カーク・ギブソン
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カーク・ギブソン(Kirk Harold Gibson , 1957年5月28日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した元野球選手。 外野手。左投左打。アメリカ合衆国ミシガン州出身。 現役時代は主にデトロイト・タイガース、ロサンゼルス・ドジャースで活躍し、現在はアリゾナ・ダイヤモンドバックスでベンチコーチを務める。
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[編集] 最初のタイガース時代
ミシガン州立大学では野球の他にアメリカンフットボールでもワイドレシーバー(WR)として全米大学チームに選出されるほどの活躍を見せた。 大学卒業時にはMLBのデトロイト・タイガースとNFLのセントルイス(現在はアリゾナ)・カージナルスの両方からドラフト指名を受けたが、野球を選択。 タイガース入りして1979年9月8日にメジャーデビューを果たす。 1983年には右翼手のレギュラーとなり、1984年にはチームが地区優勝し、アリーグチャンピオンシップシリーズではMVPに選出される活躍を見せ、チームをワールドシリーズに導く。 ワールドシリーズでもサンディエゴ・パドレスを破り、ワールドチャンピオンに輝いた。 タイガースが3勝1敗と王手をかけた第5戦(タイガースタジアム)、8回表にパドレスが1点を返して1点差に迫ったその裏、ギブソンはパドレスのリリーフエース、リッチ・ゴセージ(2008年にアメリカ野球殿堂入り、ダイエーでもプレイ)から4点差と引き離すダメ押しの3ランホームランを打ち、シリーズの趨勢を決する一打となった。
1984年は27本塁打、29盗塁。1985年は29本塁打、30盗塁で惜しくも「The 30-30 club」(30本塁打30盗塁)を逃す。 この年のオフにフリーエージェント(FA)となる。去就が注目されたが、当時は各球団のオーナーが共謀してギブソンのような高額フリーエージェントとの契約を避けたために良いオファーが得られず、旧所属球団との交渉期限となる1986年1月8日にタイガースと再契約。 このシーズンも28本塁打34盗塁と惜しくも「30-30」を逃し、結局引退まで30-30は達成できず終いとなった。 1987年も24本塁打を打ってチームの地区優勝に貢献。 その年のオフに、1985年から1987年にかけてのオーナーの共謀が反トラスト法違反とみなされ、ギブソンも再度FAが認められ、ロサンゼルス・ドジャースに移籍。
[編集] 「The Home Run」(ドジャース時代)
初のナ・リーグとなった1988年は、終盤に足を痛めたが132試合で打率.290、25本塁打、75打点と活躍しチームの地区優勝に貢献。 ニューヨーク・メッツとのナ・リーグチャンピオンシップシリーズは、メッツ有利が囁かれていた。 第3戦では雨のシェイ・スタジアムで、ムーキー・ウィルソンの打球を足を滑らせて膝立ちになりながらもキャッチ。 第4戦は同点で延長戦となり、12回表に決勝のソロホームランを打つ。そして最終戦となった第5戦では5回表に3ランホームランを打ち、チームをワールドシリーズに導いた。
シリーズも、ホセ・カンセコやマーク・マグワイアらの強打を誇るオークランド・アスレチックス有利と予想されていた。 このシリーズでは、ギブソンは足の故障を悪化させて走ることができず、スターティングラインナップからは外された。 迎えた本拠地ドジャー・スタジアムでの第1戦。 1回裏にドジャースが2点を先制するが、アスレチックスは2回表にカンセコの満塁本塁打であっさり4-2と逆転。ドジャース打線はその後、アスレチックスのエース、デーブ・スチュワートに抑えられ、 6回に1点を返すものも、アスレチックスは9回裏にその年45セーブをあげたリリーフエースのデニス・エカーズリー(のち殿堂入り)が登板。 すぐに2アウトを取るが、代打のマイク・デービスが四球で出塁。続いてギブソンが投手アレハンドロ・ペーニャの代打に起用される。
デービスが二塁盗塁成功。フルカウントからエカーズリーが投げたスライダーをギブソンが打つと打球はライトスタンドへの逆転サヨナラ2ランホームランとなった。 ギブソンが足を引きずりながらダイヤモンドを一周する姿はこの年のメジャーリーグのハイライトと言えるシーンとなった。 ギブソンがこのシリーズに出場したのはこの1試合、1打席きりであったが、永遠に語り継がれるであろう一打となった。 ドジャースはオーレル・ハーシハイザーの力投もあって4勝1敗でアスレチックスを下し、ワールドチャンピオンとなった。
そして、その年のナ・リーグMVPに選出された。 シーズンの成績は特筆すべきものではなかったが、プレイオフ、ワールドシリーズでの印象的な活躍によって選ばれた。
その後、1989年と1990年はいずれも故障で100試合以下の出場にとどまり、1990年限りでFAとなってドジャースを去る。
[編集] カンザスシティ・ロイヤルズ以後
1991年にはカンザスシティ・ロイヤルズに移籍。この年132試合に出場するが打率.236、16本塁打に終わり、翌1992年はピッツバーグ・パイレーツに移籍。 この年はわずか16試合の出場に終わって自由契約となり、1993年は古巣タイガースに6年ぶりに復帰。その年は116試合に出場。 ストライキでシーズンが途中で終わった翌1994年は98試合の出場で23本塁打を打つ活躍を見せるも、1995年8月に現役を引退。
1998年から2002年にはFSNのタイガース担当解説者を務め、2003年にはタイガースのベンチコーチ(日本のプロ野球でいうヘッドコーチに相当)に就任。 2005年には打撃コーチに変更。2006年にはアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍してベンチコーチとなる。
[編集] 受賞歴・記録
- MVP1回(1988年)
- ア・リーグチャンピオンシップシリーズMVP1回(1984年)
- シルバースラッガー賞1回(1988年)
[編集] 年度別打撃成績
年 度 |
チ 丨 ム |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
四 球 |
三 振 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
塁 打 |
犠 打 |
犠 飛 |
敬 遠 |
死 球 |
併 殺 打 |
O P S |
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1979 | DET | 12 | 38 | 3 | 9 | 3 | 0 | 1 | 4 | 3 | 3 | 1 | 3 | .237 | .256 | .395 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.651 |
1980 | DET | 51 | 175 | 23 | 46 | 2 | 1 | 9 | 16 | 4 | 7 | 10 | 45 | .263 | .303 | .440 | 77 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0.743 |
1981 | DET | 83 | 290 | 41 | 95 | 11 | 3 | 9 | 40 | 17 | 5 | 18 | 64 | .328 | .369 | .479 | 139 | 1 | 2 | 1 | 2 | 9 | 0.848 |
1982 | DET | 69 | 266 | 34 | 74 | 16 | 2 | 8 | 35 | 9 | 7 | 25 | 41 | .278 | .341 | .444 | 118 | 1 | 1 | 2 | 1 | 2 | 0.785 |
1983 | DET | 128 | 401 | 60 | 91 | 12 | 9 | 15 | 51 | 14 | 3 | 53 | 96 | .227 | .320 | .414 | 166 | 5 | 4 | 3 | 4 | 2 | 0.734 |
1984 | DET | 149 | 531 | 92 | 150 | 23 | 10 | 27 | 91 | 29 | 9 | 63 | 103 | .282 | .363 | .516 | 274 | 3 | 6 | 6 | 8 | 4 | 0.879 |
1985 | DET | 154 | 581 | 96 | 167 | 37 | 5 | 29 | 97 | 30 | 4 | 71 | 137 | .287 | .364 | .518 | 301 | 3 | 10 | 16 | 5 | 5 | 0.882 |
1986 | DET | 119 | 441 | 84 | 118 | 11 | 2 | 28 | 86 | 34 | 6 | 68 | 107 | .268 | .371 | .492 | 217 | 1 | 4 | 4 | 7 | 8 | 0.863 |
1987 | DET | 128 | 487 | 95 | 135 | 25 | 3 | 24 | 79 | 26 | 7 | 71 | 117 | .277 | .372 | .489 | 238 | 1 | 4 | 8 | 5 | 5 | 0.861 |
1988 | LAD | 150 | 542 | 106 | 157 | 28 | 1 | 25 | 76 | 31 | 4 | 73 | 120 | .290 | .377 | .483 | 262 | 3 | 7 | 14 | 7 | 8 | 0.860 |
1989 | LAD | 71 | 253 | 35 | 54 | 8 | 2 | 9 | 28 | 12 | 3 | 35 | 55 | .213 | .312 | .368 | 93 | 0 | 2 | 5 | 2 | 5 | 0.680 |
1990 | LAD | 89 | 315 | 59 | 82 | 20 | 0 | 8 | 38 | 26 | 2 | 39 | 65 | .260 | .345 | .400 | 126 | 0 | 2 | 0 | 3 | 4 | 0.745 |
1991 | KC | 132 | 462 | 81 | 109 | 17 | 6 | 16 | 55 | 18 | 4 | 69 | 103 | .236 | .341 | .403 | 186 | 1 | 2 | 3 | 6 | 9 | 0.744 |
1992 | PIT | 16 | 56 | 6 | 11 | 0 | 0 | 2 | 5 | 3 | 1 | 3 | 12 | .196 | .237 | .304 | 17 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0.541 |
1993 | DET | 116 | 403 | 62 | 105 | 18 | 6 | 13 | 62 | 15 | 6 | 44 | 87 | .261 | .337 | .432 | 174 | 0 | 3 | 4 | 4 | 2 | 0.769 |
1994 | DET | 98 | 330 | 71 | 91 | 17 | 2 | 23 | 72 | 4 | 5 | 42 | 69 | .276 | .358 | .548 | 181 | 2 | 5 | 3 | 3 | 2 | 0.906 |
1995 | DET | 70 | 227 | 37 | 59 | 12 | 2 | 9 | 35 | 9 | 2 | 33 | 61 | .260 | .358 | .449 | 102 | 0 | 2 | 3 | 3 | 6 | 0.807 |
通算 | 17年 | 1635 | 5798 | 985 | 1553 | 260 | 54 | 255 | 870 | 284 | 78 | 718 | 1285 | .268 | .352 | .463 | 2686 | 23 | 56 | 72 | 61 | 72 | 0.815 |
[編集] エピソード
- スパーキー・アンダーソンはチーム事情のためにギブソンのメジャー昇格が早まってしまったことを後に悔やんでいる。もう少し経験を積ませてからの方がよい成績を収められたと語っている。
- 現役時代にギブソンがつけていた背番号はほとんどが「23」であったが、2000年にタイガースの背番号23はウィリー・ホートンの永久欠番となったため、2003年から2年間ギブソンがタイガースでコーチを務めた際につけていた背番号は隣の番号である「22」だった。なお、現在コーチを務めるダイヤモンドバックスでは、背番号23である。
- 意外にもオールスターには一度も選ばれていない。2006年終了時点で、リーグMVPになった選手でオールスターの出場歴がないのはギブソンのみである。
- 1987年にフロリダ州レイクランドで、自家用セスナ機で標高25,200フィート(約7,500m)を飛び、全米飛行家協会公認の最高記録を達成した。
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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1 ルー・ウィテカー / 3 アラン・トランメル / 8 マーティ・カスティーヨ / 13 ランス・パリッシュ / 14 デーブ・バーグマン / 15 ラスティー・カンツ / 16 トム・ブルッケンス / 17 ビル・シェラー / 20 ハワード・ジョンソン / 21 ウィリー・ヘルナンデス / 23 カーク・ギブソン / 27 バーバロ・ガーベイ / 29 アウレリオ・ロペス / 30 ジョニー・グラッブ / 31 ラリー・ハーンドン / 32 ルパート・ジョーンズ / 34 チェット・レモン / 39 ミルト・ウィルコックス / 40 ダグ・ベア / 41 ダレル・エバンス / 46 ダン・ペトリ / 47 ジャック・モリス 監督 スパーキー・アンダーソン |
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3 スティーブ・サックス / 5 マイク・マーシャル / 7 アルフレンド・ グリフィン / 9 ミッキー・ハッチャー / 10 デーブ・アンダーソン / 12 ダニー・ヒープ / 14 マイク・ソーシア / 17 リック・デンプシー / 21 トレーシー・ウッドソン / 22 フランクリン・スタブス / 23 カーク・ギブソン / 26 アレハンドロ・ペーニャ / 30 ジョン・チューダー / 31 ジョン・シェルビー / 33 ジェフ・ハミルトン / 37 マイク・デービス / 38 ホセ・ゴンザレス / 49 ティム・ベルチャー / 50 ジェイ・ハウェル / 51 ブライアン・ホルトン / 54 ティム・リアリー / 55 オーレル・ハーシハイザー 監督 2 トミー・ラソーダ |
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投手 | 33 ビリー・バックナー / -- ジョン・コートラングス / 37 フアン・クルーズ / 49 ダグ・デイビス / 62 エリミアーノ・フルート / 31 エドガー・ゴンザレス / 58 フアン・グティエレス / 15 ダン・ヘイレン / 51 ランディ・ジョンソン / 38 ブランドン・ライオン / 44 マイカ・オーウィングス / 36 ハイレン・ペグエロ / 56 トニー・ペーニャ / 48 ユスメイロ・ペティート / 50 チャド・クオルズ / 63 レオ・ロサレス / 39 マックス・シャーザー / 45 ダグ・スレイテン / 65 エスマリング・バスケス / 17 ブランドン・ウェブ |
捕手 | 60 ウィルキン・カスティーヨ / 7 ロビー・ハモック / 26 ミゲル・モンテロ / 19 クリス・スナイダー |
内野手 | 4 エミリオ・ボニファシオ / 61 ハビアー・ブリトー / 2 クリス・バーク / 6 スティーブン・ドリュー / 1 オーランド・ハドソン / 34 コナー・ジャクソン / 11 オギー・オヘーダ / 27 マーク・レイノルズ / 18 チャド・トレーシー / -- ビル・ホワイトセル |
外野手 | 22 エリック・バーンズ / 76 アレックス・ロメロ / 12 ジェフ・サラザー / 10 ジャスティン・アプトン / 24 クリス・ヤング |
監督・コーチ | 3 ボブ・メルビン(監督) / 23 カーク・ギブソン(ベンチコーチ) / 5 チップ・ヘイル(三塁コーチ) / 35 ブライアン・プライス(投手コーチ) / 9 リック・シュー(打撃コーチ) / 53 グレン・シャーロック(ブルペンコーチ) / 8 リー・ティンズリー(一塁コーチ) |
公式サイト(英語)より 40人ロースター 監督・コーチ一覧 2008年5月27日更新 |