マタイによる福音書
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『マタイによる福音書』(―ふくいんしょ、ギリシア語:Κατά Ματθαίον Ευαγγέλιον、ラテン語:Evangelium Secundum Mattheum、英語:The Gospel According to Matthew)は新約聖書におさめられた四つの福音書の一つ。伝統的に『マタイによる福音書』が新約聖書の巻頭に収められ、以下『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。呼び方としては『マタイの福音書』、『マタイ福音』、『マタイ伝』などがあり、ただ単に『マタイ』といわれることもある。
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[編集] 概要
『マタイによる福音書』(以下『マタイ福音』)は構成上、四つの部分に分けることができる。
- イエス・キリストの系図、誕生の次第、幼年時代(1-2)
- 洗礼者ヨハネによるさきがけ、イエスの公生活準備(3-4:11)
- ガリラヤにおけるイエスの福音宣教(4:12-20:16)
- イエスの受難と死、復活(20:17-28)
本書の目的は、イエスこそが「モーセと預言者たちによって」予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスにおいて旧約聖書の預言が成就していることを示すことであった。マタイ福音には旧約の引用が多く見られるが、それらはイエスの到来を予告したものとして扱われている。旧約からの引用箇所は65箇所にも上り、43箇所は地の文でなく語りの中で引用されている。この福音書の狙いは次の言葉にもっともよく表現されている、「私は廃止するためでなく、完成するために来た。」
『マタイ福音』は、イエスをキリスト(救い主)であり、イスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。このようなイエス理解や文体表現から『マタイ福音』はパレスティナにすむユダヤ人キリスト教徒を対象に書かれたと考えられる。
ある人々は、『マタイ福音』には反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたと考えている[要出典]。イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していた人々への批判となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることになったというのである。しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは急進派・過激派ともいえるグループがキリスト教へと変容していったとみなすほうが的確である。
[編集] 成立時期・著者について
本文からは『マタイ福音』の正確な成立時期の特定は難しい。聖書学者の間でも意見が分かれており、エルサレム陥落前(紀元60年 - 65年)に書かれたと考える人々と陥落後(70年代)に書かれたと考える人々に分かれる。どちらにせよ、紀元85年ごろまでに成立したことは間違いがない。
本福音の著者は、伝承では徴税人でありながらイエスの招きに答えて使徒となったマタイであるとされてきたが、現代の聖書学研究によって疑問視されている。マタイが本福音書の著者であるという伝承の元となっているのは教会史家カイサリアのエウセビオスによる『教会史』の第3巻で、2世紀のヒエラポリスの司教パピアスの失われた著作からの引用として「マタイがヘブライ語で言葉(ロギア)を記した」と記している部分である。また、歴史家エウセビオスによる次の報告にも根拠を置く。「マタイは、はじめはユダヤ人に宣教していたが、他の人びとのところに行こうと決めたとき、彼らに告げた福音を彼らの母国語で書いた。こうして彼は、自分が去ろうとしている人びとが、自分が去ることで失うものを著作で代えようとしたのである」(ibid., III, 24, 6)。
新約聖書に四つの福音が収められていることからもわかるように、それぞれの福音は時に互いに引用しながらも、中心にその著者特有の構想と思想(神学)がある。現代ではもっとも有力な仮説とみなされる二資料説では、『マタイ福音』は『マルコによる福音書』と「イエスの言葉資料(語録)」(ドイツ語のQuelle(源泉)からQ資料という名前で呼ばれる)から成立したと考えられる、ある学者たちはさらにマタイ独自の資料も執筆時に参考にしていると考える。(この資料をM資料という。)
[編集] 『マタイによる福音書』と執筆言語
『マタイ福音』についてもっとも議論となる問題は、「もともとは何語で書かれたのか?」という問題である。伝承では『マタイ福音』は最初アラム語で書かれ、ギリシャ語へと翻訳されたとされている。もしマタイ福音がもともとアラム語で書かれたなら、シリアなどでは他にもよく読まれた『ヘブライ人の福音書』などがあったにもかかわらず、なぜマタイ福音だけがすぐに西方で受け入れられたのか?『マタイ福音』のギリシャ語の古い版を見ても、翻訳らしいことがわかる部分はほとんど見つけられない。マタイがユダヤ人を対象として福音書を書いたとはいえ、福音書が書かれたころにはヘレニズム世界に住むユダヤ人の多くにとって、もっともなじみ深い言葉はギリシャ語であった、特にエジプトのアレクサンドリアのユダヤ人共同体は世界最大規模であった。例外がエルサレムであり、そこではさまざまな文化的背景を持つユダヤ人たちが暮らし、アラム語が共通語となっていたと考えられる。ユダヤ人対象に書くにしろ、あえてアラム語で書く積極的な理由を見つけることは難しい。そう考えると初めからギリシャ語で書かれたというほうがつじつまがあう。さらにいえば、いまだにアラム語の『マタイ福音』は発見されていない。
このような論理展開から出た「オリジナル=ギリシャ語」という結論に対して、別の角度からの反論もある。それは各福音書の成立の過程を「二資料説」から離れて再検討しようという考え方である。それによれば「二資料説」の考え方とは逆に『マタイ福音』が初めにかかれ、マルコがそこから引用したとする。すなわち、『マタイ福音』はもともとアラム語で書かれたが、『マルコ福音書』の成立後にギリシャ語に訳され、その過程で『マルコ福音書』が参考にされたという説である。『マタイ福音書』全1071節のうち、387節のみが独自のもので、130節が『マルコ福音書』と共通であり、184節が『ルカ福音書』と共通している。
[編集] 芸術
なお、『マタイによる福音書』の関連作品としてイタリア人監督ピエル・パオロ・パゾリーニによる映画『奇跡の丘』(原題:『マタイによる福音書』"Il Vangelo Secondo Matteo”)がある。
[編集] 関連項目
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