相馬裕子
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相馬 裕子(そうま ひろこ、1970年9月12日 - )は、愛知県名古屋市北区出身のシンガーソングライターである。
東海女子高等学校(現・東海学園高等学校)出身。アーティストの友人に加藤いづみ、奥井亜紀、相沢友子、服部祐民子等がいる。あだ名・呼び名は姉御・相馬ちゃん・あじゃ・そうまっち・相馬社長等がある。スタック・コーポレイション所属。
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[編集] 略歴
- 1970年9月に相馬家の三人兄弟の末っ子として生まれる。(乙女座 O型 動物占い=こじか 六星占術=天王星人【+】 九星占い=三碧木星)
- 中学時代にバンドのボーカルとして参加、高校卒業後は地元のライブハウスでボーカリストとして活動を始める。
- 1989年に「New Pep Sound Audition」で表現力を評価され、デビューの足がかりを作る。
- 1990年に上京してザ・バードコーポレーションに所属、祐天寺駅付近で数年過ごす事になる。
- 1991年4月からKBS京都が当時東京から発信していた「KBS京都はいぱぁナイト水曜日」のアシスタントに抜擢され、のほほんとしたキャラクターで人気を集める。同年6月よりソニー、Ki/oonソニーレーベルで作品をリリース。
- 1992年に「未来を描く鳥」が初のシングル曲として水野真紀の出演する「パパっ子ちゃん」の主題歌になる。
- 1994年にTVKのガールポップ94で加藤いづみ等とメインパーソナリティを勤める。同年末一身上の都合で所属事務所とレコード会社を辞め、充電期間はパソコン雑誌で挿絵などを書くイラストレイターのようなこともしていた。
- 1995年10月に研音と契約。
- 1996年にポリグラムから発売された「星に願いを」は江角マキコ等が出演するドラマ「こんな私に誰がした」の主題歌となる。同年にスタートしたラジオ番組「相馬裕子のCHEERS!!」は本人手書きの新聞『週刊HIROKO』をFAXボードで全国から取り出せるという画期的な企画により地方FMなのに全国的な人気を得て彼女の活動を支える軸となる。
- 1998年に沢田聖子が所属するSMCに移籍(この事務所では客分という形で事務の代行をしてもらっている)。
- 1999年にSKY PerfecTV!のドラマ「進歩と調和」で病気がちな妻泉ヒロコを好演して女優としての一面も見せる。
- 2000年3月に公式ホームページを公開。
- 2001年に自主的に立ち上げたレーベルWoodより「de light」を発売し、今までの作品に無い独自の世界を表現。
- 2005年10月に「相馬裕子のCHEERS!!」の10周年イベントが開催。同年11月ホームページリニューアル。
- 2006年1月からK-MIXで本人編集の「月刊HIROKO」がポッドキャスティングでスタートする。同時にデビュー15周年のアルバム「Adam」を製作する傍らで今までリリースした各アルバムを各月で歌い尽くすライブ「相馬図鑑」も名古屋・関西・東京で始まる。4月から「相馬裕子のCHEERS!!」がポッドキャスティングに登場した。
[編集] 人となり
相馬図鑑のような厳しい興行中も周囲の人間に絶えず「有難う」の言葉を欠かない気遣いの出来る暖かい人だと彼女の友人は語る。のほほんとした雰囲気だが、自分の意見をしっかり持って言える面があり、「de light」の発売に関してもメジャーレーベルから企画版でのリリースを断り、インディーズの第1弾としてリリースしている。プライベートではイメージと違ったバイク乗りでスキューバーダイビングも趣味としてやっている他、スカイダイビング、カートにもチャレンジする快活な面もある。
また、高校時代は漫研に所属していたこともあり、芸術センスにも長けていてイラストの腕前はプロ並。
彼女の理想の男性は遠くで大きく輝く六等星のような人とのこと(元ネタは手塚治虫のブラック・ジャックの「六等星」)。
[編集] エピソード
- 実家にいた頃は猫をずっと飼っていたため、猫好き。代々飼い猫にはミーと名づけていた。
- 高校卒業後の進路で両親と衝突したため、アマチュア時代は生活が苦しかったのに実家へ仕送りをしていた。
- デビューの切っ掛けは父親に「(アマチュアで)ライブハウスで歌うのは二十歳までだ。それ以降歌いたいならプロになれ。」と言われた事である。(1996年のテレビ番組にて)
- アイルランドでのレコーディング中に本人も大ファンでアイルランドを代表するシンガーのメアリー・ブラックとの出会いを果たしている。
- セカンドアルバムの製作で訪れたアイルランドで自動車事故に遭遇するが、奇跡的に外傷も無く助かった。(相馬図鑑では当時の映像が公開された)。
- 「パパっ子ちゃん」では相馬本人も居酒屋シーンで「ほっけ下さい」と注文する客役で出演している。
- 休業期間中にイラストデザインが郵便局のキャラクターに採用されたことがある。
- 「相馬裕子のCHEERS!!」の296回目の放送だけは本人が虫垂炎の手術のため、今野登茂子が代役を務めている。
- 2007年6月16日の京都洛北カナートのイベントを胆石の疑いのため、中止している。
[編集] 主な作品
[編集] アルバム
- 『Wind Songs』(1991年6月21日 ソニー・トレフォート)
- 『空と海の出会う場所』(1992年6月21日 Ki/oon)
- ※上記2作品発売時は、本人ナレーションのサンプルCDがレコード店で無料配布された。
- 『永遠を探しに』(1993年3月21日 Ki/oon)
- 『愛がおしえてくれたもの』(1994年4月1日 Ki/oon)
- 『Recollections』(1995年6月21日 Ki/oon)
- 『Prism』(1996年12月16日 マーキュリー)
- 『de light』(2001年8月25日 a-net)
- ※予約者には特典のビデオが配布された。
- 『Adam』(2006年9月20日 Wood)
- 『ゴールデン☆べスト 相馬裕子』(2006年9月20日 Sony)
- 『Eve』(2007年6月21日 Wood)
[編集] シングル
- 『未来を描く鳥』(1993年4月21日 Ki/oon)
- 『恋なんてしたくない』(1993年12月1日 Ki/oon)
- 『私、泣いた』(1996年8月26日 マーキュリー)
- 『CHEERS!』(1996年8月26日 マーキュリー)
- 『星に願いを』(1996年11月4日 マーキュリー)
- 『LION in the ZOO』(1997年2月26日 マーキュリー)
※CD購入方法
- メジャーレーベルの物はほぼ廃盤である。なお、インディーズ以降(『de light』以降)の作品は公式サイトで通販を行っている。
[編集] 出演した主なラジオ番組
- はいぱぁナイト 水曜日(通称・はい水) 1991年4月~1994年9月(KBS京都)
- 「CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社」(通称・冨カン)内のコーナー番組 相馬裕子・風の祭日 1992年4月~1994年3月(CBC放送)
- 98マルチメディアステーション 1994年4月~1996年3月(TOKYO FM他でネット)
- 葉祥明美術館~風の詩 1994年10月~1995年4月(CBC放送)
- あなたとRAPPORT 1994年10月~1999年3月(FM愛知)
- SOUND DISCOVERY 1996年10月~1997年3月(FM富士)
- 相馬裕子のCHEERS!! 1996年10月~現在もオンエア中(K-MIX)
- ギャルポップセンセーション 1997年4月~?(東北放送)
- 相馬裕子5階1号室 2001年7月~9月(Kiss-FM KOBE)
[編集] 外部リンク
- 不定期で本人のメッセージが読めるほか、メールマガジン(不定期)の購読、CD・オリジナルグッズの購入も可能。
- 週刊HIROKOの過去のものや気まぐれ日記が閲覧出来るほか、番組宛メールフォームが設置されている。
- 毎週月曜日番組終了後に番組編集版がポッドキャスティング・MP3で聞けるほか、本人手書きの週刊HIROKOの最新版は毎週放送終了後ここで閲覧できる。
- 番組を聴くことが可能。
- CD購入、視聴が可。
- 音楽配信サイト。キューンソニー時代の楽曲をダウンロードできる。