民族自決
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民族自決とは、各民族集団が自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織、政治的運命を決定し、他民族や他国家の干渉を認めないとする集団的権利。自決権ともいう。
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[編集] 歴史
第一次世界大戦末期に、アメリカ大統領ウィルソンが十四か条の平和原則で提唱し、ヴェルサイユ条約での原則となり、その後の民族独立の指導原理になった。
しかし、ナチス・ドイツはこれを逆手に取り、チェコスロヴァキアやポーランド、オーストリアなどに住むドイツ系住民の保護を名目にヨーロッパを、また大日本帝国はアジアの自立支援を名目に、当時ヨーロッパ諸国の植民地であったフィリピンやインドネシアなどに侵攻した(八紘一宇)。
アジア・アフリカにおいては、植民地の独立運動に影響を与えている。
[編集] 国際法上の権利としての確立とその後
国連憲章第1条2、国連総会決議第1514号(1960年12月14日)「植民地諸国、諸人民に対する独立付与に関する宣言」においても認められ[1]、その後の国連や諸国家の行動を経て、植民地人民の独立の権利は一般国際法上の権利として認められるに至った。1966年に採択された国際人権規約により、規約締約国は自決権を保障する国際法上の義務を負っている。
植民地の独立がほぼ達成された今日では、国家内部の先住民・少数民族にも自決権が及ぶかどうかが議論されている。
[編集] 脚注
- ^ なお、国連総会決議には直接の法的効力はない。
[編集] 関連項目
- ヨーロッパにおける民族自決 (1920年)
- アジア・アフリカ会議
- 部族
- 先住民
- 自己決定権
- 領土保全の原則