ヴィエリチカ岩塩坑
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ヴィエリチカ岩塩坑 |
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ヴィエリチカ岩塩坑内の礼拝堂 | |
(英名) | Wieliczka Salt Mine |
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(仏名) | Mines de sel de Wieliczka |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(4) |
登録年 | 1978年 |
拡張年 | |
備考 | 過去に危機遺産登録(1989年~1998年) |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
画像:LocMap of WH.png |
ヴィエリチカ岩塩坑は、ポーランド共和国マウォポルスカ県にある岩塩の採掘坑。クラクフ首都圏内の都市ヴィエリチカにある13世紀以来稼働している採掘坑で、いまなお食塩の生産を行っている。1044年の創業(ポーランド王国のクラクフへの遷都は1038年)。廃坑になっていない岩塩坑としては世界最古で、同時に世界最古の製塩企業でもある。深さは地下327m、全長は300km以上に及ぶ。(廃坑になっているものも含めると世界最古の岩塩坑は同じくポーランド共和国マウォポルスカ県にあるボフニャ岩塩坑。)
特筆すべきは、観光客向けの3.5kmの坑道で、歴史上や神話上の様々なモチーフを象った彫像が並んでいる。その全ては、坑夫たちが岩塩で作り上げたものである。さらには屈曲した部屋や礼拝堂が岩塩で形成され、岩塩採掘史の展示までがなされている。さながらそこは岩塩製の地下大聖堂のごとき景観を呈しているのである。
この岩塩坑には年間80万人もの観光客が訪れる。長い歴史においてこの岩塩坑を訪れた有名人には、ニコラウス・コペルニクス、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、アレクサンダー・フォン・フンボルト、ドミトリ・メンデレーエフ、イグナツィ・パデレフスキ、ロバート・ベーデン=パウエル、カロル・ボイティワ(後のヨハネ・パウロ2世)、ビル・クリントンなどがいる。
第二次世界大戦中には、この岩塩坑は占領したドイツ軍が軍需物資の製造拠点として使用した。
目次 |
[編集] 世界遺産
1978年にユネスコの世界遺産に登録された。最初に登録された12件のうちの一つである。
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
[編集] 危機遺産登録
ヴィエリチカ岩塩坑は1989年に危機遺産リストに加えられた。原因は、換気装置に問題があったことから坑内に湿気が溜まり、岩塩製のモニュメントを損ねていたためである。
きちんとした換気装置が据え付けられ、坑内の湿度が適切に保たれるようになったことから、1998年に危機遺産リストからは除外された。
[編集] 参考文献
- この記事の初版は英語版からの翻訳である。以下はその時点で英語版に掲載されていた文献である。
- Jerzy Grzesiowski, Wieliczka: kopalnia, muzeum, zamek (Wieliczka: the Mine, the Museum, the Castle), 2nd ed., updated and augmented, Warsaw, Sport i Turystyka, 1987, ISBN 83-217-2637-2.
- Christopher Kasparek, "Prus' Pharaoh and the Wieliczka Salt Mine," The Polish Review, 1997, no. 3, pp. 349-55.
- 『世界遺産年報2007』日本ユネスコ協会連盟、2006年
[編集] 関連項目
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