ブロードアピール
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ブロードアピール | |
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2000年11月12日東京競馬場 | |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牝 |
毛色: | 黒鹿毛 |
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生誕: | 1994年4月13日 |
死没: | 現役繁殖牝馬 |
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父: | Broad Brush |
母: | Valid Allure |
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生国: | アメリカ合衆国 |
生産: | ダイアン C. ケム |
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馬主: | 金子真人 |
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調教師: | 松田国英(栗東) |
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競走成績 | |
生涯成績: | 中央32戦12勝 地方3戦1勝 海外1戦0勝 |
獲得賞金: | 5億445万2千円 |
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ブロードアピールは日本の元競走馬で、現在は繁殖牝馬。外国産馬で、主な勝ち鞍は、ガーネットステークス、シリウスステークス、プロキオンステークス、根岸ステークスなど。小さなピッチ(歩幅)からの、ダートでの強烈な追い込みが有名である。
目次 |
[編集] デビュー
デビューが遅れた同馬は5歳の秋になった1998年9月12日、4歳上500万下(札幌・芝1200m)のレースで初出走し、8番人気という低評価ながら3着と好走する。続いて連闘で4歳上500万下(札幌・ダート1000m)のレースに挑むと、評価を2番人気にまで上げ、2着とハナ差の接戦を制し初勝利を挙げる。この時の2着と3着の差もハナ差であった。
その後、4歳上500万下の堀川特別(京都・芝1600m)にて鞍上に岡部幸雄を迎え2番人気に評価されるも11着と惨敗する。
[編集] 芝での適性
ここまでの戦績だけで判断すると芝は不向きと思われるが、その後関西での500万下から900万下のレースを4連勝(いずれも芝)し、その次走に選んだ京都牝馬特別でも負けはしたものの3着という成績を残し、芝の適性を証明することとなった。しかし、これは後にダート路線で活躍することとなるブロードアピールの才能を発見させるのが遅れた要因とも考えられる。
その後も芝コースの重賞で好走を続け、初勝利戦以来ダート戦を使うことはなく、第5回シルクロードステークスで重賞初勝利をあげたが、このレースが芝での最後の勝利となった。
高松宮記念8着、マイラーズカップ12着と惨敗を喫した後、2000年5月14日初勝利戦以来のダート戦となるオープン特別の栗東ステークス(ダート1200m)に出走すると、牡馬を含めても最高斤量(57kg)でしかも6番人気という低評価でもあったにもかかわらず目の覚めるような追い込みでエイシンサンルイス、サウスヴィグラスらを破ってレコード勝ちを収めたのである。
しかしこの時点で陣営はダート路線への転換をせず、函館スプリントステークス、キーンランドカップ(当時はオープン特別)、スプリンターズステークス、スワンステークスと4戦続けて芝のレースを使い続けたがいずれも勝利を収めることは出来なかった。なお、スプリンターズステークスではダイタクヤマトの4着という成績を残している。
[編集] 転機となった根岸ステークス
ブロードアピールの転機ともいえるのが、3戦目のダート戦となった第14回根岸ステークスである。デビュー以来ダート戦では2戦2勝であったが、芝のレースを重点的に使われそれなりの成績を残していた為、当時「ブロードアピールがダート馬」というイメージはファンの間でも殆ど持たれていなかったものと思われる。しかしながら前述の栗東ステークスでのレコード勝ちが評価され1番人気に支持されることとなった。
鞍上にシルクロードステークスで騎乗した武幸四郎を起用してのレースは最後方からのスタートとなり、先頭が残り400mの標識を通過する直前まで最後方に位置していたが、そこから後に鬼脚と呼ばれる末脚を見せる。直線だけで7馬身以上離れ、更に200標識通過時点で5馬身ほど離れた先頭を差しきり、逆に2着のエイシンサンルイスに1 1/4差をつけて重賞2勝目を飾った。
このときのレースがあまりにも衝撃的であったためか、JRAにおける2007年の年間キャンペーン「FEEL LIVE」の特設サイトでおこなわれている「FEEL LIVE ベストテン」と称するレース投票企画では、用意されている20候補のなかにブロードアピールが勝利を収めた第14回根岸ステークスも含まれている。
[編集] ダートでの活躍
以降もダート短距離のレースを走り続け、8歳になった2002年の年明けにはガーネットステークスを勝利する。JRAで8歳牝馬が平地重賞を勝ったのはこの馬が初めてである。そしてその年のドバイゴールデンシャヒーンにも参戦し、5着という戦績を残して引退した。GII以上での最高着順は第1回JBCスプリントでの2着。
ダートのレースでの安定感は抜群であった。引退レースとなった前述のドバイゴールデンシャヒーンでの5着を除いたダート戦においては全て3着以内を確保しており、すなわち日本国内でのダート戦では全て3着以内を確保しているということであるが、その内訳も1着7回・2着2回・3着2回と勝率にして63%・連対率にして81%にもなり、直線での末脚に賭ける追い込み馬はその末脚が不発で見せ場無く大敗を喫してしまうケースが多いことを考慮に入れるとこの数値は驚異的ともいえる。
ブロードアピールは短距離路線を中心に使われ1600mを超えるレースに出走することは生涯一度もなかった。なおダート戦に限定すると全て1400m以下である。
[編集] 繁殖入り後
引退後はノーザンファームで繁殖牝馬となった。2002年にサンデーサイレンスと交配され、2003年にクイックシューター(牡)を出産し、この年はアグネスタキオンと交配された。2004年はオートクレール(牝)を出産し、この年はアドマイヤベガと交配された。2005年はカイゼリン(牝)を出産し、この年はキングカメハメハと交配された。2006年は牝馬を出産した。
ブロードアピールの血統 (ヒムヤー系/Turn-to 4×4×5=15.63%、Alsab 5×5=6.25%、Princequillo 5×5=6.25%) | |||
父
Broad Brush 1983 鹿毛 |
Ack Ack 1966 鹿毛 |
Battle Joined | Armageddon |
Ethel Walker | |||
Fast Turn | Turn-to | ||
Cherokee Rose | |||
Hay Patcher 1973 鹿毛 |
Hoist the Flag | Tom Rolfe | |
Wavy Navy | |||
Turn to Talent | Turn-to | ||
Hidden Talent | |||
母
Valid Allure 1985 黒鹿毛 |
Valid Appeal 1972 黒鹿毛 |
In Reality | Intentionally |
My Dear Girl | |||
Desert Trial | Moslem Chief | ||
Scotch Verdict | |||
Alluring Girl 1980 黒鹿毛 |
Secretariat | Bold Ruler | |
Somethingroyal | |||
Water Cress | Hail to Reason | ||
Hillbrook F-No.4-r |
[編集] 外部リンク
- FEEL LIVE(「FEEL LIVEベストテン」の投票受付ページで根岸ステークスの映像を視聴出来る)