金貞烈
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金貞烈 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김정렬 |
漢字: | 金貞烈 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
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片仮名: (現地語読み仮名) |
キム・ジョンニョル |
ラテン文字転写: | Kim Jung-Nyeol |
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金貞烈(キム・ジョンニョル、1917年9月29日 - 1992年9月7日)は、日本統治時代及び大韓民国の軍人・政治家で、第19代国務総理。創氏改名時の日本名は香川貞雄(かがわ・さだお)。
[編集] 経歴
京城の裕福な家庭に生まれる。父親や叔父は大韓帝国軍人であった。1941年2月に陸軍士官学校(54期)を卒業し、陸軍航空隊所属の操縦士として、第二次世界大戦に参加した(終戦時の階級は大尉)。
独立後は、崔用徳や李根晳などとともに空軍の創設に貢献し、初代及び第3代空軍参謀総長を務めた。1957年には国防部長官に就任したが、1960年の四月革命によって退任した。
1961年の5・16軍事クーデター以降は、1963年に民主共和党の初代党議長となり、同年に駐米大使、1966年に反共連盟理事長、1967年には全国区選出の国会議員となった。
国会議員の任期を終えた後は、1971年から三星物産社長、大韓商工会議所副会長、チョンウ開発会長などを歴任し実業界において活動した。1980年には、崔圭夏大統領の下野に貢献する役割を果たした事を評価され、全斗煥政権で平和統一諮問会議の首席副議長として公職に復帰し、政権末期には第五共和国における最後の国務総理を務めた。
[編集] 死後の評価
2005年に、民族問題研究所で親日人名辞書に収録する為に整理した親日人名辞書収録予定者1次名簿において選定された。
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