クラクフ
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クラクフ (Kraków) | |||
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位置 | |||
情報 | |||
県: | マウォポルスカ県 | ||
緯度: | 北緯 50°04' | ||
経度: | 東経 19°57' | ||
標高: | 219m | ||
面積: | 326.8 km² | ||
人口 - 合計 - 人口密度 |
約757,500 人 2318 人/km² |
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郵便番号: | 30-024 〜 31-962 | ||
市外局番: | 012 | ||
市長: | ヤツェック・マイフロフスキ (Jacek Majchrowski ) | ||
公式サイト: | 市公式ウェブサイト |
クラコフ歴史地区 |
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クラクフ、フロリアンスカ通り | |
(英名) | Historic Centre of Kraków |
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(仏名) | Vieille ville de Cracovie |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(4) |
登録年 | 1978年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
クラクフ(Kraków、独 Krakau クラカウ)は、ポーランド南部にある都市で、マウォポルスカ県の県都。ポーランドでももっとも歴史ある都市の一つであり、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都だった。ポーランドの工業、文化の主要な中心地でもある。ヴィスワ川の上流に位置し、市街地はヴァヴェル城を中心としてヴィスワの両岸に広がっている。人口は約75万で、これはワルシャワ、ウッチに続く第三の規模である。
目次 |
[編集] 歴史
クラクフの歴史は、ポーランド王国の成立以前にまでさかのぼり、伝承に従えば8世紀には成立していたと推測される。ポーランド王国(ピアスト朝)のもとで発展していったが、13世紀にモンゴルの襲撃でいったん破壊された。14世紀よりクラクフは最盛期を迎え、1364年、カジミェシュ3世によってヤギェウォ大学(クラクフ大学)が創設され、それからも織物取引所、聖マリア教会などが建てられていった。しかし、16世紀より徐々に王国の中心はワルシャワへと移行していき、17世紀初頭には正式に都がクラクフからワルシャワへと遷された。
16世紀後半にヤギェウォ朝が断絶すると、ポーランドでは貴族らによって運営される身分制議会(セイム)の勢力が強まり、王権の弱体化が進んだ。そうした中、17世紀前半の三十年戦争、18世紀前半の大北方戦争に巻き込まれ国土は荒廃し、クラクフもこの混乱に巻き込まれた。18世紀後半には3度のポーランド分割によって国家自体が消滅し、クラクフはオーストリア領ガリツィアへと組み込まれることになった。
1815年のウィーン議定書で、クラクフは自治共和国の地位を認められた(クラクフ共和国)。しかし、オーストリアによる干渉は強まる一方であり、1846年2月にクラクフ市民が反オーストリア蜂起を起こした(クラクフ蜂起)。蜂起は鎮圧され自治特権は失われるが、この蜂起は2年後に起こる1848年革命の先駆的運動とも評価される。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ポーランド文化振興の中心地として重要な役割を果たした。第一次世界大戦を経てポーランドが独立を果たし、ポーランド領となった。第二次世界大戦に際してドイツ軍の占領を受けたが、ソ連軍によって解放された。
現在でも街のカジミェシュ地区に多くのシナゴーグがみられるように、中世よりユダヤ人コミュニティーが存在した。第二次世界大戦中、オスカー・シンドラー(映画「シンドラーのリスト」の題材となった人物)が経営していた工場は、このカジミェシュ地区の南東にあったものである。工場のユダヤ人労働者が強制収容所に連行されようという時、彼らを連れ戻してモラヴィア地方のブルニェネツにある工場へと送った。
[編集] 地理
近隣の都市としては、約70キロ西にカトヴィツェ、100キロ北東にキエルツェ、75キロ東にタルヌフ、85キロ南にザコパネが位置している。
[編集] 文化
クラクフはポーランド文化の中心地であるといわれる。また第2次世界大戦であまり被害を受けなかったこともあり、世界遺産に登録されている旧市街には、歴史的な建造物が多く残っている。なかでも旧王宮であるヴァヴェル城や聖マリア教会、織物会館などは有名で、観光客にも人気がある。
またクラクフには国立美術館を筆頭に、各種博物館や美術館など数多くの文化施設が存在する。チャルトリスキ美術館や、日本の美術品や骨董品の収集家であったヤシェンスキのコレクションが展示されている「日本美術・技術センター"マンガ"館」、ポーランドの国民的画家ヤン・マテイコらの作品がある国立美術館が特に有名である。
[編集] 世界遺産登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
[編集] 交通機関
空港 クラクフ西方の郊外に、クラクフ・バリツェ空港(ヨハネ・パウロ2世空港)がある。
鉄道・長距離バス 最も主要な鉄道駅はクラクフ中央駅であり、各種の普通列車および特急列車などで国内外の主要都市と結ばれている。 鉄道駅の隣にはPKS(ポーランド国バス)のバスターミナルがあり、各種長距離バスが発着している。
市内交通 主要な公共市内交通手段はバスとトラムである。いずれも、MPKクラクフによって運営されている。2008年現在、バス・トラム共に一回券大人2.5PLN。
[編集] 主なランドマーク
- 旧市街 Stare Miasto
- ヴァヴェル城 Wawel
- バルバカン(要塞) Barbakan
- 織物会館 Sukiennice
[編集] クラクフに縁のある著名人
- ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(1920〜2005、教皇就任まではクラクフの司教)
- ジョゼフ・ローゼンストック(1895~1985、NHK交響楽団の「育ての親」)
- ハリーナ・チェルニー・ステファンスカ(1922~2001、ピアニスト)
- ロバート・クビサ(1984~、レーサー)
- オスカー・シンドラー
[編集] 姉妹都市
[編集] 関連項目
- ポーランドの観光地
- ヴァヴェル城
- ヴァヴェル大聖堂
- ヤギェウォ大学(クラクフ大学)
- クラクフ蜂起
- 世界遺産の一覧
- ムジカ・チェントルム
- ファイト・シュトースの祭壇画(聖マリア教会)
[編集] 外部リンク
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