顔恵慶
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顔 恵慶(がん けいけい、Yan Huiqing, 1877年4月2日 - 1950年5月24日)は、中華民国の外交官・政治家・教育者。字は駿人。欧名Dr. W.W. Yen。
上海虹口に聖公会牧師の息子として生まれる。バージニア大学を卒業し商務印書館で編集に携わった後、外交官に転進。アメリカ合衆国に赴いて国際法を学ぶ。
中華民国成立後、最初に組織された唐紹儀内閣で外交部次長に就任。ドイツ・スウェーデン・デンマークの公使を務め、パリ講和会議に首席全権として出席。1920年に外交部総長になり、1922年・1924年・1926年と国務総理に就任。1926年には北京政府臨時執政職となり、一時的にだが国家元首の地位にあった。
北伐で北京政府が瓦解すると天津に隠遁するが、満州事変後に南京国民政府に招かれて国際連盟首席代表に就任。1933年2月の連盟総会で国際連盟脱退を宣言した日本の松岡洋右への反対演説を行った。その後駐ソ大使となり、ソ連・アメリカの支援を取り付けることに成功する。
戦後、立法院委員になり国民政府を代表して中国共産党との和平交渉にあたった。中華人民共和国成立後も上海にとどまり、全国政治協商会議委員を務めた。
[編集] 関連項目
[編集] 参考書籍
- 山田辰雄編『近代中国人名辞典』霞山会、1995年9月。