 | ||
第35回 | 1931年11月22日 | ハクリユウ | 牡3 | 3:36 0/5 | 稲葉秀男 | 北郷五郎 | 新井八郎 |
第36回 | 1932年4月29日 | ハツピーチヤペル | 牡4 | 3:38 2/5 | |||
第37回 | 1932年10月30日 | ワカタカ | 牡3 | 3:26 2/5 | 函館孫作 | 東原玉造 | 乾鼎一 |
第38回 | 1933年4月28日 | ハクコウ | 牡4 | 3:33 0/5 | 尾形景造 | ||
第39回 | 1933年12月1日 | ハツピーランド | 牝3 | 3:44 4/5 | 徳田伊三郎 | 佐藤順治 | 林民雄 |
第40回 | 1934年4月27日 | ワカミチ | 牡4 | 3:40 4/5 | 尾形景造 | ||
第41回 | 1934年11月23日 | デンコウ | 牡3 | 3:28 4/5 | 伊藤正四郎 | 尾形景造 | 高杉晋 |
第42回 | 1935年5月3日 | ハクカ | 牡4 | 3:30 1/5 | 秋山辰治 | 石毛彦次郎 | 七尾菊良 |
第43回 | 1935年12月6日 | アカイシダケ | 牡3 | 3:36 2/5 | 尾形景造 | 尾形景造 | 清水友太郎 |
第44回 | 1936年4月8日 | ホンイチ | 牡4 | 3:45 4/5 | 稗田十七二 | ||
第45回 | 1936年12月4日 | マルヌマ | 牡3 | 3:28 2/5 | 中村広 | 中村広 | 千明賢治 |
第46回 | 1937年4月25日 | ピユアソール | 牝4 | 3:36 4/5 | 佐藤嘉七 | 田中和一郎 | 加藤雄策 |
第47回 | 1937年11月23日 | ハツピーマイト | 牡3 | 3:27 1/5 | 新井朋次郎 | 秋山辰治 | 竹中久蔵 |
[編集] 阪神
回数 | 施行日 | 優勝馬 | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
第1回 | 1924年10月11日 | レデースバツトン | 牝4 | 3:45.31 | 伊藤勝吉 | ||
第2回 | 1925年4月11日 | マツカゼ | 牡4 | 3:37.55 | 布施文蔵 | ||
第3回 | 1925年10月10日 | チヤペル | 牡4 | 3:40.65 | 函館孫作 | 大島要三 | |
第4回 | 1926年4月10日 | タマカゼ | 牡4 | 3:39.91 | 伊藤勝吉 | ||
第5回 | 1926年10月9日 | ヱスク | 牡4 | 3:34.24 | 奥村鹿市 | ||
第6回 | 1927年4月3日 | アスベル | 牝4 | 3:37.57 | 尾形景造 | ||
第7回 | 1927年10月8日 | ミフク | 牡3 | 3:43.56 | 伊藤勝吉 | 福原政治 | |
第8回 | 1928年4月7日 | ヨシトミ | 牡3 | 3:36 4/5 | 二本柳省三 | ||
第9回 | 1928年11月20日 | ハクシヨウ | 牡4 | 3:41 4/5 | 尾形景造 | 尾形景造 | 遠山芳三 |
第10回 | 1929年4月3日 | ライハ | 牝4 | 3:40 1/5 | 大久保房松 | ||
第11回 | 1929年10月12日 | ナスカゼ | 牝3 | 3:40 4/5 | 柴田寛治 | ||
第12回 | 1930年4月12日 | タマコイワヰ | 牡4 | 3:46 2/5 | 伊藤勝吉 | トモエ | |
第13回 | 1930年10月11日 | ウイリアムトツプ | 牡4 | 3:38 2/5 | 元石吉太郎 | ||
第14回 | 1931年4月11日 | サイピツト | 牡4 | 3:42 4/5 | 友村哲二 | ||
第15回 | 1931年11月7日 | ロビンオー | 牝3 | 3:36 0/5 | 中島時一 | 岡本和三郎 | |
第16回 | 1932年4月10日 | ヤマヤス | 牝4 | 3:26 2/5 | 大久保亀吉 | 尾形景造 | 西園寺八郎 |
第17回 | 1932年11月12日 | ハクセツ | 牡3 | 3:33 0/5 | 友村哲二 | 田中和一郎 | 小林暢 |
第18回 | 1933年4月15日 | スターリングモア | 牝4 | 3:44 4/5 | 相羽仙一 | ||
第19回 | 1933年10月6日 | カブトヤマ | 牡3 | 3:40 4/5 | 大久保房松 | 大久保房松 | 前川道平 |
第20回 | 1934年1月14日 | スターカツプ | 牝4 | 3:32 1/5 | 中島時一 | ||
第21回 | 1934年12月24日 | スパーシヨン | 牡3 | 3:27 0/5 | 伊藤勝吉 | ||
第22回 | 1935年4月14日 | オトコヤマ | 牡4 | 3:39 0/5 | 永松馨 | ||
第23回 | 1935年11月17日 | スモールジヤツク | 牡3 | 3:37 1/5 | 諏訪佐市 | ||
第24回 | 1936年4月12日 | クヰンアスパー | 牝4 | 3:32 1/5 | 伊藤勝吉 | ||
第25回 | 1936年11月3日 | ピアスアロートマス | 牝3 | 3:26 4/5 | 稗田虎伊 | 東松孝時 | |
第26回 | 1937年4月18日 | トクライト | 牡4 | 3:30 0/5 | 大久保亀吉 | ||
第27回 | 1937年11月24日 | ゼネラル | 牡3 | 3:34 1/5 | 武田文吾 | 西橋外男 |
- レース名:第6~16回 「各内国産古馬連合競走」、第17回~ 「農林省賞典競走」
- 施行競馬場:鳴尾競馬場
- 距離:第1~5回 2マイル、第8、9回 3300m
- コース:土
[編集] 京都
回数 | 施行日 | 優勝馬 | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
第1回 | 1928年4月15日 | ナノハナ | 牝4 | 3:34 2/5 | 中島時一 | ||
第2回 | 1928年12月9日 | アリアケ | 牝4 | 3:35 4/5 | 伊村宗芳 | ||
第3回 | 1929年4月14日 | タマチツプ | 牝5 | 3:36 3/5 | 伊藤勝吉 | トモエ | |
第4回 | 1929年12月7日 | ハクシユン | 牝4 | 3:41 4/5 | 尾形景造 | ||
第5回 | 1930年4月26日 | サンシヤイン | 牝4 | 3:45 4/5 | 尾形景造 | 土田荘助 | |
第6回 | 1930年12月13日 | ケンシク | 牝4 | 3:47 2/5 | 中村一雄 | ||
第7回 | 1931年4月25日 | パンジー | 牝4 | 3:48 0/5 | 美馬信次 | ||
第8回 | 1931年11月28日 | ロビンオー | 牝3 | 3:44 3/5 | 中島時一 | 岡本和三郎 | |
第9回 | 1932年5月6日 | ナンフウ | 牝4 | 3:34 2/5 | |||
第10回 | 1932年12月16日 | セカイイチ | 牝4 | 3:35 2/5 | 伊藤勝吉 | ||
第11回 | 1933年4月30日 | シラヌヒ | 牝4 | 3:31 0/5 | |||
第12回 | 1933年12月17日 | アサハギ | 牝4 | 3:38 4/5 | 二本柳勇 | 伊藤勝吉 | 古門九一郎 |
第13回 | 1934年4月3日 | エツフオード | 牝4 | 3:35 1/5 | 武田文吾 | 高橋政治郎 | 西橋外男 |
第14回 | 1934年12月2日 | ゼンジ | 牝3 | 3:32 4/5 | 吉田善助 | ||
第15回 | 1935年5月5日 | グロリア | 牝4 | 3:30 1/5 | 武田文吾 | ||
第16回 | 1935年12月21日 | ジヤンダークトマス | 牝3 | 3:35 0/5 | 稗田十七二 | ||
第17回 | 1936年5月3日 | クレオパトラトマス | 牝4 | 3:31 2/5 | 伊藤勝吉 | 伊藤勝吉 | 東松孝時 |
第18回 | 1936年10月11日 | シンヨリーナトマス | 牝3 | 3:32 0/5 | 稗田十七二 | 稗田虎伊 | 東松孝時 |
第19回 | 1937年1月11日 | イロハ | 牝4 | 3:38 0/5 | 清水茂次 | 神崎利木蔵 | |
第20回 | 1937年12月20日 | ヒサニシキ | 牝3 | 3:43 2/5 | 武田作十郎 | 藤本冨良 | タイヘイ |
- レース名:第1~8回 「各内国産牝馬連合競走」、第9~15回 「牝馬連合競走」、第16回~ 「農林省賞典牝馬競走」
- 施行競馬場:京都競馬場
- 牝馬限定
[編集] 大禮記念
競馬場 | 施行日 | 優勝馬 | 性齢 | 勝時計 | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
目黒 | 1928年10月16日 | ハツライ | 牡4 | 3:34 3/5 | 佐々木安 | 橋本徳次郎 | |
京都 | 1928年10月23日 | アラタマ | 牡3 | 3:39 0/5 | 伊藤勝吉 | ||
鳴尾 | 1932年1月8日 | アスコツト | 牡4 | 3:44 4/5 | 尾形景造 | 尾形景造 | ドライバー |
- レース名:目黒、京都 「各内国産古馬連合競走」、鳴尾 「農林省賞典競走」
- コース:鳴尾 土
- 各競馬場で施行されていた優勝内国産馬連合競走の回数には含まれていない
[編集] 日本の競馬創設期の競走体系
競馬倶楽部が創設された初期は競馬は春と秋にそれぞれ4日ずつ、1週目の土曜日、日曜日、2週目の土曜日と日曜日に開催された。競走馬は生産地によって内国産馬と外国産馬に分けられ、さらに呼馬(一般の自由購買馬)と抽籤馬に分けられた。年齢による分別はされていなかった。原則的には内国産馬と外国産馬は決して同じ競走には出走できない。
各競走馬はまず新馬戦でデビューする。現在とは違い、新馬と言っても7歳未満であれば年齢は問わず過去に出走歴があるかどうかで区別されていたので、3歳の新馬もいれば6歳の新馬もいた。新馬戦に優勝すると最終日(2週目の日曜日)の優勝戦に出走することができ、これに勝つと来季の優勝内国産馬連合競走への出走が可能となった。
新馬ではない馬(古馬)は初日から3日目までの一般戦に出走し、そこで優勝すると最終日の優勝戦への出走が可能となった。これとは独立して、2日目に帝室御賞典が開催された。このため一流馬は1週目の土曜日に一般戦を走り、翌日の帝室御賞典に出走し、更に2週目の日曜日の優勝戦に出走するということが可能だった。
後に内国産馬と外国産馬が一緒に走る混合競走や一流馬が集まる特別競走が作られ、開催日も春秋それぞれ6日に拡大された。