ヤッシャ・ホーレンシュタイン
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ヤッシャ・ホーレンシュタイン (Jascha Horenstein, 1898年5月6日 - 1973年4月2日) はウクライナ出身のアメリカ合衆国で活躍したユダヤ系指揮者。
オーストリア人を母親にキエフに生まれる。1911年に家族に連れられウィーンに転居し、同地でフランツ・シュレーカーほかに師事。その後、ベルリンに移ってヴィルヘルム・フルトヴェングラーの助手を務める。1920年代にはウィーン交響楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮する。ナチスが権力を掌握すると、亡命を余儀なくされ、1940年に渡米、最終的にアメリカ国籍を取得した。ロンドンで他界している。
ホーレンシュタインはとりわけ現代音楽の擁護者として記憶されており、またアントン・ブルックナーやグスタフ・マーラーがまだ流行に乗る前から、これらの作曲家の作品を熱心に支持した。1929年にベルクの<叙情組曲>弦楽合奏版から3つの楽章を初演したほか、1950年には、同じくベルクの歌劇<ヴォツェック>の、演奏会形式による最初の上演を試みた。1969年から1971年にかけてマーラーの交響曲全集の録音と、ロバート・シンプソンの<交響曲 第3番>の録音を行なった。
彼の指揮者としての技量を物語るエピソードして、イギリスBBCが1958度の予算消化のため、急きょマーラーの交響曲第8番の演奏が計画された。「千人の交響曲」と称される膨大な演奏者を必要とする作品を、わずか半年の準備と総練習なし、しかもホーレンシュタイン自身初めて振るというとんでもない条件の元、1959年3月20日、それこそぶっつけ本番で成功させたというのがある。
姉はピアニストのレオ・シロタと結婚。姪ベアテ・シロタ・ゴードンはGHQ憲法草案制定会議のメンバーとして日本国憲法の起草に関わった。