キャプテンシステム
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キャプテンシステム(英称:CAPTAIN System: Character And Pattern Telephone Access Information Network System)は、日本電信電話公社・NTT(NTT分割後はNTTコミュニケーションズ)が、Information Network System(INS)をキーワードに提供していた電気通信サービスの一つ。
「ビデオテックスネットワーク」の日本での愛称。ロゴは「P」の部分が「?」、「I」が「!」になって「CA?TA!N」だった。
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[編集] 概要
1984年に当時の電電公社(現在のNTTグループ各社)が、大都市圏を中心にサービスを開始した。テレビをモニタとして利用し、アナログ電話回線を利用して文字・画像での情報提供を行った。
各地に第三セクターの情報提供会社が設立され、郷土情報、生活情報の提供を行った。自治体、国鉄などの公共機関や一部の企業も現在のウェブページにあたる情報提供ページを設置しており、近畿日本鉄道の「テレメイト」(インターネット予約・販売サービス)などがあった。ネットショッピングや座席予約、BBSや、オホーツクに消ゆ、ポートピア連続殺人事件などのゲーム試遊といったサービスも提供されていた。
個人の自宅から情報網にアクセスすることも可能だったが、専用対応機器や通信料、情報提供ページを提供するための初期費用が非常に高かったこと、サービスの提供が特に価格面で企業中心で草の根的情報発信が困難だったことなどから、公衆端末の利用が圧倒的に多かった。利用者は、NTTの電話料金のほかに3分30円の通信料金と、有料情報サービスの場合は情報料を支払わなくてはいけないので、長時間続けるとかなり値が張っていた。
結果、同じ文字ベースではあっても、後に登場したパソコン通信の加入者数には大きく引き離された。フランスのミニテルとは対照的である。
しかしそんな状況の中でも、個人が情報発信・情報提供を試みた事例はあり、小説家・パズル作家の雅孝司が第1号として6年間、政治家の菅直人が第2号として2年間ほど独自のページを運営していた。 また普段はBBSを通じてコミュニケーションを取る仲間を作り、時に回線を通じないで直接に顔を合わせる(オフラインミーティング)など、現在の「オフ会」につながる活動をしていたユーザも少ないながらいた。
モデムの規格がG3 FAXで使われているものと同じV.27terで、下り4800bps・上り75bps半二重という変則的なものだったこともあり、当初は専用端末でなければ利用できなかった。1990年代になると、一般的な1200bps/2400bps全二重のモデム規格にも対応し、PC-9800シリーズ対応の端末ソフトも配布され、一般家庭などでも利用が容易となった。しかしこの時点では既にパソコン通信が普及しており、通信速度は当時としても時代遅れなものだった。
当時の技術・インフラでのサービス(CAPTAIN方式、NAPLPS)であり、画像も荒い・色数も少ないなど、画像情報提供が可能ではあっても制約が大きく、速度も遅かった。また、主にコスト面から個人で情報提供ページを設けることが困難だった。さらに、深夜1:00~早朝6:00はサービス休止され利用時間に制限があった。これらのことなどから、インターネット(特にWWW)の普及とともに役割を終えたと判断され、サービス終了している。
ある意味、現在のパソコン・携帯電話などのインターネットの発展に大きな影響力を持つ基礎を固めたシステムといってもいい。個人モニターに端末を貸し出した東京都三鷹市や公共端末を鉄道駅や市立施設などの市内公共施設に配置した多摩市、神奈川県厚木市(厚木市の場合、ニューメディア事業の一環として第三セクターの運営会社を起ち上げていた)、川崎市などの様に一応の成果が見られた事例もあった。もし個人での情報提供が容易に可能な環境が用意されていれば、当時「高度情報通信社会」と呼ばれていた現在のような状況が、20年以上早く実現していたとされる。