三崎町
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三崎町
- 東京都千代田区の町名で、現在は一丁目から三丁目まである。旧・神田三崎町。水道橋駅のすぐ南に位置し、出版社や教育機関(東京歯科大学病院・日本大学(法学部・経済学部など)・東京リーガルマインド大学・文化学院・東洋高等学校など)が多く所在する。猿楽町二丁目(東)、西神田一~三丁目(南)、飯田橋二~三丁目(西)、文京区後楽一丁目・本郷一丁目(北)に隣接。三崎町 (千代田区)を参照。
- 愛媛県西宇和郡にあった町(後述)
- 神奈川県三浦郡にあった町(現:三浦市)
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(日本 > 四国地方 > 愛媛県 > 西宇和郡 > 三崎町)
三崎町(みさきちょう)は、愛媛県の南予地方、佐田岬の突端にあった町。大分県大分市(旧佐賀関町)まで豊予海峡を挟んで約15㎞である。2005年4月1日、西宇和郡伊方町、瀬戸町と新設合併(対等合併)し、新しい伊方町の一部となった。
目次 |
[編集] 地理
佐田岬突端の町であり、豊予海峡をはさんで九州と正対している。地すべりの発生しやすい地質である。
集落は、最大の集落が町役場のある三崎であり、ここに町行政関係の施設や中学校、高等学校、スーパーマーケット、金融機関店舗などが集まっている。このほか、二名津、串等に集落がある。
[編集] 行政
- 町長
- 杉山陽三郎 ~2003年5月
- 宮本征士(2003年5月~最後)
[編集] 平成の市町村合併の経緯
三崎町では合併のパートナーをめぐって町内で激しい論争が起きた。
元々、三崎町を含む八西地域は市町村合併の枠組みをめぐって波乱の種を抱えていた。佐田岬半島は日本一細長い半島と呼ばれるように、交通の便がよくなったとはいえ、八幡浜市内から三崎町の役場まで30分を要するなど、距離があった。しかも、中心となるべき、八幡浜市は人口減少、地盤沈下が著しく、大樹につこうという雰囲気はもともと稀薄であった。
杉山町長は当初は、半島4町(保内町・伊方町・瀬戸町・三崎町)での合併方針を示し、これは現実的で自然な対応とみられていた。住民アンケートでも半島合併論が有力であった。
ところが、4町の中でも最大の人口を有する保内町が八幡浜市との一市一町の合併方針を表明。4町での合併の枠組みは崩れた。
このため町長は方針を転換、八幡浜市及び保内町との飛び地合併を主張した。これに対して、町議会は残る3町での合併を主張、対立し、こう着状態に陥った。町は2度目の住民アンケートを行い、一市一町論(=飛び地合併)が支持されたが、その実施をめぐって、町長側に有利になるよう恣意的であったのではないかと批判された。
このように合併の枠組みをめぐり三崎町が紛糾した背景には、伊方原子力発電所を有し、財政力をバックに合併協議をリードしようという姿勢のみられないでもない伊方町への心情的な反発、三崎町が省みられなくなるのではないかとの不安と、現実を見据えると飛び地となって不利にならないかという懸念や不安が交錯していた。とはいえ、財政的には三崎町は逼迫度を強めており、早く相手先を決める必要があった。このあおりを食って、先行して合併協議会を設置していた伊方町・瀬戸町にとっても合併協議項目の審議に際して、三崎町の様子見とせざるを得ない項目もあり、三崎町の対応待ちで協議が遅延し、期限内の合併が憂慮されかねない状況であった。
膠着した状況を打開するため、2003年2月に愛媛県内では初めてとなる市町村合併の枠組みについての住民投票を行った。
住民投票の結果、瀬戸町、伊方町との隣接合併の方針が決まった。三崎町では伊方、瀬戸両町に合併協議への参加を申し入れ、両町も受け入れた。
混乱を生じさせたことに対する町長の責任を問う声が高まるなか、4月29日に任期切れとなり、町長選挙が行われ、杉山町長は宮本氏に敗れ、宮本新町長が誕生した。なお、前回選挙と同じ顔ぶれでの選挙であった。
結局、飛び地合併とはならなかった。仮に実現していたら、愛媛県内で初めてとなるところであった。
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
- 三崎町内には、鉄道路線は存在しない。
[編集] 道路
[編集] 高速道路
- 三崎町内には、高速道路は存在しない。
[編集] 一般国道
- 国道197号 通称、頂上線、メロディーライン
- 以前は、国道とはいえ半島の南側の断崖の上を縫うように走る悪路であったが、岬の稜線にほぼ沿って走る道路が整備された。そのおかげで、所要時間短縮など三崎港の利用価値も高まり、八幡浜港と競争できる環境が整った。また、観光振興にも大いにプラスとなっている。
[編集] 都道府県道
- 三崎町内には、主要地方道は存在しない。
- 愛媛県道255号鳥井喜木津線
- 愛媛県道256号佐田岬三崎線
[編集] 航路
- 三崎港は四国の最西端の港湾であり、九州と結ぶカーフェリーが就航している。深夜早朝の便もあるところから、貨物トラックの利用も多い。
[編集] バス交通
三崎港から、伊予鉄道とその子会社である伊予鉄南予バスにより、八幡浜や松山方面へのバスが運行されている。ただし、三崎以外の集落にはバスの便がないため、町がバス(マイクロバス)を走らせている。このほか、三崎から岬までは町内のタクシー会社がジャンボタクシー車両により乗合タクシーを運行している。これに乗れば、佐田岬突端・灯台近くまで行くことができる。
[編集] 文化
[編集] 祭り
- 秋祭
- 豊漁祭
- 串地区で行われる豊漁祭の花火大会は、時間や玉数は少ないものの、打ち上げ場所が港の防波堤で見る場所から数百メートルしか離れていなく、打ち上げらた時の体に響く音と眩しい光、特に柳系の花火では柳が地上に降り掛かってくることがあり、都会の花火大会よりかなりの迫力が有る。
[編集] 教育
[編集] 高等学校
[編集] 中学校
- 三崎町立三崎中学校(現伊方町立三崎中学校)
- 三崎町立二名津中学校(現伊方町立三崎中学校)
- 三崎町立串中学校(現伊方町立三崎中学校)
[編集] 小学校
- 三崎町立三崎小学校(現伊方町立三崎小学校)
- 三崎町立二名津小学校(現伊方町立二名津小学校)
- 三崎町立串小学校(現伊方町立佐田岬小学校)
- 三崎町立正野小学校(現伊方町立佐田岬小学校)
- 三崎町立名取小学校(現伊方町立二名津小学校)
[編集] 産業
半農半漁の町である。製造業にはこれといったものはない。
- 農業
- 傾斜地を活かしてかんきつ類の栽培が主体である。明治初期にナツミカンが導入され、一時は全国有数の産地として知られた。やがて甘夏柑やサンフルーツ、さらに清見タンゴール、伊予柑などの晩柑類へと品目は移行している。
- 周辺は潮流渦巻く好漁場であり、一本釣りのアジ、サバのほか、イセエビ、アワビ、サザエ、ウニなどの高級食材の生産地としてしられる。岬近くに蓄養場も有している。このように経営基盤も確立していることもあって、三崎漁業協同組合は、八幡浜西宇和地域の漁業組合の広域合併に加わらなかった。
- 三崎港の目前の海域、豊予海峡はアジ、サバの好漁場として知られ、佐賀関方面への漁港に揚がったものは、関アジ、関サバとして名高く、高値で取引されているが、愛媛県側に水揚げされたものも隣接した漁場で獲れたものであり、商品としては遜色ないと、地元漁業者では見ている。そこで、三崎漁協では「岬アジ」(はなあじ)、「岬サバ」と呼んで、ブランド化を図っている。全国的にはまだまだであるが、松山市あたりの料理店では既に定着している。三崎漁協では、三崎港から佐田岬灯台へと向かう途中に、直営の飲食店を営業しているほか松山市内でも飲食店を営業している。
- 観光
- 民宿が数軒あり、海の幸を売り物にしている。
[編集] 名所・旧跡・観光
- 佐田岬灯台
- あこう樹
- 特産物
- 海産物 - 岬アジ、岬サバ、イセエビ、ウニ、フグ、アワビ、サザエ
- 同加工品 - ウニの瓶詰め、骨せんべい など
- 農産物 - 清見タンゴール、伊予柑
[編集] その他
三崎町から大分県までの距離が近いため天気のいい日には、三崎港から佐賀関町の日鉱金属佐賀関製錬所の煙突が見える。正野地区の県道255号線から一本松に向かう道からも、天気のいい日には日鉱金属佐賀関製錬所の煙突はもちろんのこと、大分市の新日本製鐵・新大分発電所などのガスタンク・煙突が見える。また、日が暮れて夜になると煙突に設置されている航空障害灯の明滅やフラッシュがよく見える。また、別府市や大分空港の明かりが見える時もある。