ヨナ書
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『ヨナ書』(ヨナしょ)あるいは『イオナ書』(イオナしょ)は旧約聖書文書のひとつ。ユダヤ教では「後の預言者」に、キリスト教では預言書に分類する。キリスト教でいう十二小預言書の5番目に位置する。4章からなる。内容は預言者のヨナと神のやりとりが中心になっているが、ヨナが大きな魚に飲まれる話が有名。著者は不明。
イスラエルの神である「唯一の神」の慈悲が、イスラエルの民(ユダヤ人)のみならず、他の国の人々(異邦人)におよぶ事を示す。 同時に、異邦人(非ユダヤ人:ニネヴェの人々)の方が神の意思に従っており、むしろ、ヨナに代表されるユダヤ人の方が神の意思を理解できていない事を示している(この考えは後にパウロに引き継がれ、(後のキリスト教としての)神の意思は、ユダヤ人には受け入れられず、むしろ、異邦人に受け入れられるという認識となり、キリスト教はその様に広まって行った)。
この様に、イスラエルの民の選民思想・特権意識を否定しており、当時のユダヤ人には驚くべき内容であった。この点において旧約聖書文書の中で異色を放っている。
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[編集] 物語
『ヨナ書』の主人公はアミタイの子、預言者ヨナ(イオナ)である。ヨナは、神から、イスラエルの敵国であるアッシリアの首都ニネヴェに行って「(ニネヴェの人々が犯す悪のために)40日後に滅ぼされる」という予言を伝えるよう命令される。しかし、ヨナは敵国アッシリアに行くのが嫌で、船に乗って反対の方向に逃げ出す。このため、神は船を嵐に遭遇させた。ヨナがそれまでの神との事情を船乗りに話すと、船乗りたちはヨナが神の怒りに触れたのだと考え、手足をつかんで海に投げ込んだ。ヨナは大きな魚に飲み込まれ3日3晩魚の腹の中にいたが、海岸に吐き出された。
しかたなく、ヨナがニネヴェにいって神のことばを告げると、意外なことに人々はすぐに悔い改めた。指導者はニネヴェの人々に悔い改めと断食を呼びかけ、人々が実行したため、神はニネヴェの破壊を考え直して、中止した。ヨナは、1度滅ぼすと言ったがそれを中止し、イスラエルの敵であるニネヴェの人々をゆるした神の寛大さに激怒する。
ヨナがその後庵を建てて住んでいると、その横にひょうたん(トウゴマとも)が生えた。ヨナはひょうたんが影を作り日よけになったので喜ぶが、神は熱風を送ってひょうたんを枯らしてしまう。ヨナが激怒して、怒りのあまり死にそうだと訴えると、神はヨナに向かい、ヨナがひょうたんを惜しんだように、神がニネヴェを惜しまないことがあろうかと諭す。
[編集] 成立時期
『ヨナ書』がいつ書かれたのか正確な年代を特定することは難しい。伝統的には紀元前8世紀ごろかかれたと考えられてきたが、現代の旧約聖書学では、その成立は捕囚期以降のペルシャ時代の紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀の始め頃ではないかと考えられている。 『ヨナ書』は文学形態としても、実際の出来事というよりも、寓話物語の様に記述されている。 更に選民思想の否定の外に、「神は、1度言ったこと(ニネベを滅ぼす)は必ず実行する・実現する」という信仰(神理解)に対して、「神は、一旦言ったこと、決めたことでも、考え直す、変更する」という信仰(神理解)が基盤にあり、「天の神」という用語も後代で多く使われている。
[編集] 意味と引用
『ヨナ書』というとなんといっても海に放り込まれたヨナが大きな魚に飲み込まれ、3日後に吐き出されるという話が有名である。ただ、このような人間が魚の体内で運ばれるというありえない話が有名になったゆえに『ヨナ書』の価値そのものが低く見られることになった。しかし、忘れてはならないのは『ヨナ書』の本題は人間が魚にのまれることではなく、神の愛が(ユダヤ人だけでなく)すべての人間におよんでいるということである。 新約聖書ではイエスがヨナの名前に言及する場面がみられる。たとえば『マタイによる福音書』や『ルカによる福音書』ではイエスは、しるしを求める人にむかって「ヨナのしるし」のほかには何のしるしも与えられないという。キリスト教では伝統的に、ヨナが魚の腹にいた3日3晩とイエスが死んでから復活するまでの3日間を対応するものとしてとらえてきた。そのような解釈から福音書の当該部分はヨナの体験を自らの死と復活の予型としてイエスが語っているというふうに読まれた。
ヨナがイエスの予型と捉えられたことから、正教会(ビザンティン典礼)においては、早課の規程の8つの歌頌のうち、第6歌頌中のイルモスにおいてヨナを記憶する。日本ハリストス正教会ではロシア語風の転写を採って「イオナ」と祈祷書中に記載され、聖歌でも「イオナ」と歌われる。
同じ話がイスラム教の『クルアーン』(コーラン)にもみられるがヨナは預言者の1人ユヌスという名前になっている。