5・16軍事クーデター
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5・16軍事クーデター(5·16 군사 정변)は、後の韓国大統領で当時少将(第2野戦軍副司令官)だった朴正煕や張都暎などが軍事革命委員会の名の下、起こした軍事クーデター。1961年5月16日に発生したため「5・16軍事クーデター」と一般的に言う。
[編集] 背景
反共親米、腐敗と旧悪の一掃、経済再建などが決起の理由とされる。しかし、この時期を選んだのには韓国学生運動と朝鮮学生委員会との板門店における南北学生会談の開催という、別の理由がある。「行こう!北へ!来たれ!南へ!会おう板門店で!」をスローガンにソウルを出発した学生デモは10万人に達し、文民の張勉内閣(第二共和国)には、学生会談を抑える力がなかった。当時の韓国の1人あたりGNPは約80ドル。北朝鮮の経済力のほうが圧倒的に強く、赤化統一の可能性があった。このクーデターに、当時のアメリカのケネディ大統領は激怒したと伝えられているが、アメリカ中央情報局(CIA)がけしかけたとの説もある[要出典]。
[編集] クーデター後の韓国の政治
朴は政権を奪取し、軍事革命委員会を国家再建最高会議に改称、治安向上や経済改善などを名目に韓国民の思想・言論を弾圧した。6月10日には秘密諜報機関・韓国中央情報部(KCIA)が発足された。このような朴の政治は今後の韓国政治史の長い軍事政権の土台を築き上げる事となった。