中野栄一
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中野 栄一 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市旭区 |
生年月日 | 1974年10月16日(33歳) |
身長 体重 |
188cm 95kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1996年 ドラフト4位 |
初出場 | 1997年7月2日 |
最終出場 | 2004年4月22日 |
経歴 | |
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中野 栄一(なかの えいいち、1974年10月16日 - )は、日本の元プロ野球選手である。神奈川県横浜市旭区出身。横浜高校- 亜細亜大学出身。元阪神の部坂俊之は高校-大学とバッテリーをんだ。大学当時井口、沢崎を要する青山学院大学に勝利し、大学選手権に出場。横浜高校・亜細亜大学ともに主将を務める。
目次 |
[編集] 来歴
1996年、中日ドラゴンズよりドラフト4位で指名される。入団当初は打撃力があるので当時の正捕手である中村武志の後継者として期待されていた。しかし、肩や腰の故障などで2軍暮らしが続く。2003年は谷繁元信の故障により、1軍のスタメンマスクをかぶる。打撃はまずまずの結果であったが、リード面では結果を残せず、以後柳沢裕一に代役を奪われた。2004年には1軍出場が1試合にとどまり、自由契約となった。2005年以降は中日ドラゴンズの2軍ブルペン捕手兼用具係を務めている。 打撃は右打ちが上手くパンチ力もある反面、三振率も高かった。また、捕手としては博打的なリードをしてしまい痛打を浴びることや盗塁を許してしまうことが多かった。故障で選手として伸び盛りな時期を逸してしまったことが惜しまれる。
[編集] エピソード
- 中野が中日に入団した後、ある中日球団スカウトが「亜大から選手をスカウトするつもりだが、候補が二人いる。もしおまえがスカウトならどちらを採用する?」との問いに、こう答えた。「井端弘和(1年後輩)ですね」。中野の返答次第では「中日・井端」は誕生しなかったのかもしれない。
- 2006年、長谷部裕捕手コーチがドミニカ共和国のウインターリーグに派遣される高橋聡文、長峰昌司両投手のお目付け役として同行することになり、10月8日の横浜ベイスターズ戦より、ブルペン捕手として1軍に合流。その為10月10日、東京ドームの読売ジャイアンツ戦での胴上げやビールかけに参加できた。
- 山本昌はブルペン捕手としての中野がお気に入りらしく、キャンプでは中野をよく投球相手に指名する。
[編集] 成績
- 打率.218 3本塁打 8打点
[編集] 関連項目
中日ドラゴンズ 1996年ドラフト指名選手 |
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1位:小山伸一郎 / 2位:森野将彦 / 3位:幕田賢治 / 4位:中野栄一 / 5位:山田貴志 / 6位:佐藤康幸 / 7位:筒井壮 / 8位:宮越徹 |