ナバラ州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
|||||
州都 | パンプローナ(イルーニャ) | ||||
公用語 | スペイン語、北部ではスペイン語とバスク語 | ||||
面積 – 総面積 – 割合 |
第11位 10,391km² 2.2% |
||||
人口 – 総人口(2006) – 割合 – 人口密度 |
第15位 601,874人 1.3% 57.92/km² |
||||
住人の呼称 – 英語 – スペイン語 – バスク語 |
Navarrese navarro/a nafar, napartar |
||||
自治州法 | 1982年8月16日 | ||||
ISO 3166-2 | NA | ||||
議席割当 – 下院 – 上院 |
5 1 |
||||
州知事 | ミゲル・サンス・セスマ(ナバラ連合) | ||||
州政府のサイト |
ナバラ州(バスク語:Nafarroa、 スペイン語:Navarra、フランス語:Navarre)は、スペインの自治州。ナバラ県1つからなる一県一州の自治州である。州都はパンプローナ。
西はバスク国、南はラ・リオハ州、東はアラゴン州に接し、北はフランス(アキテーヌ地域圏)と接している。
正式名称Comunidad Foral de Navarraのforal(名詞形fuero)は、封建時代に遡る用語で、特定の階級や地域に認められた法律のことである。
目次 |
[編集] 歴史
詳細はナバラ王国を参照。
かつてナバラ王国がピレネー山脈を挟んでこの一帯を統治していた。ナバラ王国はもともとパンプローナと呼ばれ、824年頃にイニゴ=アリスタがフランク王国に反乱を起こして建国した。1512年、フェルナンド2世によって山脈から南側はスペインに統合された。
フランス側に分かれた地方はバス・ナヴァールと呼ばれ、現在のフランスのピレネー=アトランティック県になっている。ナバラ王国のエンリケ3世は、1589年アンリ4世としてフランスの王になった。以後フランス王はナバラ王を兼ね、フランス側のナバラは1791年まで別の王国として存続した。
[編集] 自治体
272の基礎自治体があり、そのうち7割近くが人口千人未満である。州の人口約60万人のうち3分の1が州都パンプローナ(約19万6千人)に住んでいる。2番目に人口が多いのはトゥデラ(es、約3万人)、3番目はバラニャイン(es、約2万人)。
[編集] 言語
ナバラは歴史的なバスク国の一部と見なされている。しかし、この地のバスク語は何世紀もの間に後退し、現在はピレネー山脈沿いの地域で話されている。
1986年の法律では、ナバラは3つの言語圏に分けられた。バスク語圏、混合圏、非バスク語圏(カスティーリャ語、つまりスペイン語地域)である。バスク語圏と混合圏では、カスティーリャ語と並んでバスク語が公用語とされている。
[編集] 関連項目
- スペイン君主一覧(歴代のナバラ国王一覧)
[編集] 外部リンク
|
---|
アンダルシア | アラゴン | アストゥリアス | バレアレス諸島 | バスク | カナリア諸島 | カンタブリア | カスティーリャ・ラ・マンチャ | カスティーリャ・レオン | カタルーニャ | エストレマドゥーラ | ガリシア | ラ・リオハ | マドリード | ムルシア | ナバラ | バレンシア |
|
---|
ア・コルーニャ | アストゥリアス | アビラ | アラバ | アリカンテ | アルバセテ | アルメリア | ウエスカ | ウエルバ | オウレンセ | カステリョン | カセレス | カディス | カンタブリア | ギプスコア | グアダラハラ | クエンカ | グラナダ | コルドバ | サモラ | サラゴサ | サラマンカ | サンタ・クルス・デ・テネリフェ | ジローナ | シウダー・レアル | セゴビア | セビリャ | ソリア | タラゴナ | テルエル | トレド | ナバラ | ハエン | バダホス | バレアレス諸島 | バルセロナ | バリャドリッド | バレンシア | パレンシア | ビスカヤ | ブルゴス | ポンテベドラ | マドリード | マラガ | ムルシア | ラス・パルマス | ラ・リオハ | リェイダ | ルーゴ | レオン |