ベストテンほっかいどう
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ベストテンほっかいどう(Best10 Hokkaido)は、HBCラジオの音楽番組。2008年4月現在の放送時間は日曜日21:00~22:00(JST)。パーソナリティは中野智樹。
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[編集] 概要
1971年11月に放送を開始し、幾度の変遷を経ながら現在も放送を続けている長寿番組である。
タイトルの通り、北海道のヒットチャートのベスト10をランキング形式で発表(オリコン、USEN、レコード店売り上げetc...のジャンル別チャートも発表している)。番組の冒頭部に「輝く伝統と信頼あるランキング、放送回数○○○○回を数えて、21世紀に走り続けるベストテンほっかいどう」という下りから始められた時期もある。低迷期もあるものの、月~金曜の帯番組時代は、高聴取率を獲得(札幌地区ラジオ合同聴取率調査。ビデオリサーチ調べ)し、特に1987年ころまでは、道内ラジオ全局・全世代の中で、聴取率1位を頻繁に獲得していた(争っていたのは、ニッポン放送からネット受けしている「テレフォン人生相談」)。
TBS「ザ・ベストテン」が放送されていた時期には、当番組のランキングがラジオ総合ベスト10のデータとして活用されていたほか、この時期にDJを勤めていたアナウンサーは「ザ・ベストテン」で北海道地区の「追っかけマン」も兼任していた。
[編集] 沿革
[編集] 昼番組時代
1971年11月スタート。当初は午後のワイド番組「ハロードライバー~こちら第3スタジオ~」内の一コーナーとしてスタートし、タイトルも「ベストテン北海道」であった。その後、番組表上は「ハロードライバー」枠に含まれるものの事実上独立した番組となり、月~金・16:00~17:15に放送していた。[1]
当時はランキング決定要素として「レコード」「有線」「ハガキリクエスト」「電話リクエスト」の4つのランキングが用意され、レコード・電話リクエストについては1位200点…20位10点の10点刻み、有線・ハガキリクエストについては1位100点…10位10点の10点刻みでそれぞれポイントを与え、合計ポイント(600点満点)で総合ランキングを決定するという手法が取られていた。
またリスナー参加企画としては、その日の10・8・6・4位の曲をそれぞれ生電話でつながったリスナーが予想する「ランキングシャウト」コーナーがあり、予想が当たったリスナーには好きなシングルレコード1枚がプレゼントされた(なお参加した4人全員がランキングを当てた場合は、プレゼントが「好きなアルバム1枚」にアップグレードされた)。
また、土曜日の午後に放送していたワイド番組「ダイナミック・サタデー」「夢色土曜日・これがラジオだ」「夢色土曜日・晴れた顔して多恵子です」内で15:00~16:00に、月~金のポイントを集計した「週間ランキング」も発表していた(これは平日の放送が夜に枠移動してからも続いた)。
なお、同時期には文化放送からの企画ネット番組である「決定!全日本歌謡選抜」(後に、TOYOTA SUPER COUNTDOWN 50)が日曜午後(13:00-16:30)に編成されていたため、この頃のHBCラジオは、実に毎日午後帯にランキング番組を編成するという、全国的にも珍しい状況であった。
[編集] 夜番組時代
夕方の音楽番組として、幅広い世代から安定した人気を得ていた「ベストテンほっかいどう」に転機が訪れたのは1988年。この前年辺りから、STVラジオの裏番組に、同時間帯聴取率1位を奪われるケースが増えてきた。この背景には、ランクインする曲がそれまでの演歌・歌謡曲などから、ポップス・アイドル系へとシフトしたために、大人の聴取嗜好と異なり、一方そのランクインする曲の主なターゲットである小・中・高校生は、塾通いや部活動が盛んになって夕方帯での聴取が難しくなっていたという点と、平日16時台にベストテン同様のランキング番組を放送していたSTVが、いち早く情報番組(ドライビングパートナー・STVホットライン)へ刷新を図り、大人からの支持を集められた事も影響していた。
このため1988年10月に、同局が平日生ワイドを全面改編するのに伴い「ベストテンほっかいどう」は夜番組として移動。放送時間は当初月曜~金曜の22:00~23:00であったが、翌1989年4月より21:15~22:50、1992年4月より21:00~23:00、1994年4月からは21:00~23:30となる。
新たなメインターゲットである小・中学生・高校生でも聴きやすい夜へ移行したことにより、聴取者を取り戻すことに成功。STVラジオでも1987年開始の裏番組「うまいっしょクラブ」が成功を収めるが、「ベストテンほっかいどう」も長期間にわたり安定した聴取率を記録した。[2]これに対し、STVラジオも、1989年4月開始の夜ワイド「夜は金時」より、路線変更を繰り返しながら3本のワイド番組をぶつけてきたが状況は変わらず、実に13年ぶりに両局間でランキング番組が同時間帯に激突することとなった「船守さちこのスーパーランキング」(1994年開始、月-金曜21:00~23:30)で、ようやく「ベストテンほっかいどう」の聴取率切り崩しに成功する。
夜ワイドへ移行した「ベストテンほっかいどう」では、時間枠拡大を生かして、夕方時代にはなかったゲストコーナー[3]や、企画ものコーナーが新設されたほか、「ランキングシャウト」に代わるコーナーとして、1989年の秋改編より、留守番電話へ寄せられたメッセージをそのまま再生する「話し太郎」が導入された。しかし、当初設けられていた電話番号は他の電話加入者への間違い電話が多発し、間違い電話対策として後に変更された。[4]放送中を中心とした夜~深夜の時間帯は、留守番電話「話し太郎」にメッセージを入れたい中高生が殺到し、話し中が長時間続く状況が生まれた。
ランキング決定要素として「レコード」「有線」「ハガキリクエスト」「電話リクエスト」の4つのランキングが用意され、電話リクエストについては1位300位、2位290点・・・の10点刻み、有線・ハガキリクエストについては1位100点…10位10点の10点刻み、レコードは1位100点・・・10位10点の10点刻みだが、11位0点、12位以下-10点と減点され、それぞれポイントを与え、合計ポイント(600点満点)で総合ランキングを決定するという手法が取られていた。
しかし、夜の番組全般が再編、同時間帯はTBSラジオから「アクセス」をネット受けする事となったため、1999年9月をもって、単独番組としての「ベストテンほっかいどう」は一旦終了する。
[編集] 流浪の時代へ
単独番組が終了した「ベストテンほっかいどう」は、1999年10月より、ナイターオフの枠で新たにスタートした「MOVE ON」の一コーナーに規模を縮小、「MOVE ON ベストテンほっかいどう」となる。さらに2000年4月からは日曜午後の「松橋勝巳 サウンドスタジアム」内の1コーナーに移行と、放送時間が二転三転する流浪の時代へと突入する。[5]
これ以降の放送時間や内容の変遷を以下に時系列で示す。
- 2001年4月~:「アキ&トムのベストテンほっかいどう21」として週1回ながら復活。
- 2004年10月~:月~金曜夜の帯番組「ベストテンほっかいどう~ONE~」となる。あわせて、過去の「ベストテンほっかいどう」パーソナリティが日替わりでDJを務める「ベストテンほっかいどう~WITH~」も放送された。
- 2005年4月~:月曜夜の2時間番組となり、タイトルも「ベストテンほっかいどう」に戻った。
- 2005年10月~:夕方の帯番組となり、デイリーランキングも復活した。
- 2006年4月~:ナイターシーズンのため、月曜日17:57~19:00の放送となり、これ以降は週間ランキングのみとなった。
- 2006年10月~:土曜19:00~20:50の放送。
- 2007年4月~:月曜18:00~19:45の放送。
- 2007年10月~:月曜19:00~21:00の放送。
- 2008年4月~:日曜21:00~22:00の放送。
[編集] パーソナリティの変遷
夕方時代
- 1971年~1972年 「ハロードライバー」担当アナウンサーが兼務
- 1972年~1973年 寺内真理
- 1973年~1975年 ミスターデーブマン&寺内真理
- 1975年~1981年 ミスターデーブマン
- 1981年~1985年初頭 田中徳四郎(体調不良の為降板)
- 1985年初頭~1985年春 村井裕子
- 1985年春~1986年秋 鎌田強・吉田真弓
- 1986年秋~1987年秋 赤城敏正
- 1987年秋~1988年秋 鎌田強
夜ワイド時代
- 1988年秋~1989年8月 大神政敏・菅原克彦[6]
- 1989年8月~1991年 (月~火)内藤克 (水~金)山崎英樹
- 1991年~ (月~木)山崎英樹 (金)管野暢昭
流浪時代
- 1999年~2000年 (月~木)鈴木一平・小橋アキ (金)松橋勝巳・浅野英美
- 2000年~2001年 松橋勝巳
- 2001年~2004年 小橋アキ・中野智樹
- 2004年~2005年 「-ONE」 小橋アキ
- 「-WITH」小橋アキ・(月)内藤克
- (火)山崎英樹
- (水)加藤雅章
- (木)中野智樹
- (金)週替り(藪淳一、川畑恒一 など)
- 2005年4月~9月 小橋アキ・中野智樹
- 2005年10月~ 中野智樹
[編集] 過去の主なパーソナリティ
- ミスターデーブマン(高田文之)
- 寺内真理
- 田中徳四郎(1992年3月逝去)
- 村井裕子
- 鎌田強
- 吉田真弓
- 赤城敏正
- 菅原克彦
- 大神正敏
- 内藤克
- 山崎英樹
- 菅野暢昭
- 藪淳一
- 加藤雅章
- 林部香織
- 川畑恒一
- 鈴木一平
- 松橋勝巳
- 浅野英美
- 小橋アキ
[編集] エピソード
元極楽とんぼの加藤浩次は、学生時代にミスターデーブマンの『ベストテンほっかいどう』で「男性陣と女性陣がどれだけランクインしているか」というクイズに応募して正解し、レコード[7]を獲得したことがある。
[編集] 脚注
- ^ 途中にニュース・天気予報・フェリー情報等が挿入されたため、実質の放送時間は60分程度だった。
- ^ しかし、STVラジオで「うまいっしょクラブ」が始まると聴取率が一気に下がる状況は最後まで打破できなかった。
- ^ 夕方時代は、実時間が短い中に、情報コーナーなども含まれていて時間がタイトだったことと、前番組「ハロードライバー」で15時台にゲストコーナーが設けられていたこともあって、歌手などのゲストを招くことは殆どなかった。
- ^ 当初設けられていた電話番号は、HBCラジオで午前帯の主婦向けの人気番組として、1989年の秋改編まで放送されていた「ラジオファミリー・はい、松永俊之です」「出たとこ・松ちゃん」の留守番電話「テレコピー」で長年使用されていた電話番号であり、放送当時のリスナーにはお馴染みの電話番号でもあった。
- ^ このときの放送はそれまで土・日に放送されてきた「週間ランキング」を受け継いだものであり、デイリーランキングの放送はこの時点で中断している。
- ^ 8月という中途半端な時期の出演者交代は、両名とも異動でアナウンサー職を離れることとなったため
- ^ 小泉今日子「私の16歳」と一風堂「すみれ September Love」であった。(金曜JUNK「極楽とんぼの吠え魂」にて発言)