MARCH (学校)
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MARCH(まーち)とは、以下の大学群の総称である。
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由来
大学受験に偏差値が用いられ始めた1960年代に日東駒専とともに登場した用語である。既に明青立法中(めいせいりっぽうちゅう)という用語で受験指導に使用されていたが語感が良くないため、旺文社の螢雪時代という受験情報誌の編集長が明青立法中を参考に改めて作り出したという説がもっとも有力視されている。
明青立法中が発生した由来として語られている説には以下のものがある。
- 東京都立日比谷高等学校の進路担当教員が、東京六大学のうち東大と早慶を抜いた3大学に偏差値的に近かった2大学を追加して進路指導に使用していたという説
- 代々木ゼミナールが私立大学の受験ブームにあわせて輪切りをした際にまとめ、受験指導に用いていたという説
- 研数学館が東京六大学に入っていない中央大学を六大学とは違った新たな大学群として分類するために新しく作り出したという説(この説には研数学館ではなく両国予備校が同趣旨で作り出したという説もある)
ただし、これらの説はいずれも有力な文献がなく、俗説として流布しているだけのため、現時点では明青立法中が発祥した由来に関しては不明なままである。
大学間の交流
もともとはこうした大学受験におけるスラングであり、全く交流のない関係であった。現在も5大学が全て揃って行われている公的な集会は特にない。しかし、これら5つの大学が中心となって東京12大学広報連絡協議会が作られている。また、学生レベルでは早慶や日東駒専のいずれかと協力して組織化を実施しているケースが多い。
その他概要
- 1960年代、螢雪時代の誌面では早稲田大学と慶應義塾大学を加えて「WKMARCH」という表記を用いていたことが確認できる。その後、早稲田大学と慶應義塾大学が外れ、MARCHという語法に落ち着いている。
- 1970年代は国立大学が共通一次試験(センター試験の前身)を導入し、首都圏を中心に受験生の国立離れ、私大人気の傾向が強まった時代であり、MARCHは過熱する私大人気を象徴する言葉となった。
- 1970年代には上智大学も含めてJMARCH(ジェーマーチ)あるいは新東京六大学などという用語が使われていたこともあった。しかし、MARCHの各大学が大学の規模を拡大して郊外移転を実施した時期に上智大学は現有地から動かなかったため、学生の人気が高くなり、現在では上智大学をまとめることはなくなっている。
- 明青立法中の代わりにMARCHという用語が登場した頃、CHARM(チャーム)という用語が使用されていたことがあった。旺文社以外の受験参考書でこちらを使用している事例があることから螢雪時代に対抗して発生したのではないかと推察される。しかし、1980年代に入るとこの用語は使用されなくなった。現在でもそのころに大学受験をしていた世代はCHARMという言葉を使うことがある。
- 一部の予備校では2000年度後半に入ってからMARCHではなく再び明青立法中を使用するケースも現れている。
- 2005年頃から学習院大学も含めて、GMARCHという用語を使用するケースも現れている。