秩父鉄道1000形電車
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[編集] 概要
100形や800形(元小田急電鉄1800形)といった吊り掛け駆動方式の車両を置き換えるため、1986年(昭和61年)から1991年(平成3年)に元日本国有鉄道(国鉄)→東日本旅客鉄道(JR東日本)の101系のうち状態の良い3両編成12本36両を非冷房車のままで購入した。
制御電動車のデハ1001形(国鉄時代はクモハ100形)、中間電動車のデハ1101形(同モハ101形)、制御付随車クハ1201形(同クハ101形)からなる3両編成を組んでいる。デハ1001形に電動空気圧縮機、パンタグラフを、デハ1101形に主制御器、電動発電機と主抵抗器を搭載している。国鉄→JRのカルダン駆動車が編成単位で私鉄に譲渡された事例はこれが初めてであった。ほとんどが0番台からの改造だが、1006編成のデハ1006とデハ1106の2両が1000番台からの改造であり、本形式の中で製造年が最も古い(後述)。
入線時に運行番号表示器の封鎖、保安機器の変更、先頭車の車内に間仕切り用アコーディオンカーテンの設置、暖房容量の増大、外板塗装の変更、主電動機出力のデチューン (100kW→85kW) 以外の大きな改造はなかった。改造は1001・1002編成が大宮工場(現・JR東日本大宮総合車両センター)で、1003編成以降が自社の熊谷工場でそれぞれ施工された。大宮工場で改造された車両と熊谷工場で改造された車両とでは無線アンテナの形状が異なり、前者はJRで使用されている棒形のものを装着し、後者は秩父鉄道で従来から使用している逆L字形のものを装着する。ブレーキシューは当初、国鉄時代から引き続いてレジン製のものが使用されたが、のちに鋳鉄製のものに取り替えられた。
その後、1994年(平成6年)から1997年(平成9年)にかけて埼玉県の補助金交付を受けて双方の先頭車に集約分散式冷房装置が搭載された。この際に過電流対策として従来連結面側に1基搭載されていたデハ1001形のパンタグラフが運転室側にも搭載され、またクハ1201形には冷房電源用の容量90kVAの静止形インバータ (SIV) が搭載された。この他にもワンマン運転対応工事や座席ユニットの交換などが実施された。電動空気圧縮機は当初レシプロ式C-1000形であったが、検査出場後にJR103系などで使用されている大容量のC-2000形に交換された。
車体塗装は、登場当初は当時の標準色であるレモンイエローにブラウン帯で、先頭車前面の帯中央に「秩父鉄道」を表記していた。その後は白地に青と赤の帯が正面から側面に回るデザインに変更されるとともに前面窓周りが黒で縁取られた。
当初封鎖された運行番号表示器は後に改造して列車種別表示器として使用され、「各停」「ワンマン」「準急」[2]「急行」[3]「臨時」「回送」「試運転」などの表示が用意されている。このうち、「ワンマン」表示はワンマン対応工事施工時に追加された。
[編集] 車両番号の変遷
秩父鉄道での車両番号 | 国鉄時代 | ||||
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デハ1001 | デハ1101 | クハ1201 | クモハ100-117 | モハ101-100 | クハ101-58 |
1002 | 1102 | 1202 | 140 | 179 | 61 |
1003 | 1103 | 1203 | 133 | 118 | 62 |
1004 | 1104 | 1204 | 183 | 252 | 75 |
1005 | 1105 | 1205 | 166 | 222 | 64 |
1006 | 1106 | 1206 | 1013(※) | 1013(※) | 65 |
1007 | 1107 | 1207 | 130 | 112 | 66 |
1008 | 1108 | 1208 | 154 | 212 | 79 |
1009 | 1109 | 1209 | 174 | 236 | 80 |
1010 | 1110 | 1210 | 160 | 208 | 73 |
1011 | 1111 | 1211 | 175 | 237 | 81 |
1012 | 1112 | 1212 | 192 | 263 | 82 |
※種車はそれぞれクモハ100-53(新製時モハ90616)とモハ101-50(同モハ90109)
[編集] リバイバル塗装
埼玉県さいたま市内に鉄道博物館が2007年(平成19年)10月14日に開館したのに併せて、12本在籍する編成のうち4本が国鉄時代を模した塗装に変更されている。
最初の編成は同年7月末に変更された1011編成で、オレンジバーミリオン一色とされ、同年9月1日・2日の臨時急行列車から運転を開始した。2編成目は1001編成がスカイブルー一色に塗り替えられ、10月14日の臨時急行列車から運転を開始した。3編成目は1012編成でカナリアイエロー一色に塗り替えられ、11月24日の臨時急行列車から運転を開始した。また、2008年4月5日には4編成目として1009編成がウグイス色(先頭車前面にカナリアイエローの帯を加えた関西本線塗装)に塗り替えられ、他の3編成と同様に臨時急行列車から運転を開始した。これらの編成は、先頭車前面の車両番号表記が種別表示器上部から助士席側窓ガラス内側上部に掲出されるプレートに変更されている。[4]このプレートはJR東日本の首都圏エリアの通勤形電車に掲出される編成札のスタイルに近く、国鉄時代をイメージしたものとされる。
なお、このリバイバル塗装電車の運行開始を記念して主要駅では特製の台紙つき入場券[5]も発売されている。
2007年10月14日の臨時急行列車に充当された1001編成と同年11月24日に充当された1012編成には、「鉄道博物館開館記念」とリバイバル塗装の本形式2本をあしらった2種類の特製ヘッドマークが先頭車の前面下部に装着された。また、通常ダイヤで運行中のリバイバル塗装編成にも同様に装着された。
2008年4月1日の和銅黒谷駅改称記念イベントでは1012編成に和同開珎をあしらった特製ヘッドマークが装着された。また、同年5月17日に広瀬河原車両基地で開催された「わくわく鉄道フェスタ」に関連して塗装変更された編成に特製ヘッドマークが装着され、そのうち3編成が同会場で展示された。1011編成にかつて中央快速線で使われていた「特別快速」のヘッドマークをあしらった「秩父路 特別快速」のヘッドマークが、それ以外の編成にイベントのためのヘッドマークが装着された。また、各駅から同基地への臨時列車にも塗装変更した編成が使用された。さらに同年6月には1009編成が車内に俳句ポスターを展示した「第9回俳句展示列車」として運転されているが、こちらも特製ヘッドマークが装着されている。
[編集] その他
- 冬季は室内温度保持のために長時間停車のある駅でドアの半自動扱いを行っているが、本形式にはドアの開閉ボタンがないため、停車中に乗車する場合はドアを手で開ける必要がある。
- 秩父鉄道が近年導入した中古の旅客車両で20年以上使用されているのは本形式のみである[6]。
- 本形式の中で最も古い車両は、1959年(昭和34年)製のデハ1006-デハ1106のユニットで、上の表にあるようにモハ90形時代に製造された車両で、国鉄時代の最終期は武蔵野線用の1000番台として運用されていた。
- 旧国鉄101系初期形の車両は「乗務員室の仕切り窓が大きい」「尾灯が埋め込み式」という特徴を持っており、武蔵野線運用改造車は「乗務員室仕切り窓について中央に窓がない」という特徴を持っているが、これらに該当するデハ1006は「乗務員室仕切り窓が小さい」「尾灯が外はめ式」「乗務員室仕切り窓について中央にも窓がある」という状態に改装されている。一方、「枕木方向のつり革がない」「戸袋窓のロールカーテン収納部が独立」といった特徴は、デハ1106を含め原形のまま残されている。なお、客用扉は全車ステンレス製である。
- 2008年現在、優先席部分のつり革については順次オレンジ色で三角形のものに交換されている。
[編集] 脚注
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現役の車両 | |||||||||
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過去の車両 | |||||||||
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