ドライビングパートナー・STVホットライン
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ドライビングパートナー・STVホットラインは、1983年4月-2006年3月31日までSTVラジオで放送されていた、生放送のラジオ番組(北海道ローカル)。
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[編集] 番組終了時の放送時間
- ナイターイン・・・毎週月曜~金曜 16:00~17:50(17:50~18:00はSTVアタックナイター情報)
- ナイターオフ・・・毎週月曜~金曜 16:00~18:00(JST)
[編集] 番組終了時のパーソナリティ
[編集] 過去のパーソナリティ
- 春日和彦(1983年4月~1987年3月)
- 牧泰昌(1983年4月~1990年9月)・・・札幌すすきのの焼肉店「銀座園」店主。
- 明石英一郎(1987年4月~1991年9月)
- 清水大輔(1990年10月~1993年3月)・・・現在はTBSアナウンサー。
- 高野義雄(1993年4月~?)
- 吉住秀和(時期不明だが、80年代に担当)
- 永井公彦
- 宮永真幸(~2005年9月まで)・・・毎週月曜・火曜・水曜担当
- 吉川典雄(~2005年9月まで)・・・毎週木曜・金曜担当
※牧泰昌以外は全員、担当時はSTVのアナウンサー。
[編集] 番組終了時の放送内容
[編集] コーナー
- 4時の札幌時計台の鐘
- ・・・オープニング前に放送。
- ニュースヘッドライン
- 夕刊チェック
- ・・・このコーナーの記者リポートではSTVテレビ〔日本テレビ系列〕で午後に放送されたニュース番組からの音源を使用している。またその際の記者紹介では、所属先のテレビ局名は省かれ全て「NNNの○○記者がお伝えします」となっている。
- 言わせて!ホットライン
- 校歌フォーエバー
- ・・・コーナー初期の2001年~2003年9月までは三角堂の流が、2003年10月~2005年3月までは牧泰昌がそれぞれレポーターを担当。
- スーパードライまちの情熱極めつけ
- ちょっといい店ホットライン
- 週刊誌見出し大賞
- スクープですよ
- スポーツホットライン
- ニュースフラッシュ
[編集] ネット番組
- 川中美幸 人・うた・心・・・制作:文化放送
- ニュース・パレード・・・制作:文化放送
- ダイハツシンプル・ビューティ 黒木瞳 ホッとGoing・・・制作:ニッポン放送
[編集] 安全戦隊シートベルダー
2004年4月、北海道交通安全キャンペーンの一環として、当時パーソナリティだった千秋幸雄・宮永真幸・吉川典雄の3人により結成されたローカルヒーロー。ラジオCMでラジオドラマを展開、「シートベルダーマップ」と呼ばれる地図を配布するなど多方面において活躍した。
- 千秋幸雄・・・レッドベルダー
- 宮永真幸・・・ブルーベルダー
- 吉川典雄・・・イエローベルダー
[編集] 沿革
[編集] 音楽番組から情報番組へ
1970年代から80年代の北海道のラジオ界に於いて、HBCラジオの「ベストテンほっかいどう」(月-金曜 16:00-17:15)が、札幌地区ラジオ共同聴取率調査(ビデオリサーチ調べ)にて全世代の聴取率で、全番組中首位を獲得する状況が長きに渡って続いていた。
STVでも『リクエスト大行進』続く「こちらヤンスタ ベスト100」など、HBCと同様の音楽ランキング番組を放送(16:00-17:00)していたが、ニュース、情報を軸としたワイド番組に転換されることとなり、それが当番組の前身である「ドライビングパートナー ラジオスクランブル」(1981年-1983年、月-金曜 16:00-18:00)である。
巻山晃アナウンサーと、リクエスト番組から引き続きで担当となった牧泰昌をパーソナリティーとし、裏番組の「ベストテンほっかいどう」とは明確に異なる、デイリーニュースや、海外からの話題、リスナーからの電話を基にした道路状況、盗難車情報など、情報色を強めたワイド番組となった。
1983年に、春日和彦アナウンサーと牧泰昌のコンビによって「STVホットライン」となり、この情報路線は継続されていくが、裏番組を打ち崩せるほどの勢力は、未だ確保できなかった。
[編集] 高聴取率の布石
1987年4月、STVテレビの平日14時のローカルワイド(「青春!奥さん」、後に「2時です奥さん」へ改題)で司会を務めたものの、やはり裏番組であるHBCテレビのローカル生番組「パック2」に惨敗。わずか1年で番組自体が終了という、不遇な状況にあった明石英一郎アナウンサーが、春日アナに代わって「ホットライン」に登場する。
同時に、多元中継を採用した番組にリニューアルされ、STV本社スタジオには牧とアシスタント。そして当時、さっぽろ地下街「オーロラタウン」にあった、STVラジオのサテライトスタジオには明石アナを配置した。さらに中継車「ランラン号」から道路状況、冬季のヘッドライト早め点灯キャンペーン、商店街中継などのレポートを随時挿入する、ライブ感を生かした構成に変更。従来の情報中心の路線を保ちつつ、ラジオ他局の同時間帯の番組とは明確な差別化を図り(同時間帯に、スタジオ以外からの生中継を盛り込んだ番組は他局に存在しなかった)、かつ、本社スタジオとサテライトスタジオで離れているにもかかわらず、まるで向かい合って喋っているかのような絶妙な掛け合いを聴かせる、牧、明石のトークが好評を博すようになる。
番組冒頭15分間を特集コーナーに割き、当事者電話インタビューなどでわかり易く説明するというスタイルのほか、海外ニュース、歓楽街ススキノのスナックやパブのママさんをスタジオに招いてのクイズコーナー、スポーツ記者からの電話レポートなど、硬軟取り混ぜたコーナー構成が好評を博し、1987年5月期の聴取率調査で同時間帯1位となり、以来これを維持。これが要因の一つとなり、裏番組であった「ベストテンほっかいどう」は17年続けてきた夕方帯から撤退し、88年10月に平日夜ワイドへ移動。また、同時期に聴取率調査で他局を圧倒していた土曜の超ワイド番組「ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー」と共に、STVラジオの黄金時代を築く祖ともなった。
低迷期から黄金期まで、13年にわたりSTVラジオの夕方を支えてきた牧は、焼肉店の経営や札幌青年会議所での業務に従事する為、1990年9月をもって降板。明石アナが本社スタジオに回り、スポーツアナウンサーの清水大輔がサテライトスタジオに登場して、多元中継スタイルが継続されていく。
1991年9月に明石アナが同時間帯のテレビ番組出演の為に降板した後は、同局ラジオでは中継リポーターとして豊富な経験をつんだ千秋幸雄アナウンサーが登場。同時期にサテライトスタジオも閉鎖され、本社スタジオにアナウンサー2名を配し、そこに中継車レポートが入るスタイルへと変わっている。
「福永俊介のホットラインまっちょ」(1999年10月 - 2000年9月、月-木曜日15:00-17:50)、「千秋幸雄のホットライン」(2000年9月 - 2001年3月、同時間帯)となった時期もあったが、その後「ドライビングパートナー STVホットライン」のタイトルが復活。2006年3月31日まで、23年間の長きに渡り続く番組となった。
[編集] テレビ番組に与えた影響
80年代後半から90年初頭にかけての「STVホットライン」の多元中継(本社スタジオ+地下街サテライトスタジオ+中継車)と、フォーマットを参考にして誕生したテレビ番組が、STVテレビの「どさんこワイド」(1991年10月-)である。
後に全国に広まった夕方のローカルワイドの先駆者となったこの番組は、本社スタジオからのニュースやさまざまな話題は勿論の事、東京からの全国ニュースを間に挟みながら、地元からは街角からの定点中継(JR札幌駅前)などを織り込んだ編成で、「ホットライン」の要素が多分に盛り込まれた番組となった。同番組のキャスターとなるため、明石アナは91年9月に降板。なお、牧もコメンテーターとして同番組に出演していた時期があった。
[編集] ホットラインPART2
1986年10月、ナイター中継終了後の時間調整として「STVホットライン PART2」がスタートした(月曜~金曜21:00-22:35。88年10月以降は月曜~金曜20:00~22:00、89年4月以降は月曜~金曜21:00-22:00)。
前述の清水アナや、加島和裕、吉住秀和ら、スポーツアナウンサーが、懐かしの音楽とニュース、スポーツの話題を中心に放送していた。89年4月開始の夜ワイド「サッポロ22時 夜は金時」が89年10月より21:30開始となり、ナイター中継の時間調整を兼ねる事となった為、89年9月で終了している。
89年10月にはこの「PART2」をナイターオフ期のワイド番組として拡大し、「ホットライン パート2~今夜もこれから」としてリニューアル(月曜~金曜18:00~20:30)。元同局アナの堺なおこをパーソナリティに据え、中継車(ラジオカー)「ランラン号」の任期を終えたキャスタードライバーと組んで、ホットラインならではの情報要素はもちろん、大人向けの音楽もふんだんに盛り込んで、ナイターオフ期の定番として続けられた。2003年10月、牧泰昌が12年ぶりにSTVラジオへレギュラーパーソナリティーとして登板した「牧泰昌のホットスクランブル」は、この「ホットライン パート2」の流れを汲むものである。