パラドックス
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パラドックス (paradox) という言葉は多義であるが、数学では多くの場合、正しそうに見える仮定と正しそうに見える推論から正しくなさそうな結論が得られる事を指す。「正しくなさそうな結論」は、「本当に正しくないもの」(=矛盾)と「直観的には間違っているように見えるが実は正しいもの」に分けられる。狭義には前者の場合のみをパラドックスと言い、広義には後者もパラドックスという。後者は、前者と区別する為「見かけ上のパラドックス」と呼ばれる事もある。
数学以外の分野では「パラドックス」という言葉はよりラフに用いられ、「ジレンマ」、「矛盾」、「意図に反した結果」、「理論と現実のギャップ」等、文脈により様々な意味に用いられる。
日本語では逆説、逆理、背理と訳される。語源はギリシャ語の "para" (「反」、「逆」)と"dox" (「意見」)から。有名なものに、自己言及のパラドックス、リシャールのパラドックス、ベリーのパラドックスがある。
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[編集] 概要
数学はその発展の中で、「正しそうに見える推論」の中から「本当に正しい推論」を寄り分けてきた。こうしてまず最初に整数や幾何図形のような対象が数学で扱えるようになったが、その後集合や無限のような深遠な対象を取り扱ったり、自己言及のような複雑な推論を扱ったりするようになると、どれが「本当に正しい推論」でどれが「正しそうに見えるが実は間違っている推論」なのかが分からなくなってしまった。パラドックスはこのように、仮定、推論、定義等がよく理解されていない状況で発生してしまうものである。
したがって、パラドックスは単なる矛盾とは区別される。例えば有名な「嘘つきパラドックス」は、「嘘つき」とは何かがはっきりしないからこそ「パラドックス」なのである。これらがはっきり定義された暁には、「嘘つきパラドックス」は単なる「背理法」や「間違った推論」に化ける。このようにパラドックスに適切な解釈を与えて「背理法」や「間違った推論」に変える事を、パラドックスを解消する、という。
数学は矛盾を含まないよう注意深く設計されており、パラドックスの起こる命題はうまく避けたり、あるいはパラドックスを解消した上で取り込んでしまったりしている。従って昔はパラドックスを内包してしまっていた集合や無限のような対象も現在では取り扱う事ができる。
なお、上で説明したようなパラドックスと違い、
- 正しい仮定と正しい推論から正しい結論を導いたにも関わらず、結論が直観に反する
ものも「パラドックス」と呼ばれる。
これは見かけ上のパラドックスと呼ばれ、前述した「真の」パラドックスとは別物である。 例えば誕生日のパラドックスは見かけ上のパラドックスとして知られる。これは「23人のクラスの中に誕生日が同じである2人がいる確率は50%以上」というもので、数学的には正しい事実だが、多くの人は50%よりもずっと低い確率を想像する。他にもヘンペルのカラス、バナッハ・タルスキの逆理などが見かけ上のパラドックスとして知られる(が、これら2つは、数学の公理の妥当性に疑問を投げかける、重大なパラドックスである)。
一方、
- 正しそうに見えた仮定や推論が実は間違っていた
場合は単なる「勘違い」である。なお、(実は間違っている)仮定Aと正しい推論から矛盾した結論を得るのは背理法と呼ばれ、「Aではない」という結論を得る為に数学でよく使われる論法である。特殊な場合として、(公理以外に)何も仮定を置いていないにもかかわらず、正しい推論から矛盾した結論を得たとすると、これは「数学自身が矛盾を含んでいた」事になってしまうが、そのような事はないと予想されている。
[編集] パラドックスの一覧
[編集] 哲学
- ソリテス・パラドックス::言葉の意味の曖昧性から生まれるパラドックス。
- テセウスの船:同一性の認識や言葉の意味の曖昧性から生まれるパラドックス。
- グルーのパラドックス:帰納にまつわるパラドックス。
- 全能の逆説:全能者は自分が持てない石を作る事ができるか?
[編集] 数学・記号論理学
- バナッハ=タルスキーのパラドックス:球を5個以上に分割して組み立てなおすと、もとの球と同じ大きさの球が2個できる、というもの。選択公理の不自然さを指摘したもの。
- ヘンペルのカラス:カラスを一羽も見る事無く「カラスは黒い」を証明できる、というもの。対偶論法の不自然さを指摘したもの。
- 抜き打ちテストのパラドックス:「期間内に抜き打ちテストを行う」という特に間違ってなさそうな言説から矛盾を導く。このパラドックスを解消するには様相論理を必要とする。
[編集] 自己言及パラドックス関連
- ラッセルのパラドックス:自分自身を要素としない集合の集合は、自分自身を含んでいるか
- ベリーのパラドックス:「19文字以内で記述できない最小の自然数」は何か? (「」内の文章自体が19文字であることに注意)
- 嘘つきのパラドックス:「この文章は嘘である」。ゲーデルはこれを「この命題は証明出来ない」という命題に改めて、第一不完全性定理を導いた。
- カリーのパラドックス:「この文章が正しいならばAである」(Aが真でない場合、矛盾する)
- 床屋のパラドックス:ある村の床屋は自分で髭を剃らない村人全員の髭だけを剃ることになっている。それではこの床屋自身の髭は誰が剃るのか。
- 例外のパラドックス:「例外のない規則はない」という規則に例外はあるか。(例外があると仮定しても、無いと仮定しても自己矛盾する)
- 張り紙禁止のパラドックス:「この壁に張り紙をしてはならない」という張り紙は許容されるか。
- リシャールのパラドックス
- ブラリ=フォルティのパラドックス:「全ての順序数の集合」を仮定すると、それ自身が順序数であることから矛盾が生じる
- ライオンのパラドックス
- 自動点灯ライトのパラドックス
- 無視の刑のパラドックス:無視の刑に処すとの言明は許容されるか。
[編集] 無限の濃度に関するもの
- ガリレオのパラドックス
- ヒルベルトの無限ホテルのパラドックス
- 無限に部屋のあるホテルは、満室であってもそれぞれ n 番目の客室の客に n + m 番目の客室に移ってもらうことにより、さらに m 人の客を泊めることができる。無限の客がやってきても入室可能。
これら2つは一見真のパラドックスに見えるが、実は見かけ上のパラドックスにすぎず、数学的に正しい事実を述べている。濃度を見よ。
[編集] 確率論関連
- 誕生日のパラドックス:何人の人が集まると、その中に同じ誕生日の2人がいる確率が50%以上となるか。
- 陽性のパラドックス:検査で陽性であったとき、実際に感染している確率は何%か。
- モンティ・ホール問題:3つのドアの選び方
- 聖ペテルスブルグのパラドックス
- シンプソンのパラドックス: 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。
これらは全て見かけ上のパラドックスに過ぎない。
[編集] 物理
[編集] 宇宙論関連
- オルバースのパラドックス
- 宇宙が一様かつ無限であれば一つの星の光は僅かでも総和として夜空は無限に明るくなるはずだというパラドックスだが膨張宇宙の発見により回避された。
- ゼーリガーのパラドックス
- 宇宙が一様かつ無限であれば一つの星の重力は僅かでも総和として地球はあらゆる方向から無限に強く引かれるはずだというパラドックスだがオルバースのパラドックスと同様、膨張宇宙の発見により回避された。
- フェルミのパラドックス
[編集] 相対論関連
[編集] 量子論関連
- EPRのパラドックス
- シュレーディンガーの猫のパラドックス
[編集] 経済学・社会科学
- グロスマン・スティグリッツのパラドクス
- 囚人のジレンマ
- 投票の逆理(コンドルセのパラドックス)
- 投票行動のパラドックス
- アビリーンのパラドックス
- エレベーターのパラドックス:エレベーターはいつも一方にばかり動いているように見える。
- イノベーションのジレンマ
- コモンズの悲劇
- チャイナ・パラドックス:中世の中国は紙や火薬を発明し、農業生産力・人口も多かったのに、新大陸発見・産業革命で世界を制したのはヨーロッパであるという説。中国は1つの国であり、ヨーロッパは複数の国なので、そもそも対比の方法自体がおかしい。パラドックスと言うよりジョークの一種である
- フレンチ・パラドックス:フランス料理は油を多用し体に悪いはずなのに、フランス人の心臓病は他のヨーロッパ人やアメリカ人よりむしろ少ないという説。一時期、赤ワインが体に良い理由として取り上げられることが多かったが、最近の研究では、フランス人の食生活は見た目の印象とは違い、トータルで見れば非常にバランスが取れているという至極当たり前の理由に結論づけられている。見かけ上のパラドックスの一種と言えよう。フランス料理のところを中華料理に置き換え、チャイニーズ・パラドックスとも言う(こちらも理由はフランス料理と同じ)。
[編集] SF
[編集] 未分類
- 料金の紛失のパラドックス:見かけ上のパラドックス。というよりも単なる論理パズル。
- 寛容のパラドックス
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- ウィリアム・パウンドストーン著、松浦俊輔訳『パラドックス大全』青土社、2004年 ISBN 4-7917-6143-X
[編集] 外部リンク
- パラドックス集
- (百科事典)「Paradoxes and Contemporary Logic」 - スタンフォード哲学百科事典にある「パラドックスと現代論理学」についての項目。(英語)