レフェリー (プロレス)
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プロレスにおけるレフェリー(Referee)は、プロレスの試合を裁く者を指す。
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[編集] 概要
他競技のプロとは異なり、レフェリーとしてのライセンスは存在しない。例外として、かつてNWAにおいてオフィシャル制がとられていたことがあり、日本ではジョー樋口が選任されていた。プロレスのレフェリーの多くは、各プロレス団体に所属して各地で行われるプロレス興行に同行する。
たいていレフェリーは団体内の他の業務を兼任しており、外国人選手の世話役、選手のコーチ、会場設営のスタッフのほか、キャリアを積むとアングルを構成するマッチメイカーを兼任する場合もある。団体とは表裏一体の関係にあるため、この関係が崩れるとミスター高橋のように暴露本を出すなどの造反行為に及ぶ者もいる。
プロレスラーや格闘技関係の有名人がレフェリーを担当する場合もある。このケースの場合は、特別レフェリーとしての参加である場合が多い。
[編集] 特徴
- 統一ルールが存在しないプロレスの世界では、レフェリー個人の裁量あるいは力量が問われることが多い。そのため、各レフェリーによってカウントのスピードや反則とみなす基準などで差異が生じる場合が多い。
- 試合中レスラーに突き飛ばされたり、技を食らったりすることもあるため、修行期間は相応の受身の練習が必須(レスラー経験のない者の場合)。団体によっては選手のスパーリングに参加させることもある。
- 特にプロレス界独特のルールである反則に関する裁定は、ノーコンテスト(没収試合)とする曖昧な裁定が多いが、強引に勝敗を決定する等の不透明裁定のケースは、プロレスファンに強い反感を買う。
- プロレスラー同士の戦いにレフェリーが巻き込まれ、レフェリー不在の間にプロレスラーがピンフォールの体勢を取るケース(俗に言う「幻の3カウント」)も時々あったが、国内ではあまり好まれない為に、最近は排除される傾向にある。
- 1980年代の全日本プロレスでは、プロレスラー同士の戦いにレフェリーが巻き込まれて試合の決着になだれ込む、いわゆる「ジョー樋口失神ギミック」が多発した。巻き込んだレスラーの反則負け・収拾がつかない状態としてノーコンテストや両者反則・ノーレフェリーで戦っている内にレフェリーの体力が回復して普通に決着、などのパターンがあったが、80年代後半から減少していき、平成に入り四天王プロレスの時代になると消滅した。
- 台本の覚えの悪いレスラーが筋書きを忘れてしまった場合、試合終了の合図を送ることがある。
- 流血試合の場合はレフェリーがカミソリやカッターナイフの刃でレスラーの額などを切ることがある。
- 試合中のレスラーの負傷等の予期せぬアクシデントや会場の雰囲気次第では、レフェリー独自の判断で収拾を図る場合がある。
[編集] 主な日本のレフェリー
所属はレフェリーになってからとして、レスラーからの転向に関しては各人の項を参照。
[編集] 元レフェリー
- 沖識名(日本プロレス)
- 九州山(日本プロレス)
- ユセフ・トルコ(日本プロレス→新日本プロレス)
- 田中米太郎(日本プロレス→新日本プロレス)
- 遠藤光男(国際プロレス)
- ジョー樋口(日本プロレス→全日本プロレス→NOAHスタッフ)
- ミスター高橋(新日本プロレス)
- 山本小鉄(新日本プロレス)
- ミスター林(全日本プロレス→ジャパン女子プロレス)
- ブラック・キャット(新日本プロレス)
- ミスター空中(UWF)
- 登坂栄児(大日本プロレス統括部長)実況アナウンサーに転向。
- 神田裕之(闘龍門→DRAGON GATE)現役レスラーに復帰。
- 石井美紀(我闘姑娘)アイスリボン所属でレスラーに転向。
[編集] 現役レフェリー
- 全日本プロレス
- 新日本プロレス
- 全日本プロレス→NOAH
- 無我ワールドプロレスリング
- 闘龍門→DRAGON GATE
- ZERO1-MAX
- KAIENTAI-DOJO
- 大日本プロレス
- DDTプロレスリング
- 大阪プロレス
- テッド・タナベ(ユニバーサル・プロレスリング→みちのくプロレス→大阪)
- 小山良
- IWAジャパン
- パンクラス
- 廣戸聡一
- 岡本浩稔
- 小菅賢次
- 梅木良則
- 我闘姑娘
- 熊木みさき
- 熊木つばさ
- フリー
- ニード手島
- 和田良覚(UWFインターナショナル→リングス→フリー)
- Tommy
- 伊東幸子
- その他団体
[編集] 主な海外のレフェリー
- レッドシューズ・ドゥーガン
- アル・ヘブナー(WWE)
- マイク・キオーダ(RAW)
[編集] レフェリーを務めた事があるプロレスラー
- 1975年に行われたアントニオ猪木対ルー・テーズ戦を担当。
- 現役としての一線を退いた後は、日本でしばしばレフェリーを務めた。
- ジャンボ鶴田対ニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級選手権試合を担当。
- タイガー・ジェット・シン対上田馬之助の遺恨対決を担当。ただし、最終的には両選手に二人がかりで攻撃されていた。
- レッスルマニア20でのブロック・レスナー対ビル・ゴールドバーグ。両者とも退団が決まっておりファンの不満は高く、それを抑える役割も担っていた。
[編集] レフェリーを務めた事がある有名人
- ロッキー・マルシアノ:プロボクシングの現役引退後、短期間だがアメリカとカナダのマットでプロレスのレフェリーとして活動した時期がある。
- ガッツ石松 : 1986年10月に行われたアントニオ猪木対レオン・スピンクスの異種格闘技戦でレフェリーを担当した。2006年2月26日に後楽園ホールで行われたLLPWの興行でも見届け人の立場ながらレフェリーも担当した。参考リンクnikkansports.com
- マイク・タイソン : WWEのレッスルマニア14において。