アツタ (エンジン)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アツタは、第二次世界大戦頃にドイツのダイムラー・ベンツ社で開発・製造された航空機用液冷倒立V型12気筒エンジンであるDB 600シリーズを、日本海軍の指示で愛知航空機がライセンス生産した航空機用エンジン。DB 600をライセンス生産したアツタ11型、DB 601をライセンス生産したアツタ21型、その性能向上型としてアツタ32型などがある。艦上爆撃機彗星、特殊攻撃機晴嵐に搭載された。なお、日本陸軍の指示で同じくDB 601を国産化したエンジンに川崎航空機のハ40がある。
目次 |
[編集] 国産化の特徴
原型のDB 601Aエンジンは戦闘機Bf 109にも搭載された液冷エンジンで、ボッシュ製直接燃料噴射装置やフルカン継手(可変速流体継手)による無段階変速過給機(スーパーチャージャー)を備えた世界最先端の高性能エンジンではあったが、クランク軸に嵌入する主コンロッドの大端部にローラー・ベアリングを採用するなど過度に精密な部分が多かった。国産化に当たってはそのままのコピーは行わず、例えば原型のDB 601が当時の多くの液冷エンジンと同様にエチレングリコールを冷却液に用いていたのに対し、アツタは純水(防錆剤等は含まれる)を冷却液に用いる高圧水冷方式に変更していた。特殊な冷却液を必要としないこの方式は、エチレングリコール冷却に変わる技法として注目されつつあったものだったが、冷却水に高圧をかける関係上、パッキング等が不十分だと冷却水漏れが発生しやすいという欠点もあった。
陸軍のハ40同様、戦略物資の使用制限からクランク軸のニッケルの使用量を削減したが、海軍がアツタに課した制限は陸軍のハ40に対するものより甘かった(海軍の方が技術的に達観していたためとする一方、そもそも空母専用で大量生産するつもりがなかったためとも言われる)。また、愛知では対応策としてクランク軸の焼付処理を長時間化して強度を確保する事にした。この結果生産は隘路になったが、完成品のアツタは全体的にハ40より程度がよく、整備さえ行き届いていれば空冷エンジンと変わらなかった。事実、芙蓉部隊では他部隊で持て余した彗星を主力機としたが、整備員の教育によって戦争末期であるにも関わらず高い稼働率を維持した。[要出典]。
また、改良型の32型では出力向上の一方、信頼性と生産性の向上のために一部補機類(発電機など)を日本製の既存品に交換するなどの措置を受けており、大戦末期まで一定のペースで生産が続けられた。同様にオリジナルのDB 601を基礎とするハ40から発展したハ140の絶望的な生産状況とは対比的になっている。
[編集] 主要諸元
※使用単位についてはWikipedia:ウィキプロジェクト 航空/物理単位も参照
[編集] アツタ21型
- タイプ:液冷倒立V型12気筒
- ボア×ストローク:150mm×160mm
- 排気量:33.93L
- 全長:2,097mm
- 全幅:712mm
- 乾燥重量:655 kg
- 燃料供給方式:直接噴射式
- 過給機:遠心式スーパーチャージャー1段流体継手式(フルカン継手)無段階変速
- 離昇馬力
- 公称馬力
- 一速全開 1,010HP/2,400RPM (高度1,500m)
- 二速全開 970HP/2,400RPM (高度4,500m)
[編集] アツタ32型
- 乾燥重量:722 kg
- 離昇馬力
- 1,400HP/2,800RPM
- 公称馬力
- 一速全開 1,310HP/2,600RPM (高度2,000m)
- 二速全開 1,300HP/2,600RPM (高度5,000m)
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『歴史群像 太平洋戦史シーリズ56 大戦末期航空決戦兵器 橘花、火龍、秋水、キ74……幻のつばさ2』(学習研究社、2006年) ISBN 4-05-604536-4
- 古峰文三「ダイムラーベンツ「DB601」発動機と日本陸海軍」 p136~p147
- 『世界の傑作機 No.69 海軍艦上爆撃機「彗星」』(文林堂、1998年) ISBN 4-89319-066-0
- 渡辺哲国「アツタ・エンジンの栞 ダイムラー・ベンツDB601A国産化ストーリー」 p68~p73