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アズレージョ - Wikipedia

アズレージョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジョルジェ・コラソ作のタイルによるパネル『A Ala dos Namorados』。アルジュバロータの戦いを描写したもの
ジョルジェ・コラソ作のタイルによるパネル『A Ala dos Namorados』。アルジュバロータの戦いを描写したもの

アズレージョポルトガル語:azulejoスペイン語ではアスレホ)は、ポルトガルスペインで生産される、典型的な上薬をかけて焼かれたタイル。中断なしにはっきりと5世紀もの間芸術の流行として引き続いた、ポルトガル文化における典型的な外観となった。

ポルトガルへ行けばどこでも、アズレージョは教会宮殿、一般の家の内や外、鉄道駅や地下鉄駅でさえも見られる。アズレージョは、壁や床、天井でさえも使われるように、ポルトガル建築の主要外観を構成する。装飾用に使用されるのみでなく、一般の家の室温管理のような特別な機能能力を持つ。多くのアズレージョの年代記は、ポルトガル史の歴史的・文化的外観を成す。

目次

[編集] 歴史

[編集] 15世紀

アズレージョで飾られた、伝統的なアンダルシア地方の家
アズレージョで飾られた、伝統的なアンダルシア地方の家

この芸術は、スペインを経由してムーア人からポルトガルにもたらされた。ムーア人らはペルシャ人から工芸を習得した。アズレージョという言葉は、アラビア語の: الزليج (al zulayj)に由来する。琺瑯で覆われた素焼きであるZelligeという言葉は、磨かれた石を意味する。この発祥は、多くのタイルにおいてまぎれもなくアラビアの影響を受けていることを表す。組み合う曲線、幾何学的であったり花のモチーフを使用することなどである。セビーリャは、ヒスパノ=モレスク焼タイル産業の主要産地となり、cuerda seca (一連にして乾かす)とcuencaという古い技術が用いられた。

シントラ宮殿にあるCuencaタイル
シントラ宮殿にあるCuencaタイル

15世紀の初期のアズレージョは、一連にして乾かしたタイル(cuerda seca)と、ムーア人伝承のazulejos alicatados (タイル・モザイクの衝立)であった。これらは、1503年にセビーリャを訪問したポルトガル王マヌエル1世が、帰国してからセビーリャから輸入した物である。これらは単色の上薬をかけられ、幾何学的な模様で装飾されていた。壁に貼られたり、床に敷き詰めたりされた。シントラ宮殿にあるアラブ風の間が特に知られている。ポルトガル人たちは、ムーア人のhorror vacui (あいた空間の恐怖)の伝統を引き継ぎ、壁をアズレージョで完全に覆い隠した。

[編集] 16世紀

アズレージョは15世紀後半から16世紀初頭まで、壁を覆うという目的で盛んに用いられた。16世紀ヒスパノ=モウリスコス風アズレージョの秀逸なコレクションは、ポルトガルの町ベージャにあるレイニャ・ドニャ・レオノール博物館で見ることができる。

1415年にポルトガルがセウタを攻略した後、彼らはアズレージョ技術を自分たちで伝えるようになった。しかし、16世紀半ばまでは、ポルトガル人は輸入された外国産をあてにし続けた。ほとんどはスペイン産だが、アントウェルペン産、イタリア産のものもわずかにあった(アレンテージョ地方のヴィラ・ヴィソサにあるヤン・ボゲートによる2つの背障はフランドル産タイルを使用している。また、エヴォラにあるフランシスコ・ニクロソによる被昇天はイタリア産タイルである)。

スペイン、フランドル、イタリアから陶工らが16世紀初頭にポルトガルへやってきて、ポルトガル国内に工房ができ、彼らはルネサンス期に発祥したマイオリカ焼(Maiolica)技術を持ち込んだ(これにより、タイルに直接色をつけることが可能となった)。この技術で、多くの芸術家たちが構図上造形的な主題の多くを表現することが可能になった。

16世紀の古いポルトガル人名人の一人はマルサル・デ・マトスで、バルカリョア邸の『スザンナと長老たち』(1565年)を創り、『羊飼いの崇敬』(リスボン・国立アズレージョ博物館所蔵)も創った。リスボンのサン・ロッケ教会内にある『聖ロチュスの奇跡』は、1584年にできたポルトガルでの初めてのアズレージョ構図であった。それは、フランシスコ・デ・マトス(おそらくマルサル・デ・マトスの甥で弟子)の作である。どちらも、イタリアとフランドルから入ってきた、ルネサンスとマニエリスムの絵画・エングレービングに触発されたものであった。

ヴォウゼラのマトリス・デ・カンブラ教会ファサードの、色とりどりのアズレージョ
ヴォウゼラのマトリス・デ・カンブラ教会ファサードの、色とりどりのアズレージョ

これはセラミックスの歴史において重要な反響であった。ルネサンス様式の多彩色の上薬をかけたタイル(azulejo renascentista、サン・ロッケ教会に使用された物)、のちにマニエリスム様式のタイル(azulejo maneirista、アマロ礼拝堂に使用された物)などがそれを牽引した。アズレージョのほとんどに、寓話やギリシャ神話聖書の一場面、聖人の生涯や狩猟風景などが描かれた。サン・ロッケ教会には、セビーリャの工房の様式であるダイアモンドを四隅に打ったアズレージョ(ponta de diamanteトロンプルイユ効果とグロテスク装飾を見せるダイアモンドが使われる)が見られる。これら異様な表現を含むグロテスク装飾は、18世紀最後までしばしば用いられた。

16世紀後半、色とりどりのアズレージョ(azulejos enxaquetado)は、教会、修道院などの表面大部分で装飾として使用された。対角にある白色タイルは青い角タイルと狭い横縞タイルで囲まれている。

[編集] 17世紀

すぐあとに、これらの白い単色タイルは多彩色タイル(enxaquetado rico)に取って代わられた。これはしばしば込み入った構造に使われた(サンタレンにあるサンタ・マリア・デ・マルヴィラ教会のアズレージョ装飾は、ポルトガルで最も顕著なタイルによる室内装飾である)。

対角タイルが水平多彩色タイルの反復模様に取って代わった時、一つは違ったモチーフのある新たなデザインを手に入れることができた。バラツバキ(時にはバラ・花輪)の描写のある、マニエリスム装飾が組み合わさっていた。差し込まれた奉納品は常にキリストや聖人の生涯からその一つの光景を描写した。これら絨毯構図 (azulejo de tapete)は、17世紀の間大量に生産され、念入りにフリーズと横縞で構成されていた。良い例はエヴォラのサルヴァドール修道院、オブッル・デ・モンテ・アグラソのサン・キンティノ修道院、クーバのサン・ヴィセンテ修道院、コインブラの大学礼拝堂である。

祭壇正面のアンテペンディアを装飾するのにアズレージョを使うのは、貴重な祭壇布を模倣することであり、ポルトガルでは典型的なことである。衝立は1つの片、もしくは2つか3つの部門で創られていた。これらは16世紀、17世紀、18世紀に使用された。17世紀の幾つかのアンテペンディアは、オリエントの織物(キャラコやチンツ)をまねたものである。祭壇布の金の房飾りは、彩色横縞タイルの黄色いモチーフによってまねられた。洗練された例は、リスボンのサンタ・マルタ病院、アルモステル教会、ブサコ修道院の中で見ることができる。

同じ頃、フリーズの種類で別のモチーフがもたらされた。鳥、イルカ、赤ん坊が側にある花瓶で、アルバラデスalbarradasと呼ばれた。これらはおそらく、ヤン・ブリューゲルのような、花瓶を描いたフランドル絵画から触発された物とされる。これらは17世紀には自由な普遍の存在であったが、18世紀には反復的なモジュールにおいて使用された。

その他のアズレージョ構図は、aves e ramagens(鳥と枝)である。これは1650年から1680年の間に流行となった。インドから輸入されたプリントの反物にある描写から影響された物である。ヒンドゥー教の象徴や花、動物や鳥が表される。

17世紀初頭、スペイン人芸術家ガブリエル・デル・バルコ・イ・ミヌスカは、デルフトからデルフト焼をもたらした。アムステルダムにあるヤン・ファン・オールトの工房とヴィレム・ファン・デル・クロートの工房は、裕福なポルトガル人顧客のため、歴史的な光景を表した巨大タイル衝立を創った(例として、リスボン市ベンフィカにあるフロンテイラ侯邸)。しかし、ペドロ2世は、1687年から1698年の間アズレージョ輸入を停止し、ガブリエル・デル・バルコ工房が生産で代わって優勢になった。オランダからの最後の主要生産品は、1715年に配達された。すぐに、地元で作られた大きな青白の造形的タイルが学問を修めたポルトガル芸術家によりデザインされ、有力な流行となり、反復模様と抽象的装飾というかつての趣向は地位を奪われた。

[編集] 18世紀

ファン・デル・クロートによるアズレージョ(1708年)。ナザレのノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会の交差廊
ファン・デル・クロートによるアズレージョ(1708年)。ナザレのノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会の交差廊

17世紀後半から18世紀初頭はアズレージョの黄金時代となり、名人の循環(Ciclo dos Mestres)と自称した。大量生産が国内の大量需要から始まったのみならず、海外植民地ブラジルからもたくさんの注文がきた。大部分が一度だけの注文で、反復的タイル模様が富裕層に買われるという、少々高価な用途から取って代わった。教会、修道院、宮殿、邸宅は内も外もアズレージョで覆われ、多くはあふれるばかりのバロック要素タイルである。

多くの不変のデザイナーはこの18世紀初頭に現れた。アントーニオ・ペレイラ、マヌエル・ドス・サントス、アントニオ・デ・オリヴェイラ・ベルナルデスと息子ポリカルポの工房などである。モノグラムのみで知られるPMPという名人と彼の共同製作者テオトーニオ・ドス・サントス、ヴァレンティム・デ・アルメイダ、バルトロメウ・アンツネスとその弟子ニコラウ・デ・フレイタスらも同様である。彼らの作品はジョアン5世(1706年-1750年)時代に同時に生み出されたため、この時代の様式はジョアニネ様式と呼ばれた。

ケルス宮殿にあるロココ様式のアズレージョ
ケルス宮殿にあるロココ様式のアズレージョ

この同じ時期、最初の招待図案(figura de convite)が表れた。PMP親方が考案し、18世紀と19世紀に生産された。これらは等身大の肖像でアズレージョの衝立を切り開いた物で(供回り従者、ハルバードを持つ従者、貴族や優雅に着飾った貴婦人などが題材)、いつも宮殿の玄関広間(ミトラ宮殿など)、パティオと階段踊り場などに用いられた。目的は訪問者を歓待することにある。これはポルトガルでしか見られない使用である。

1740年代、ポルトガル社会の嗜好が、物語の一場面を表すパネルから、より小さく繊細に製作されたロココ様式に変わった。これらは、フランスの画家アントワーヌ・ワトーの作品にあるように、きらびやかな、牧歌的な主題を描くものだった。秀逸な例は、リスボンのカルニデ地区にある、メスキテラ公邸のファサードと庭園、そしてケルス宮殿Corredor das Mangasである。大量生産されたタイルは、優れた多彩変則の貝モチーフで、より型にはまったデザインで好評を博した。

1755年のリスボン大地震後の、リスボン復興は、アズレージョ装飾のより実用的用途が求められた。これは、ありのままで、機能的な様式がポンバル様式(リスボン復興を指揮したポンバル侯セバスティアン・デ・メロにちなむ)として知られるようになった。小さな信心深いアズレージョのパネルが、将来の災難に対しての防御として建物に取り入れられていった。

その反動で、簡素でより繊細な新古典主義様式が、より和らげられた彩色で表れた。これらタイルの主題はロバートとジェームズ・アダムズのエングレービングによりポルトガルに紹介されたものである。デザイナーのセバスティアォン・イナーシオ・デ・アルメイダと画家フランシスコ・デ・パウラ・エ・オリヴェイラの作品レアル・ファーブリカ・デ・ロウサ・ド・ラト(Real Fábrica de Louça do Rato)は、この時代のラト・タイルと呼ばれた重要な製品となった。その他にこの時期重要なタイル画家は、フランシスコ・ジョルジェ・ダ・コスタである。

[編集] 19世紀

19世紀前半、装飾タイルの生産は不振であった。まずはナポレオン軍の侵略すなわち半島戦争、のちに社会と経済の変革が起こったためである。1840年頃ブラジルからの移民がポルトで産業化されたタイル生産を始め、ポルトガル人たちはアズレージョで自宅のファサードを飾るブラジルの様式を受け継いだ。これらの工場が、単色または二色の、高品質の浮き彫りタイルを生産している間に、リスボンの工場は別の手法を用い始めた。それは、青白地に転写する手法すなわち多彩色アズレージョであった。1890年代、リスボンの工場は、クリーム色陶器の余白を用いた別の転写法を始めた。

これらの産業化された手法が、簡素で、様式化されたデザインを生み出した一方で、マヌエル・ジョアキン・デ・ヘスースや殊にルイス・フェレイラの用いた手塗りタイル芸術は廃れなかった。ルイス・フェレイラはリスボンのタイル工場ヴィウヴァ・ラメゴの工場長で、この工場のファサード全体を寓話的情景で覆った。彼は、トロンプ・ルイユ(騙し絵)技術を用い、花瓶、樹木、寓話的人物を描いたフェレイラ・ダス・タブレタス(Ferreira das Tabuletas)として知られるパネルの作者である。これらの手塗りタイルパネルは、19世紀後期の折衷主義ロマン文化のすぐれた実例である。

[編集] 20世紀

ポルトの店頭にあるアール・ヌーヴォーのアズレージョ
ポルトの店頭にあるアール・ヌーヴォーのアズレージョ

新しい世紀に入り、アール・ヌーヴォーのアズレージョがラファエル・ボルダロ・ピニェイロ、ジューリオ・セーサル・ダ・シルヴァ、ジョゼ・アントーニオ・ジョルジェ・ピントら芸術家らにより始まった。1885年、ピニェイロはカルダス・ダ・レイニャにセラミックス工場を設立。そこで彼はこの都市を有名にした多くの陶器デザインを創造した。この工場に、彼は自身の想像力溢れる作品を収めたサン・ラファエル博物館をつくった。特に、装飾皿と風刺の効いた石像で知られる。

1930年代頃、アール・デコのアズレージョは、その様式第一の芸術家アントーニオ・コスタを生み出した。2万枚のアズレージョからなる記念碑的装飾は、ポルト市のサン・ベント駅構内連廊にある。作者はジョルジェ・コラソで、ロマン主義の絵はがきの如く、歴史的主題を物語っている。これは20世紀のアズレージョで最も著名な創作の一つである。サント・イルデフォンソ教会のファサードは、コラソの芸術的職人芸を表している。この時代のその他の芸術家は、マーリオ・ブランコ、シルヴェストル・シルヴェストリ(カルモ教会のファサード装飾を1912年に手がけた)、エドゥアルド・レイテ(ポルト生まれで、アルマス礼拝堂の装飾をした)である。

同時代を牽引した芸術家には、ジョルジェ・ニショルソン・モオレ・バルラダス、ジョルジェ・マルティンス、メネス、パウラ・レゴらがいる。マリア・ケイルは1957年から25年以上、リスボン地下鉄の19の駅に巨大な抽象芸術パネルをデザインした。これらの作品から、彼女は、一部衰退していたアズレージョ芸術の復興と更新における精力的な勢力となった。インテンデンテ駅の彼女の装飾は、現代タイル芸術の傑作とされている。1988年、後進の同世代芸術家は新設の地下鉄駅装飾を委託された。ジューリオ・ポマル(アルト・ドス・モイニョス駅)、マリア・ヘレナ・ヴィエイラ・ダ・シルヴァ(シダーデ・ウニヴェルシターリア駅)、ロランド・サ・ノゲイラ(ラランジェイラス駅)、マヌエル・カルガレイロ(コレージオ・ミリタール駅)らである。

国立アズレージョ博物館は、リスボンにある世界最大のポルトガル・タイルのコレクションを所有する場所である。

'セウタ攻略時のエンリケ航海王子' ポルト、サン・ベント駅構内のパネル
'セウタ攻略時のエンリケ航海王子'
ポルト、サン・ベント駅構内のパネル

[編集] 外部リンク

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