クイーン・メリー2号
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船歴 | |
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船籍 | イギリス |
所有 | カーニバル・コーポレーション |
運行 | キュナード・ライン |
発注 | 2000年11月6日 |
起工 | 2002年7月4日 |
進水 | 2003年3月21日 |
命名 | 2004年1月8日 |
処女航海 | 2004年1月12日 |
性能諸元 | |
総トン数 | 148,528トン |
排水量 | 約76,000トン |
全長 | 345m |
全幅 | 41m(水線) 45m(ブリッジ) |
全高 | 72m |
吃水 | 10m |
機関 | GE LM2500ガスタービン CODAG 117 MW(157,000馬力) |
推進器 | 電気推進装置(各21.5 MW)4基 固定 2 水平可動 2 |
速力 | 約30ノット |
定員 | 乗客2,620名/クルー1,253名 |
クイーン・メリー2号(クイーン・メリーにごう、RMS Queen Mary 2、QM2))はイギリス船籍のクルーズ客船。排水量7万6千トン、全長345mという船体は2003年の建造当時、客船としては史上最大を誇った。カジノやスポーツセンターを始めとして、プラネタリウムまで備える様子はしばしば「洋上の宮殿」と形容される。
目次 |
[編集] 概要
クイーン・メリー2号はキュナード社の現時点でのフラッグシップであり、定期的に渡洋航海を行っている。1969年から2004年までキュナード社のフラッグシップを務めたクイーン・エリザベス2号の後継として建造され、それまでクイーン・エリザベス2号が担っていた大西洋航路を引き継いだ。ちなみに、1936年から1967年まで同航路を航海していたのが、クイーン・メリー2号が名前を受け継いだ初代クイーン・メリー号である。
クイーン・メリー2号の接頭辞RMSは元々Royal Mail Steamer(英国郵便汽船)の略であったが、先代クイーン・メリー号とは異なり、ディーゼルエンジンとガスタービンを併用するCODAGを採用した2号ではRoyal Mail Shipの略称とされる。
船名の略称としては「QM2」が用いられ、2はtwoと発音される。日本語では「クイーン・メリー2世号」との表記も広まっているが、「Queen Mary The Second」でないことを考慮すれば、「クイーン・メリー2号」とするのが適切である。
[編集] 船歴
[編集] コンセプトと建造
従来のいかなる船より大きな船を―。21世紀の豪華客船建造計画は、1998年にキュナード社を買収したカーニバル社のCEOミッキー・アリソンのそんな考えが発端だった。彼はこう述べている。「この船を造るためにキュナード社を買収したんだ。逆じゃない」。1998年6月、キュナード社は従来から進めていた重量8万4,000トンの2,000人乗り新型客船の設計を完了したが、できあがった案はカーニバル社のデスティニー級客船(重量10万トン)や、ロイヤル・カリビアン社のボイジャー・オブ・シーズ号(同13万7千トン)と比較して小さく、この計画は破棄された。
6ヶ月後の1998年12月10日、キュナード社はクイーン・エリザベス2号の後継建造という「クイーン・メリー計画」の詳細を公表。入札にはタイタニック号などで知られる北アイルランドのハーランド・アンド・ウルフ社、ノルウェーのアーカー・クヴァナ社、イタリアのフィンカンティエリ社、フランスのアトランティーク造船所が参加した。建造が順調に進んでいれば2002年までに就役できるはずであったが、受注業者がアトランティーク造船所に決まったのは2000年11月6日のことであった。このアトランティーク造船所はキュナード社のかつてのライバル、ジェネラル・トランスアトランティック社のノルマンディー号とフランス号を建造した造船所である。
建造は2002年7月4日にフランスのサン・ナザールで始まった。約3,000人の熟練工が延べ800万時間を作業に費やし、設計から艤装までを合わせ、約2万人が何らかの形で携わった。造船所では、あまりに巨大なクイーン・メリー2号の作業を「1.6隻体制」で行った。[1]
クイーン・メリー2号は2003年3月21日に進水し、9月25日から29日と11月7日から11日の二度にわたり公試が行われた[2] 。その4日後の11月15日、最終段階にあった建造は思いもよらぬ事故により水をかけられる。作業員と招待されたその家族約30人が作業用通路を歩いていた際、通路が突如崩壊し15m下に落下したためである。この事故で計22名が負傷し、子供を含め16人が死亡した。
とはいえ、建造自体は予定通り完了した。巨大な船体、絢爛な内装、外航船として要求される堅牢性。こうした要因により鋼鉄の使用量は一般的な客船と比して40%ほど多い。
[編集] 就航後
2004年1月12日、テロリストに対する厳戒態勢の下、2,620名の乗客を乗せたクイーン・メリー2号はイギリスのサウザンプトンを出港し、アメリカ合衆国フロリダを目的地とする処女航海を行った。
7月4日、アメリカ独立記念日に際しニューポートに寄港した。8月13日から始まったアテネオリンピック開催中にはアテネのピレアスに2週間停泊し、水上ホテルとしてイギリス首相トニー・ブレア夫妻やフランス大統領ジャック・シラク、元アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュを迎えた。[3]
2006年1月、クイーン・メリー2号は南アメリカ一周航海を開始したが、フォートローダーデール出港に際し防潮壁にスクリューが衝突し損傷した。これにより速力は低下し、目的地リオデジャネイロに向かうまでの寄港地の一部は通過を余儀なくされた。乗船を待ちこがれていた客の中には、座り込み抗議を行う構えを見せていた者もいたが、キュナード社が払い戻しを申し出たことにより事態は収束へ向かった。船は本来の速度を発揮できぬまま航海を続け、旅程の一部は変更となった。損傷が完全に復帰したのは、6月にヨーロッパに帰港し、乾ドックでのスクリュー解体修理が終了した11月のことだった。平行して、スター・プリンセス号火災事件後に発効した新規制を遵守するため、船内の全てのバルコニーにスプリンクラーが設置された。また、視界向上を目的としてブリッジの左右が2メートルほど拡張された。[4]
南アメリカ一周航海を終えた2006年2月23日、クイーン・メリー2号はカリフォルニア州ロングビーチにおいて、初代クイーン・メリー号と対面した。小型船隊にエスコートされた女王たちは汽笛を鳴らし、交歓した。その音は街中に響き渡るものであった。
クイーン・メリー2号に乗船した有名人や賓客としては、イギリス女王エリザベス2世、エディンバラ公フィリップ、ブレア首相、ブッシュ元アメリカ大統領、ミュージシャンロッド・スチュワート、ジャズピアニストデイヴ・ブルーベック、不動産王ドナルド・トランプなどが知られている [5]。2007年1月10日より、クイーン・メリー2号は就役以来初となる81日間世界一週クルーズを行っている。また、2月20日には僚船のクイーン・エリザベス2号とシドニー湾で顔を合わせた。キュナード社のクイーンシップがシドニーで一緒になるのは、兵員輸送船として使用されていた初代のクイーン・メリー号とクイーン・エリザベス号が経験した第二次世界大戦中の1941年以来であった。[6] [7][8]午前5時42分という早朝の到着にもかかわらず、シドニーでは多数の見物人がクイーン・メリー2号を見ようと詰めかけた。このため、当局はシドニー・ハーバーブリッジとアンザックブリッジを一時封鎖するに至った。1600人がシドニーで下船し、キュナード社は今回の寄港が地元に与える経済効果は100万ドルを超えるだろうと試算している。
[編集] 設計
クイーン・メリー2号の主設計はカーニバル社の設計士、ステファン・ペインが担当した。 設計にあたり主にクイーン・エリザベス2号が参考とされたことは明らかだが、その外観には他の船の面影も垣間見える。一例を挙げると、前方に傾斜するブリッジは初代クイーン・メリー号を思わせるデザインとなっている。
クイーン・メリー2号の第7甲板にはプロムナードデッキ(遊歩甲板)がある。解放式ではないので、全速航行下であっても強風に晒されることなく、乗客は談笑に興じながら船を一周することができる。 海上人命安全条約(SOLAS)の基準では救命ボートを船体下方に設置することを要求しているが、外観の向上や嵐の際に襲いかかる北大西洋の大波がもたらすボートの損傷を防ぐといった観点から、クイーン・メリー2号では例外が認められた。
船首にはバルバス・バウが採用され、造波抵抗の低減や速力向上、燃費の効率化に寄与している。また、クイーン・メリー2号のスクリューは推進方向を変えることが可能で、舵を必要としない。
何となくずんぐりとした煙突の外観は、設計最終段階で為された変更によるものである。当初のデザインでは、エンジン改装後のクイーン・エリザベス2号に似たものになる予定であった。変更の理由は、原案ではニューヨーク市にあるヴェラザノ・ナローズ・ブリッジを通過することができないと判明したことによる。実のところ、変更後の現状でも橋梁の下端とは3mほどしか余裕がない。外国の主要寄港地の橋に合わせて設計が見直されたのは、イギリス船ではキャンベラ号に続き2件目である。
クイーン・メリー2号の船体に対応できない港湾では、乗客の乗り降りは専用船を用いて海上で行う。この船は航海中、上甲板の吊柱に救命ボートと並んで収納される。
[編集] 船内
クイーン・メリー2号のロビーや通路、階段などでは、16カ国総勢128人のアーティストが制作した5,000以上の作品が人々の目を楽しませる [9]。このなかでも、「ブリタニア・レストラン」にあるバーバラ・ブロークマン作の大型タペストリーと、グランドロビーにあるジョン・マキーナ作の銅板壁画が著名である。後者の壁画は初代クイーン・メリー号のメインダイニングルームに飾られていた壁画をモチーフに作成された。[10]
クイーン・メリー2号では随所に配置の工夫が見られる。通常、CODAG船ではガスタービンを船底部にディーゼルエンジンと並べて設置することが慣例だが、クイーン・メリー2号では煙突直下に防音区画を設けその中にガスタービンを配している。こうすることで燃焼時に酸素を多く消費するタービンへ給気するダクトを最上甲板から降ろす必要が無くなり、船内の居住空間をより広く取れるようになった。また、クイーン・メリー2号のメインパブリックルームは船の下部に位置し、客室は上層に配置されている。この工夫によって、人気の高いプライベートバルコニーを備えた船室の数を多く確保することに成功した。さらに、レストランもなるべく上方に設けることで、全速航行時にスクリューから生じうる不快な振動を食事中の乗客に可能な限り感じさせないよう配慮した。
乗客が立ち入ることができる最下層の第2デッキには、史上初の洋上プラネタリウム「イルミネーションズ」や劇場、グランドロビー、「エンパイア・カジノ」、「ゴールデン・ライオンパブ」などがある。第3から第6デッキは主に客室で、第8デッキには「トッド・イングリッシュ・レストラン」や美容サロン、世界最大規模の船内図書館が用意されている。
予約時に支払った運賃に応じて乗客が利用するレストランを区分することに対しては、船を分割するものだという批判の声もある。クイーン・メリー2号のメイン・ダイニングは、船室等級AA~D8の乗客には第2・第3デッキに位置する「ブリタニア・レストラン」、P1~P3の乗客には第7デッキの「プリンセス・グリル」、Q1~Q7利用者には同じく第7デッキの「クイーン・グリル」がそれぞれ指定されており、これはクイーン・エリザベス2号でも同様である。クイーン・メリー2号ではさらに「プリンセス・グリル」と「クイーン・グリル」の利用客に対し第11デッキ後部にジャグジーつき専用区画が設けられ、差別化の傾向が強まっている。ただし、これ以外のレストランやバー、各種施設については原則的に船室等級で利用を制限されることはない。
[編集] 船室等級一覧
- クイーン・グリル
- グランド・デュープレックス (Q1)
- ハリウッド・デュープレックス・スイート (Q2)
- ウィンザー・アンド・バッキンガム・スイート (Q2)
- クイーンメリー・アンド・クイーンエリザベス・スイート (Q2)
- ロイヤル・スイート (Q3)
- ペントハウス (Q4)
- クイーンズ・スイート (Q5-Q7)
- プリンセス・グリル
- プリンセス・スイート (P1-P3)
- ブリタニア・レストラン
- ブリタニアクラブ (AA)
- デラックスバルコニー (A1-A3)
- プレミアムバルコニー (B1-B6)
- スタンダード・オーシャンビュー (C1-C4)
- アトリウムビュー (D1)
- スタンダード・インサイド (D2-D8)
[編集] 参考文献
- ^ Queen Mary 2; Maxtone-Graham, John
- ^ Plisson, Philip; Queen Mary 2: The Birth of a Legend; Harry N. Abrams, Inc, Publishers; 2004
- ^ QM2 will be floating fortress
- ^ News.Telegraph: Cunard foils QM2 mutiny with full refund offer
- ^ Cunard news archive
- ^ Queen Mary 2 world cruise itinerary
- ^ Queen Elizabeth 2 world cruise itinerary
- ^ Queen Elizabeth 1940-1973
- ^ The art of cruising in luxury
- ^ Queen Mary 2 Cunard
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- キュナード社 クイーン・メリー2号公式サイト
- フォトギャラリー
- 処女航海写真録
- ブリッジ・ウェブカメラ
- News reports and picture from Maritime Matters
- Queen Mary 2 interior and exterior pictures
- 第2~13デッキ 船内図