レオ・シロタ
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レオ・シロタ(Leo Sirota, 1885年5月4日 キエフ - 1965年2月25日)はウクライナ出身のユダヤ系ピアニスト。ベアテ・シロタ・ゴードンの父親。
5歳でピアノを始め、9歳までに演奏活動を行なってイグナツィ・ヤン・パデレフスキの注目を浴び、自分の門人になるようにと招かれた。しかしながら両親が、息子は幼すぎるためにそれに相応しくないと判断したため、当初はキエフ音楽院に、その後はペテルブルク音楽院に学んだ。それでも1904年になるとウィーンに留学してフェルッチョ・ブゾーニに師事することができた。
指揮者ヤッシャ・ホーレンシュタインのコレペティトーアを勤めたことが縁となり、その姉と結婚した。ウィーンでのデビューは、モーツァルトによる2台ピアノのためのソナタ(ブゾーニとの共演)に始まり、(作曲者自身の指揮による)ブゾーニの《ピアノ協奏曲》が続いた後、リストの《ドン・ジョヴァンニ幻想曲》で締め括られた。
1929年に来日してから15年間日本に留まり、演奏家ならびに教育者として活動を続けた。またベヒシュタインやスタインウェイのピアノの流行に対して、ヤマハのピアノを擁護している。第二次世界大戦後に渡米して、セントルイスで教鞭を執り、地元の放送局の要望に応えて数々の音源を遺した。
膨大な曲目をレパートリーに誇り、なかでもショパンの全作品を放送音源に遺した。シロタの演奏様式は、きらきらと輝く音色と、素朴な、ほとんど潔癖とさえ言い得るほどの解釈が特徴的であり、これらを支えていたのは驚異的な超絶技巧であった。モーリッツ・ローゼンタール版《子犬のワルツ》をシロタが演奏した際、右手の連続3度のパッセージにアルトゥール・ルービンシュタインは愕然としたという。遺産となった録音は、特殊なリマスターが必要だったため、シロタのピアニストとしての地位が再評価されるようになったのは、ようやく近年のことである。 ジャズピアニスト松谷穣の師。
[編集] 文献
- 山本尚志『日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ』毎日新聞社、2004年11月、ISBN 4620317136