CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社
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CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社 | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
放送方式 | 生放送 |
放送時間 | 月~木曜 21:00-24:40 |
パーソナリティ | 冨田和音他 |
放送局 | CBCラジオ |
放送期間 | 1989年10月2日-1994年3月31日 |
特記事項: バルセロナ五輪開催時の1992年7月27日 - 1992年8月6日は、月~木曜 21:00-23:40の放送 |
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『CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社』(クリエイティブカンパニー とみたかずねかぶしきがいしゃ)は、1989年10月2日-1994年3月31日に中部日本放送(CBC)で放送されていた夜の若者向けラジオ番組。通称、『冨カン』(とみカン)。
目次 |
[編集] 概要
番組名が示す通り、メインパーソナリティは、CBCアナウンサーの冨田和音(現:同社報道局参事 兼 番組審議会事務局長)が務めた。
放送は、月曜~木曜 21:00~24:40。
「ラジオで会社ごっこをしよう」を番組のコンセプトとしており、「代表取締役社長」である冨田を筆頭に、出演者を「役員」、アシスタントを「秘書」、ディレクターを「花の係長」、そしてリスナーを「株主」と呼ぶなど、当番組は徹底して会社の組織やその運営形式にこだわった。ちなみに、この番組が放送開始される前に同局で平日夜の時間帯に放送されていた『小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス』でメインパーソナリティを務めていた小堀勝啓(CBCアナウンサー)は、当番組にも『会長』という名目で携わっていた。
番組は前半後半の2部方式で、前半が冨田「社長」とアシスタントの「秘書」、そしてゲストを招いてのトークや各コーナーの紹介(ゲストを交えてのトークは計1時間半程度)、後半は各「役員」を迎えてのコーナー進展(水曜日のみマンスリーゲストを迎えての「DJ研修講座」)をすすめていく。
ハガキや「namos(ナモス)」と呼ばれるキャプテンシステム、電話やFAXでの業務連絡や冨田総研企画会議での投稿の紹介、富士フイルム販売店の有志の協力で配布されていた冨カン出版事業部用の封筒が紹介されると「株」がもらえ(普通は1株、冨カン出版事業部「写るんです」用の封筒での紹介は2~3株)、ある程度の株がたまると、各オリジナルグッズが送られるシステムになっていた。なお、この「株」というポイントは「仕手戦・株100億円への道」で出されるクイズでも正解するともらえた(ハガキ等の紹介よりも多くの株がもらえた)。また、業務連絡で最優秀なものにも多くの株がもらえた。
ハガキの紹介等は傾向とすれば同じ人が読まれる「常連化」に行きがちな面もあった(これは、最近のニッポン放送系列の番組ヤンピースも冨カンと同様のシステムを使っているため、その方向に行きがちであるようだが)。一方で優秀な新人の登場により、旧来の「大株主」と呼ばれる常連リスナーを追い越すといった現象も起こった。
[編集] 主な出演者
- 代表取締役社長/冨田和音 - メインパーソナリティ。
- 副社長/伊集院光 - 木曜のパーソナリティを担当。
- 取締役秘書室長/鉄崎幹人 - 火曜のパーソナリティを担当。
- 常務取締役/山村洋子 - 月曜後半でコメンテーターとして出演。
- 常務取締役/大城孝幸 - 月曜後半でコメンテーターとして出演。
- 常務取締役/高野史枝 - 月曜後半でコメンテーターとして出演。
- 常務取締役/松本典子(元アイドルの松本典子とは別人) - 木曜のパーソナリティを担当。
- 常務取締役/戸井康成 - 木曜のパーソナリティを担当。
- 関東開発本部長/辛島美登里 - 番組内コーナーを担当。
- 部長/障子久美 - 番組内コーナーを担当。
- 東京支局長/近藤名奈 - 番組内コーナーを担当。
- モスクワ支局長/川村かおり
- 社員/相馬裕子 - 番組内コーナーを担当。
- 冨カンプロデュースアイドル/石橋奈々
- 秘書 - アシスタント担当、各曜日とも1~2名を配置。大学生・短大生を中心に、オーディションで選出。
- 井沢英子(フリータレント) - 1990年4月~。水曜を担当。
- 久松史奈 - 「DJ研修講座」1990年10月研修生からレギュラーに昇格、1991年4月~。火曜を担当。
- ローマは一日にして奈良漬 - 筆頭株主(常連投稿者)から昇格、1991年10月~。木曜を担当。
- 田中麻理(学生・タレント) - 1993年4月~1994年3月。水曜を担当。
- 秋山おさむ - 1993年4月~1994年3月。木曜の秘書補佐を担当。
- 峩洋絵水 (学生・劇団員)- 1993年4月~1994年3月。木曜の秘書を担当。
- 秘書着任から1週間程遅れて登場した。理由はローマは一日にして奈良漬による次期秘書監禁疑惑ともいわれているが(という設定!?)真相は不明。
- ガチャピンに似ていて、特技がお遊戯と合気道らしい(戸井康成本部でも本人の特技を生かした小コーナーが出来てしまった。詳細はこちら)。
- 自称「大女優」らしい。
- 他
- バーソナリティ/トミー(伊藤とみ、寿司屋のおばちゃん) - 火曜後半のレギュラー。
番組放送中に、ディレクターやプロデューサーなどの制作スタッフの名前が出てくることはラジオ番組全般でよくあることだが、冨カンは特に制作スタッフの存在感が強かった番組だった。当番組は4年半にわたり放送されたため、ディレクターの入れ替えが少ないのは当然だが、出演者に劣らぬ彼ら個性的な制作スタッフたちもまた、家族的な雰囲気の中で行われた当番組の人気を支えていた大きな要因であったと言える。
なお、2代目木曜花の係長・熊谷章洋は当初アナウンサーとして入社。一時期雨傘コーナー「熊谷章洋スピードメルヘン」のコーナーを受け持ったりもしたが,冨カンのディレクター時代は心底不本意だったらしく,自身のHPの年表には『冨カン』の経歴に全く触れていない。
[編集] 主な放送内容
[編集] 21時台
- 業務連絡
- 今日取り上げるテーマを電話で募集。月曜の場合、「冨田総研企画会議」の意見募集にも使われた。
- 入社試験・クイズ青田買い
- 初期のコーナー
- 仕手戦・株100億円への道
- 辛島美登里 貴方とジェントリーナイト
- 1990年10月8日~1991年4月4日の間、月曜~木曜の21:20~21:30
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- なお、1989年10月2日~1990年10月1日は23時台に放送。
- 1989年10月2日~1990年3月28日の間は、月曜~木曜の21:20~21:30に、1990年4月2日~1990年10月1日は月曜のみ21:20~21:30(ナイターがあったため)の放送では「障子久美プライベートミュージック 窓から武道館が見える」が放送されていた(1990年のナイターオフ期に相互の時間枠を交換)。
- 「パートナーボイスは辛島美登里でした」というフレーズで終わる。
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- 近藤名奈 本当のことだけ言わない
- 1993年10月~1994年3月までの放送。月曜~木曜の21:20~21:30
- 冨カン終了後の番組「GiRL POP SLASH」でも、同タイトルの番組が40分枠丸ごと(金曜日担当)放送されていた。
- 秘書室のいけない話
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- 後期に「ああ不思議フシギ」という1コーナーがあった。
- 身の回りに起った不思議な出来事を紹介するコーナーだったが、冨田「社長」の紹介する声の方が怖い、という声の方が多かった。
- ちなみに、続編の「ああ不思議フシギ2」や「ああ不思議フシギ3」もあり。
- 後期に「ああ不思議フシギ」という1コーナーがあった。
- おいらは株主・いつかはオーナー
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- 「おいらは株主・いつかはスター」というタイトルでアイドルを募集していた時期もあった
- 「拝啓達郎さま」「追伸達郎さま」(月曜日)
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- 番組開始当初に山下達郎がゲストとして来た際、本人が「社歌でもつくりましょうか」と述べた言葉に冨田社長が食らいついてつくったコーナー内コーナーだったが、結局社歌は制作されなかった。
[編集] 22時台
- 冨カン出版事業部(富士フイルム提供)
- 写真ネタを募集する「写るんです」、イラスト等を募集する「それ見たこと課」、一押し新人を紹介していた「ニューフェイス のるかそる課」などがこのコーナーで行われていたが、大体は「写るんです」が主体。ナイターオフ時は22時丁度のニュースの後ぐらい。
- 役員室午後3時(ポッカコーポレーション提供)
- ナイターオフ時は22:20頃。ゲスト紹介。
- 電話越しで思いや愚痴を伝えるコーナー
- リスナーの登場の際には必ず風呂場風のエコーがかかっていた。
- 豊橋局のみ「向こんパート2」に差替。
[編集] 23時台
- 障子久美プライベートミュージック 窓から武道館が見える
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- 1990年10月8日~1992年3月30日まで 月曜~木曜 23:00~23:10
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- なお、1989年10月2日~1990年3月28日の間は、月曜~木曜の21:20~21:30に、1990年4月2日~1990年10月1日は月曜のみ21:20~21:30(ナイターがあったため)の放送で、それまでは「辛島美登里 貴方とジェントリーナイト」が放送されていた(1990年のナイターオフ期に相互の時間枠を交換)。
- ちなみにタイトルの由来は、CBC東京支社を構える東京千代田会館7階から西方向越しに日本武道館が見えるかららしい。
- ジェイダイナー東海(当時。現ジェイアール東海パッセンジャーズ)の提供。
- 相馬裕子 風の祭日
- 1992年4月6日~1994年3月24日まで、障子久美のコーナーの後継にあたる。
- 「相馬裕子、風の祭日!」のタイトルコールで始まり、「〜、バイバイ。」で終わる。
- この「バイバイ。」を冨田社長がよくまねをしていた。
- なんでもOAルーム
- ピーターパン青春記
- リスナーからの悩み相談に冨田社長が答えるコーナー。
[編集] 後半(23時40分~)
[編集] 月曜
[編集] 冨田総研企画会議
[編集] 火曜
[編集] R・I・Pサービス本部
- 1989年10月~1990年9月。Rhythm in psychoのメンバーであり、常務取締役田口哲夫氏のコーナー。
- 鉄崎幹人も「謎の諜報部員Mr.M.T.」と名乗って外回りしていたようだ。
- 主なコーナー
- マニアの部屋
- 酒のサカナ
[編集] 鉄崎室長のアフターファイ部
- 1990年10月~1994年3月。鉄崎幹人取締役秘書室長のコーナーで、様々な小コーナーがあった。
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- 無論ラップ(むろんらっぷ)
- どうも解せない→アフターファイ部の中では最長のコーナー
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- 世の中にある納得できないことを紹介するコーナーのはずだったが、更にコーナー内の細分化が進み、寿がきやの謎についてや、春日井ののど飴の歌の謎、クレアラシル(P&Gの商品)のCMの「しか〜も」といっていた外人の名前(結局解決した。シェーマという名前だった)。さらに「アダルトコーナー」、「捨てハガキコーナー(解決済みなのにまだ送られるしょうもない葉書かまたは応答に困るネタを紹介)」といったものまで登場した。
- このコーナーから生まれた「アダルトコーナー」の中では、「バター犬(実際に、当時の秘書だった久松史奈が飼っていたうさぎがバターという名前から盛り上がった)」「わかめ酒」が話題になり、「わかめ酒」に関しては、鉄崎氏本人が「哀愁のワカメ酒」という曲をつくった上に即興で歌ってしまった。
- ジャンピングジャックばあさん
- 松影素子のいい音みつけた(当時のミキサーの名前から付けたタイトルらしい、ミキサーが拾った音源を当てるクイズ)
- バーチャンリアリティー・トミー be GOOD!(「Johnny be Good」の曲に合わせて、Go!Go!ゴー トミーGo! Go!と歌う出だしで始まったコーナー。トミーに関する質問や悩みをトミーに解決してもらうためのコーナー)
- ちょっと困ったクリニック(自分では解決できない、かといって人に聞いたら馬鹿にされるような小さな悩みを相談するコーナー。悩みのネタのあとの締めの言葉に「あんばーよぉきゃーけつしてちょー(名古屋弁「塩梅良う解決してちょー」=日本標準語でうまい具合に解決してくださいの意)」をつけた。略称 困クリ)
- 等
[編集] 水曜
[編集] DJ研修講座
- 期待の若手DJが当コーナーに月替わりのDJとして登場した。
[編集] 木曜
[編集] 伊集院光本部
- 1989年10月~1990年9月。
[編集] ちょっとオシャレな松本典子本部
- 1990年10月~1992年3月。
血つきナプキンプレゼントなどの衝撃的な企画が行われた。 最終週の放送で、応募者がゼロだったのが不満だったと本人が明かしている。
[編集] オレが行き急ぐ男だ! 戸井康成本部
- 1992年4月~1994年3月。その前から戸井氏は伊集院光本部時代からも登場はしていたが、ほとんどレポーター扱い。松本典子本部のときには補佐役扱いで登場していた。
- バカな俺にお前の力を貸してくれ
- 冨カンの全国展開を行なうために何かリスナーから馬鹿なアイディアがないか募集するコーナー(全国展開企画)。
- このころ、他のラジオ番組で「冨カンリスナー+P.N.」で読まれるリスナーが現れる(ウッチャンナンチャンのラジオな奴らや加藤いづみのオールナイトニッポンなど)。
- 未来派ラジオ電波デリックでもそれを行なうリスナーがいたため、電波デリックのパーソナリティーの石丸元章から文句をいわれることとなった。
- コーナー内コーナーが存在した。
- Go!Go!ゴージャス→金持ちや豪華自慢ネタを競うコーナー
- セクシーボインちゃんコンテスト→ハガキに拇印(ぼいん)を押して、そのセクシーさを競うコーナーだったが、中には本物(?)の乳拓をおくる女まで現れ、その時はスタジオ中が大はしゃぎになった。
- セクシー関連ではセクシー四文字熟語コンテストというコーナー内コーナーもあり。
- 当時の秘書であった峩洋絵水 (がようえみ)が保母さんの学校に通っていたことから、おゆうぎコーナーも登場した。
- 冨カンの全国展開を行なうために何かリスナーから馬鹿なアイディアがないか募集するコーナー(全国展開企画)。
- 1992年6月11日、戸井康成が台本クレジットに書いてある「俺が生き急ぐ虫ケラだ戸井康成本部」をそのまま読んでしまったため、その後のあだ名が「虫ケラ」と呼ばれることとなった。そのこともあってか、「虫ケラロボ・T」「虫ケラに乾杯」というコーナーも誕生することに。その後、1993年9月にディレクターが岩井富士夫から熊谷章洋に変わるとすぐあだ名が「バカ兄貴」に変更された。
- 他に、「鮎と鮪」「シェーリーグ」「週刊ガセネタマガジン」「お笑いタンカ道場」等のコーナーあり。
- バカな俺にお前の力を貸してくれ
[編集] エンディング
- 株主動向(月曜・火曜・水曜)
- 株主順位の発表。時間が押すことが多く、あまり行われなかった。
- 株式市況(木曜)
- 過去1週間の放送の中で出演者が立てた手柄や犯したミスをリスナーがチェックし、この時間を使って番組内で公表する。「○円高」「△円安」などと勝手に評価する。
[編集] 内包していた主な番組
- ビーバーヤング 光のスターライトキッス(1989年10月~1990年3月、打ち切りの半年後、同番組が東海ラジオでナイターオフ期のみネット。ニッポン放送制作)
- POP SMAP(1989年10月~1990年9月、TBSラジオ制作。終了後、スクランブルスマップに番組が変更、内包枠から飛び出す)
[編集] 22時35分頃の枠
全てニッポン放送制作。
- 大槻ケンヂのセニョール!セニョリータ! (1989年10月~1990年6月)
- TOSHIのXハラスメント(1990年7月~1991年2月)
- ウッチャンナンチャンのラジオな奴ら(1991年3月~1992年6月)
- デーモン・オーケンのラジオ巌流島(1992年7月~倒産まで→※後継番組メディアキング電波ファイターでも放送開始から半年程度内包されていた、中途からCM無し、フィラー部分もカットで放送)
[編集] 番組主催の関連イベント
- 肌リクエスト(1989年12月14日 - CBC1スタ):「伊集院光本部」“変リク”公開録音
- みんなでWANDERを歌う会(1990年2月25日 - CBC1スタ):障子久美デビュー記念イベント
- TDK Precious Days Vol.1(1990年5月5日 - 尾張旭市森林公園)
- Precious Days Vol.2 第1回株主総会(1990年9月23日 - CBCホール)
- Precious Days Vol.3『MerryXmasToYou』(1990年12月23日 - CBCホール)
- ゲスト - Lip's、久野かおり
- TDK Precious Days Vol.4『第5回Day on the Green』(1991年5月5日 - 尾張旭市森林公園)
- ポッカ2DAYS'90(1990年7月28日・29日 - 久屋大通公園もちのき広場)
- ポッカ2DAYS'91(1991年7月27日・28日 - 久屋大通公園もちのき広場)
- 第1回コント大会 (1990年5月13日 - CBC1スタ)
- 優勝 - ベガーズ(西原穂澄、竹田淳 → 現・ふとっちょ☆カウボーイ)
- 特別賞 - メンソレータム(水野亜喜、高橋陽子)
- 第2回コント大会『宴会社員養成講座』(1990年8月12日 - CBC1スタ)
- 優勝 - メンソレータム
- 準優勝 - ベガーズ
- ベスト・キャラクター賞 - 大須ういろ
- シュール賞 - ネオ・ハナミーズ
- 努力賞 - アッパラパージン・スーパーストロングスペシャル
- 第3回コント大会『コント大会in冬』(1991年1月3日 - CBC1スタ)
- 優勝 - ベガーズ
- 恵美菊子賞 - 道楽ズ(PN.D.D.、おやぢの道楽)
- 山崎・井沢賞 - 200円
- 松本典子賞 - 須賀司
- 第4回コント大会『コント大会in夏』(1991年8月22日 - CBC1スタ)
- 優勝 - なべ道楽withはさみ(PN.D.D.、PN.中華なべ、PN.はさみ)
- 第5回コント大会『山九Presentsコント大会スペシャル・宴会社員養成講座』(1992年3月29日 - CBCホール)
- 優勝(賞金10万円) - スモールパッケージ
- Radio Days 1991/CBC開局40周年記念公開生放送(1991年9月1日) - 名古屋港会場・NY・天津・CBCとの4元生中継
- ゲスト - KATSUMI(名古屋港会場)、伊集院光(CBCスタジオ内)
- ファッショナブルライブin岐阜/リスナー仮装大会(1991年9月29日)
- 優勝 - PN.にょにょにょ、PN.にょにょにょの友人
- 社長賞 - PN.うっすらパー
- 寺尾友美賞 - PN.デンジャラス山本
- ゲスト - セブン(元・白鳥セブン)、寺尾友美、さくらさくら(7月D研生)
[編集] エピソード
[編集] CBCドラゴンズナイターやまった無し!大相撲での対応
- かつての番組小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス同様、中日ドラゴンズの試合を中継する番組『CBCドラゴンズナイター』の後に放送されていたために、ナイターシーズン時はナイター中継終了後の放送になった(ナイターの試合が延びすぎて15分程の放送の時もあった)。
- 当時はCBCドラゴンズナイターが通常時午後6時10分スタートで、その前に三菱ドライビングポップスが放送されていた。ただし、東京ドームの試合開始が午後6時ちょうどであるために、巨人×中日戦の場合は必ず6時からの中継(スタート)になるため、三菱ドライビングポップスがナイター終了後に放送され、その後普段よりも約11分ぐらいおそく冨カンがスタートする流れになっていた(まった無し!大相撲放送時は、ドライビングポップスと冨カンの間。更にその間にニッポン放送系列(当時。現在は文化放送系列で東海地区は東海ラジオ担当)のクラウンレコード1万円クイズがドライビングポップスと冨カン(もしくはまった無し大相撲)の間に入ることもあった)。
- 「障子久美プライベートミュージック 窓から武道館が見える」は冨カン内の帯番組だったにもかかわらず、1990年のドラゴンズナイターシーズン時には中継のない月曜日のみの放送となってしまった。これは、TBSラジオ(POP SMAP)やニッポン放送(こちらを参照)からの帯番組の影響もあった。そのため、その年のナイターオフ時に「辛島美登里 貴方とジェントリーナイト」と帯枠を交換したが、偶然にも、TBSラジオも改変で岸谷五朗の東京RADIO_CLUBが放送され、「POP SMAP」がなくなったため、その後はこのような現象はよほどナイターが押さない限り起らなかった。
- 次いでだが、このころからいわゆる「内包番組」に関してもネット局からのものが極端に少なくなった(ニッポン放送からのダイハツ枠のみ)ことも番組に一体感を与えたといえる。
- 大相撲開催時には冨カンの放送前にまった無し!大相撲が放送されたが、冨田社長はよく大相撲のことを「太っちょの祭典」と称していた。
[編集] バルセロナ五輪開催時の編成
- バルセロナ五輪開催時の1992年7月25日 - 1992年8月9日は、早朝に全民放各局が放送する特別番組のため、大学受験ラジオ講座が深夜枠(月-金は23:40-24:40)に移動したため、冨カンの放送時間は月~木曜 21:00-23:40の放送と短縮された(実際に冨カンとバルセロナ五輪特番が重なった時期は1992年7月27日 - 1992年8月6日)。
[編集] よく流れたCM
- 春日井製菓(よく鉄崎室長のアフターファイ部のミニコーナーのネタにされていた)
- 受験研究社(ダイハツ枠の後に流れていた。北海道放送(HBCラジオ)のベストテンほっかいどうや毎日放送(MBSラジオ)のMBSヤングタウン、ニッポン放送のヤングパラダイスあたりでも確認出来たので、ダイハツ枠のヒッチハイクかそれ以外のヒッチハイクもしくはカウキャッチャー と思われる。メディアキング電波ファイターでも確認)
- 名鉄レジャック(現在でもBATTLE_TALK_RADIO_アクセス内で確認、ダイハツ枠の後か「ああサラリーマン風呂場でダバダ」(豊橋局のみ「向こんパート2」)の前ぐらい)
- その他、カウキャッチャー(夜ワイド番組でありながら存在)として、CBCアナウンサーのコント形式での龍角散のCMも流れていた(夜9:00の時は時報の前に)。
[編集] CBC創立45周年記念番組内での復活番組として
- 1995年12月15日(金)21時から翌日21時までのCBC創立45周年記念番組『TALK RADIO45』(24時間番組)が放送されたが、
その第2部(午前24時~25時30分)で、冨カンが復活した(624日ぶり、第938回目の放送だった)。
[編集] 出演者
冨カン倒産から1年程という事もあって,倒産直前のメンバーが主に招集された。
[編集] 内容
- 業務連絡募集は下記の二つ
- 戸井康成本部内「セクシー四文字熟語コンテスト」
- トミタ総研企画会議→テーマは「いじめ問題」
- 上の二つの業務連絡募集のコーナーの他にも、下記のコーナーがあった。
- 第2回肌リクエスト&サマーリクエスト
- アフターファイ部内「ちょっと困ったクリニック」
- ザ・クールファイブ(クイズ)
- その他,冨田「元」社長が「ああ不思議フシギ2ー!」とタイトルコールだけして、リスナーから拍手喝采されるという一幕もあった。
[編集] 外部リンク
[編集] 番組変遷
CBCラジオ 月曜~木曜21:00~24:40枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社
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ジャスト・リクエスト - 星空ワイド_今夜もシャララ -今夜もシャララ ぽっぷるfeeling- 小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス - CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社 -「 メディアキング電波ファイター /(GiRL POP SLASH - GO!GO!GiRL POP - OTHELLO)」-「( K's UP - 戸井康成の生ラヂヲ)/矢野印」 - 本気汗 - タングショー - ハイパーナイト