趙恵蓮
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チョ・ヘリョン | |
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各種表記 | |
ハングル: | 조혜련 |
漢字: | 趙恵蓮 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
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片仮名: (現地語読み仮名) |
チョ・ヘリョン |
ラテン文字転写: | Jo Hye-Ryeon |
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趙恵蓮(チョ・ヘリョン、1968年5月29日 - )は韓国のマルチタレント(コメディアン・女優・歌手・タレント・著作家等)。韓国慶尚南道固城郡出身。身長160cm。B86cm、W62cm、H86cm。血液型O型。漢陽大学校情報大学院放送学科卒。家族は夫と2子。
日本に進出した初の韓国人。日韓両国においてタレント活動をこなしている。所属事務所は、韓国においてはTN 엔터테인먼트(TNエンターテイメント)、日本においてはホリプロ。日本での芸名は姓抜きで「ヘリョン」。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 生い立ち
1970年5月29日、韓国慶尚南道固城郡で、1男6女の第5子として生まれる。すぐ下の弟で第6子の조지환(チョ・ヂファン)は、映画『シルミド』などに出演している俳優である。
[編集] 韓国芸能界での活動
漢陽大学校在学中から頭角を現し、1992年に『KBS 大学ギャグ祭(대학개그제テハッケグジェ)』 でコメディー大賞新人賞を受賞したのをきっかけにTNエンターテイメント(TN 엔터테인먼트)とタレント契約を結んでデビュー。バラエティー番組を主に、テレビ主要3キー局(KBS、韓国文化放送、SBS)への出演やステージ活動などを展開、その後も毎年のように芸能各賞を受賞するなど、韓国を代表するギャグウーマン~コメディエンヌ(개그우먼)となる。
また、テレビのバラエティー番組やステージなどのギャグ・シーンだけでなく、ドラマ・映画・演劇にも起用されているほか、1998年にはドラマ『ミスターQ(미스터 Q )』の撮影に並行してテコンドーとボクシングを統合した「テボ(태보)」と呼ばれる武術の修練につとめ、これを応用したダイエット法のDVD『テボ ダイエット(태보 다이어트)』を発表して60万枚を売り上げ、また歌手としても、2005年にはファーストアルバム『アナカナ(아나까나)』を、2006年にはセカンドアルバム『カラ (가라、「行っちゃえ」の意)』を発表するなど、マルチタレントとしての地位を築いている。
最近の好感度リサーチを見ても、2006年9月末に韓国のリーズPR調査研究所が5大都市(ソウル・釜山(プサン)・大邱(テグ)・光州(クァンジュ)・大田(テジョン))に居住する13歳以上65歳未満の男女を対象とした人気度調査で24.1%の支持を獲得するなど、女性コメディアン部門人気1位を維持し続けている。
[編集] 日本芸能界への進出
韓国での成功に引き続き、海外進出へ向けた動きが起こり始めた。とくに、折に触れて志村けんやビートたけしの演目を見ていた日本のギャグ・シーンについては、バラエティー・ショー番組が多数あることや、韓国の放送コードに比べて下ネタやきわどいネタも許容される自由度の高さに魅かれ、日本芸能界への進出を漠然と意識していたようだ。2005年2月にプライベート旅行で来日した際、東京都新宿区大久保のコリアタウンに韓国料理を食べに出かけた。その折に、一部のファン・マスコミに対しペ・ヨンジュンをはじめとした韓流スターの人気が高いのに驚き、予想以上に日本での韓国芸能人に対する注目度が高いのを目の当たりにして衝撃を受け、「私もやりたい」「日本の皆にもアジュンマ(おばさん)パワーを見せつけたい」と日本芸能界進出を決意した。
早速、当時は大した面識もなかったにもかかわらず、すでに日本の芸能界にも定着していたユンソナの連絡先を調べ出して突然直接本人に電話。押しかけ的に日本進出の意向を請願し、ユンソナが所属していたホリプロダクションを無理やり紹介させ、通訳を伴ってホリプロの採用担当者に売込みを図ったものの、「コメディで肝心なのは言葉だから、日本でもやるならまず日本語が話せなきゃ」と契約を拒否された。その際「日本語が話せればもう一度採用を考えてくれるのか?」と念を押した上で、その場を撤収したとの事である。
帰国後は日本語の習得を開始、専門の日本語家庭教師をつけて連日3時間の指導を受け、自習を含めると毎日8時間以上の特訓を6カ月間続けたほか、ユンソナから教わった「自宅内に日本語を書いた付箋を所かまわず貼りまくって、憶えたものから取り外していく」という語彙(ごい)習得法いわゆる「ユンソナ方式」を取り入れて24時間日本語漬けの生活を送った。このため、学習開始後わずか半年で相当な日本語会話能力を身につけた。
2005年後半には日本進出を念頭に置いたスケジュール調整方法の考案などの準備をはじめ、翌2006年1月には再来日し、今度は通訳を帯同せず、ホリプロの担当者に対して本人の言葉で売り込みをはかった。彼女の語学習得度とその向上心・日本芸能界への進出意欲に対しプロダクション側は、テレビ番組との出演契約を結んだ。ウッチャンナンチャン司会の『クイズ!日本語王』(TBS)に出演したほか、関西テレビではユンソナと一緒にロケを行って韓国文化を紹介した。2006年4月には、代理人や通訳などを一切介さずにホリプロと自力でタレント契約を結び、本格的な日本進出を果たしている。
その後、2006年7月からは『ももこ×菜摘×よし子 おじょママ!P』(関西テレビ)の準レギュラー、同年10月からは『サンデー・ジャポン』(TBS)のレギュラーに起用されている。
[編集] 現在の活動
毎週のレギュラー番組は、韓国に5本、日本に1本、そのほかいくつかの準レギュラー番組を抱えている。依然としてKBS、MBC、SBSの韓国3大キー局からの出演要請が非常に多いほか、日本においてもTBS、関西テレビなどの他いくつかの局に出演している。バラエティ番組に出演する際には、韓国の民族衣装「チマチョゴリ」を着て出演することが多い。
[編集] 芸風
その独特な間の取り方とダンス・歌唱をちりばめ、いわゆる「아줌마 파워 アジュンマ パウォ(おばさんパワー)」を満載した女を捨てた自虐的なギャグの展開で観客を魅了する。その芸風から、韓国ではしばしば「버릴 것이 없는 사람 ポリル ゴシ オムヌン サラム」(捨てる(失う)ものがない人)と形容される。
彼女の芸風の真骨頂は、KBSの怪物バラエティー番組となった『일요일은 101% イリョイルン ペギルポ』 (日曜日は101%)、およびその後現在に至る『해피 선데이 ヘピ ソンデイ』 (ハッピー・サンデー) のコーナーである「여걸파이브 女傑(ヨグォル)ファイブ」~「여걸식스 女傑(ヨグゥォル)シックス」における『「여걸 女傑(ヨグォル)」シリーズ』に見ることができる( 여걸(ヨグォル)は、「女傑(ヨグォル=ヒロインに相当する意味)」と「女girl(ヨグォル)」を掛け言葉にして作った名称といわれている)。
(KBS『해피 선데이(ハッピー・サンデー)』の「ヨゴォル・シックス」のコーナーは、毎週日曜日午後11時からのKBS WORLD(チャンネル791)で見ることができる。日本語字幕も用意されており、韓国語が理解できない場合でも、充分堪能することができる)。
特に、映画に登場する怪物「골룸(ゴ-ルルム)」の衝撃的な物真似は、今でも語り草になっているほどである。
彼女を起用する韓国芸能シーンの諸プロデューサーからは、「특히 이야기를 끌어가는 방법이 훌륭하다(特に話への食いつく方法が素晴らしい)」と賞賛している。日本で『サンデージャポン』に起用した正木敦プロデューサーも同様に「独特の間の取り方、入り込み方が素晴らしい」と評価。
日本進出に際して突然の売込み先の紹介依頼を受けたユンソナも、「お笑いのセンスを持った韓国の大スターを日本でも見せたいし、絶対受けます。今は私より日本語ができないけど、すぐ人気が出る。(笑いながら)でも、私はあまり共演したくない。笑いのツボを持っていかれるから…。(ダウンタウンの)浜田さんもヘリョンさんを知ってて、番組に呼びたいって言っていました」とコメントしている[要出典]。
[編集] 人物
日本以上の学歴社会である韓国の就学事情を反映し、また韓国文化においてはその伝統から大衆芸能に従事する者が一段低く見られがちなことを打ち消すために、韓国の芸能人のほとんどが大学進学してその学歴をアピールする傾向もあって、漢陽大学校情報大学院放送学科にまで進学している。
幼少時から大家族で育てられたため、大らかな性格を持つ一方で、努力家であるという側面も持つ。これは、彼女の大学在学中の優秀な成績、ギャグの演目として披露する際のダンスの意外な巧みさや、DVD『태보 다이어트(テボ ダイエット)』の礎となった「태보(テボ)」技術の習得ぶり、日本進出にあたってのごく短期間での日本語の上達ぶりなどから、容易に読み取ることができる。
1999年に結婚し、2000年5月に長女を、その後第2子を出産し、育児をこなしながら芸能活動を行っている。現在は、京畿道光明市のマンションに家族で居住している。
[編集] おもな受賞歴
- 1992年 「KBS 코메디대상 신인상 (KBS コメディデサン シニンサン ~KBS コメディー大賞 新人賞」
- 1996年 「제32회 백상예술대상 코미디연기상 (チェサムシビフェ ペクサンイェスルデサン コミディエンギサン ~第32回 百想芸術大賞 コメディー演技賞)」
- 2004年 「제40회 백상예술대상 TV부문 여자TV예능상 (チェサーシッペ ペクサンイェスルデサン ティビブムン ヨジャティビヨヌンサン ~第40回 百想芸術大償 TV部門 女子TV芸能賞」
- 2004年 「MBC 방송연예대상 코미디 / 시트콤 부문 스타상 (MBC パンソンヨネデサン コミディ / シトゥコム プムン スタサン ~MBC 放送芸能大賞 コメディー / シチュエーションコメディー部門 スター賞」)
- 2005年 「MBC 방송연예대상 PD상 (MBC パンソンヨネデサン ピディサン ~MBC 放送芸能大賞 PD賞)
- 2006年 「MBC 방송연예대상 쇼버라이어티 부문 최우수상 (MBC パンソンヨネデサン ショーボライオティ ブムン チェウスサン ~MBC 放送芸能大賞 ショーバラエティー部門 最優秀賞」
[編集] おもな出演歴
[編集] テレビ
- MBC 1996年 「集中女性チャンネル 今日は良い日」
- KBS2 2000年 「ソ・セウォン ショー」
- MBC 2000年 「旧盆特集挑戦シドニー2000故郷に金メダルを」
- MBC 2000年 「オールスター歌謡祭」
- MBC 2000年 『웃는날 좋은날 ウンヌンナル チョウンナル』(笑う日 良い日)
- SBS 2000年 「スターショー」
- SBS 2000年 「美しい性」
- 釜山放送 2000年 「韓国を笑わせる人々」
- KBS 2001年「トッタ! コドリ」
- KBS2 2001年 「理由ある夜」
- KBS2 2001年 「旧盆特集『爆笑歌謡祭』」
- KBS2 2001年 「夜一夜に」
- MBC 2001年 「TV特ダネ 驚くべき世の中」
- MBC 2001年 「21世紀委員会」
- MBC 2001年 「オールスター爆笑歌謡祭」
- MBC 2001 「シン・ドンジンのミニコンサート」
- MBC 2001年 「美しいTV 顔」
- MBC 2001年- 『일요일일요일의 밤에 イリョイルイリョイレ バメ』 (日曜日日曜日の晩に)
- MBC 2001年 「オールスター爆笑歌謡祭」
- SBS 2001年 「二人の男ショー」
- SBS 2001年 「スポーツ大探険」
- SBS 2001年 「真実ゲーム」
- SBS 2001年 「よい友人ら」
- 京仁放送 2001年 「ウラッチャチャおばさん」 『』
- MBC 2002年 「家和万事成」
- MBC 『사과나무 サグァナム』 (林檎の樹)
- MBC 『패러디극장 추석의 추억 ペロディグックサン チュソゲ チュオク』 (パロディー劇場 秋夕(旧盆)の追憶)
- MBC 『! 느낌표 ヌッキムピョ』 (! 感嘆符) ~MC
- SBS 2002年 『해뜨는 집 ヘトゥヌン チプ』 (日が昇る家)
- SBS 『추석특집 드라마 <엄마를 찾습니다> チュソクトゥクチプ ドゥラマ <オンマルル チャップスムニダ>』 (秋夕(旧暦)特集 ドラマ <母さんを捜します>)
- 「青春スケッチ爆笑大作戦」
- KBS 2004年 『일요일은 101% イリョイルン ペギルポ』 (日曜日は101%)
- 「여걸파이브 女傑(ヨグォル)ファイブ」 コーナー MC
- KBS2 2004年 『설특집 못말리는 여걸파이브 ソルトゥクヂプ モンマルリヌン ヨグォルパイブ』 (正月特集 あきれたヨグォルファイブ)
- 2005年 『웃는 데이 ウンヌン デイ』 (笑いの日)
- 2005年 『스타스페셜 생각난다 ストスペソル センガンナンダ』 (スタースペシャル 想い出)
- KBS2 『설특집 스타 대격돌 천하별미 ソルトゥクヂプ スタ デギョッドル チョナビョルミ』 (正月特集 スター大激突天下別味)
- KBS2 『이웃사촌 프로젝트 무지개 イウッサチョン プロジェクトゥ ムジゲ』 (ご近所プロジェクト 虹)
- MBC 『쇼! 음악중심 ショー!ウマクチュンシム』 (ショー!音楽センター)
- SBS 2006年 『스마일 어게인 スマイル オオゲイン』 (スマイル・アゲイン)
- SBS 『야심만만 ヤシム マンマン』 (夜心萬萬) ~準レギュラー
- FNS 2006年 『笑っていいとも』
- TBS 2006年- 『アイチテル!』 ~準レギュラー
- KTV 2006年- 『ももこ×菜摘×よし子 おじょママ!P』 ~準レギュラー
- TBS 2007年 『恋するハニカミ』
- NHK BS1 2007年『BSアジア研究所』
- FNS 2007年 『笑いの金メダル』
- NHK 2007年 『MOTTAINAI』(単発)
< 現在のレギュラー番組 >
- KBS 2005年- 『해피 선데이 ヘピ ソンデイ』 (ハッピー・サンデー) ~レギュラー
- 「하이파이브 ハイパイブ」 コーナー レギュラー
- KBS 「心中お見透しの夜」 ~レギュラー
- KBS 『대한민국 1교시 テハンミングク ハンキョシ』 (大韓民国 一教師) ~レギュラー
- MBC 2003年- 『코미디 하우스 コミディ ハウス』 (コメディー・ハウス) ~レギュラー
- MBC 『질풍노도 "라이벌" シルプンノド "ライボル"』 (疾風怒涛"ライバル") ~レギュラー
- TBS 2006年- 『サンデー・ジャポン』 ~レギュラー
[編集] 演劇
- ミュージカル <ビート>
[編集] 映画
- 1994年 『티라노의 발톱 ティラノエ パルトプ』 (ティラノサウルスの足爪)
- 1998年 『토요일 오후2시 トヨイル オフトゥーシ』 (土曜日 午後2時) ~ラジオクイズ進行役
- 2003年 『남남북녀 ナムナムプンニョ (南男北女)』 (ラブ・インポッシブル~恋の統一戦線) ~ナイトブルーマリン役
[編集] ドラマ
- SBS 1998年 『미스터 Q ミスト キュー』 (ミスターQ) ~オ・スンシム役
- MBC 2000年 『여자만세 ヨジャマンセー』 (主婦9段 女子万歳)
- SBS 2003年 『때려! テリョ!』 (殴ってッ!)
- SBS 2006年 『스마일 어게인 スマイル オゲイン』 (スマイル・アゲイン)
[編集] 雑誌
[編集] おもな著作
[編集] CD
- 2005年 「1집『아나까나 Anacana』 조혜련 Vol.1」 (第1集 『アナカナ』 チョ・ヘリョン vol.1)」 (Cj Media Line)
- 2006年 「2집『가라』 (第2集 『カラ(行けョ)』)」 (Cj Media Line)
[編集] DVD・VTR
- 1998年 『태보 다이어트』(テボ ダイエット)
- 2000年 『태보 다이어트 2』(テボ ダイエット 2)
- 2003年 デボダイエットビデオ
- 2003年 チョ・ヘリョン25分のテボダイエット
- 2003年 チョ・ヘリョン パワーヨガダイエットビデオ
[編集] その他
- 韓国では絶大な人気を持ち、ひとたび街頭に出ればファンが殺到して黒山の人だかりとなる。
- 時々「ペ・ヨンジュンが日本でブームになっていて驚いている。韓国じゃ今はそれほどでもないから。」「ユンソナは韓国ではそれほど売れていない」「韓国の番組は日本の番組のカバーをよくする(ここでいう「カバー」とは、日本で問題視されている韓国のテレビ局の企画盗用だと思われる)」(「めちゃイケ」)と韓国の芸能界の事情を暴露する。
- 日本進出にあたって押しかけでホリプロへの口利きを依頼したユンソナとはその後親密な関係にあり、2006年9月16日にソウル市内の新羅ホテル・ダイナスティーホールにおいて1,000名規模で開催されたユンソナの結婚披露宴にも正式ゲストとして招聘され、バックダンサーを率いてウェディングソングを熱唱した。
- 日本のギャグ・シーンにおいては、同じ創価学会信者でしばしば同様に女を捨てたあけすけな芸風で知られる久本雅美と対比されることが多いが、本人も日本進出に際して「日本と韓国で文化は違うけど、笑いは同じ。私を見ていると元気になれると思ってもらえたらうれしい。5年、10年後には尊敬する久本さんみたいに(ビッグに)なりたい」との抱負を語っている。
- 容貌が宮迫博之に似ているとの日本での評判に対し、早速「宮迫です!」を、決めポーズのひとつとして披露している。また、顔が金子貴俊にも似ているとも言われる。
- 通常、韓国人の日本語初学者は、当然ながら韓国語にない発音が苦手で、例えば「つ」や「ず」あるいは「ざ」が「チュ」「ジュ」「ジャ」になってしまうのが普通であるが、BoAやユンソナなど日本での活動の長い芸能人ほどではないものの、上手な「ざ」「ず」「つ」を発音するほど猛勉強した日本語はかなり達者である。しかし日本の放送禁止コードを詳細に理解するまでには至っていない。TBSサンデージャポンに出演した際、「乞食」と発言して周囲を慌てさせ、共演して隣に座っていた高橋ジョージがカメラに向かって即座に“申し訳ない”と頭を下げた際、「(「乞食」が放送に適さない差別用語であることを)外国人なのでよく分からない」と発言している。
- そのサンデージャポンレギュラー初出演の際、新婚の羽賀研二に対し、収録前に初対面で本人の事をよく知らなかったにも関わらず「あの人悪い人でしょ?」と発言して、共演者らを慌てさせた事がある。
- 人気のKBS2名物バラエティーコーナー「女傑6(ヨゴル・シックス)」の2006年11月26日放送回における『ヨゴォル・シックス同窓会スペシャル」において、現在の6人のヨゴォル・メンバーであるチョ・ヘリョン、イ・ヘヨン、チョン・ソンヒ、ヒョンヨン、イ・ソヨン、チョン・ヘビンに加え、「女傑5(ヨゴル・ファイブ)」時代からの往年の歴代メンバーイ・ギョンシル、オク・ジュヒョン、カン・スジョン、チェ・ヨジン、シム・ウンジン、ホン・スアらが合流参加して華やかな同窓会スペシャルが開催された。またこの番組の中で、MC(司会者)のチ・ソクジンが新旧ヨゴォル・メンバー全員に対して「2ヶ所以上整形手術した人はいますか?」と質問したところ、何と12人中5人が「Yes」と答え、会場から驚きの声が上がった。特に現役メンバーであるヒョンヨンは「目と鼻を手術しました」と整形内容まで詳しく説明したほか、現ヨゴォル・メンバーで新人タレントのイ・ソヨンも「私も鼻を手術しました」と新人アイドルらしからぬ告白をするなど、美貌の追求のためなら整形手術をもいとわぬ現代韓国女性気質を垣間見させた。
- 2006年11月13日、韓国の一流ファッションデザイナーアンドレ・キムのチャリティー・ファッションショーが、MBCの人気番組『!(ドッキリマーク)』の文化財返還コーナー「偉大な遺産74434」の冠開催形式をとって、多数の文化人や国会議員、駐韓外交使節団300人余などの参加のもとソウル市景福宮で行われた。MBC『!(ドッキリマーク)』のMCをつとめるチョ・ヘリョンは何とファッションモデルとして出演、人気グループss501(ダブルエス オゴンイル)のキム・ヒョンジュンと登場しポーズを取って見つめあうパフォーマンスを行い、「アンドレ・キムのショー・ステージに立った唯一の女性コメディアン」として評判になった。
- 2006年11月29日、ソウル市汝矣島MBC公開ホールで開かれた「2006年 MBC放送芸能大賞」授賞式で、破格的なセクシースタイルで登場して祝賀舞台を披露し、自身もショー・バラエティー部門で受賞している。
- 東亜放送大学で、週4時間「演技論」の講義を半年間にわたり行った。
- 「韓国で楽に暮らせるのに、なぜ私がここまで来て苦労するのだろう、という気がした」 と発言。