ヨーロッパにおける民族自決 (1920年)
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ヨーロッパにおける民族自決( -みんぞくじけつ)とは、第一次世界大戦後、パリ講和会議において、ウッドロウ・ウィルソン・アメリカ合衆国大統領の提唱した「民族自決」の元に独立した(国家承認された)ヨーロッパ諸国を指す。
[編集] 概要
第一次世界大戦の終結後、ロシア革命及び敗戦国となった中央同盟の解体によって空白となった東欧地域が独立の主体となった。ただしウィルソン大統領は、民族自決をヨーロッパ列強諸国の植民地にも自決権を与えようとしたため、戦勝国イギリス、フランスが反対し、自決権は、ヨーロッパのみに留められた。自決権によって保障された国家の承認は1920年になされた。これらの諸国は、ヴェルサイユ体制において独立が維持されたが、世界恐慌以後、政情は安定せず、また、小国故に大国の緩衝国と成り果て、第二次世界大戦が勃発すると、次々に侵略を受け、独立を喪失した。
[編集] 民族自決によって独立国となった国
- エストニア - 1918年2月24日、ロシア帝国より独立。
- オーストリア - 1918年、オーストリア・ハンガリー帝国より独立。
- ユーゴスラヴィア(セルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国) - 1918年、セルビア王国を主体に成立。
- チェコスロヴァキア - 1918年、オーストリア・ハンガリー帝国より独立。
- ハンガリー(ハンガリー・ソヴィエト共和国) - 1918年10月31日、オーストリア・ハンガリー帝国より独立。1920年に摂政を伴う王制。
- フィンランド - 1917年12月6日、ロシア帝国より独立。1919年に共和制。
- ポーランド - 1918年11月18日、ロシア帝国より独立。
- ラトビア - 1918年11月18日、ロシア帝国より独立。
- リトアニア - 1918年2月16日、ロシア帝国より独立。